鬼を捕らえて食う髭面の神。玄宗皇帝の夢に現れたという話から広まった。
鍾馗とは何の神様か
鍾馗はひとことで言えば科挙に落ちた鬼退治の神です。
道教系の神で、長い髭、中国の官人の衣装、剣、大きな目で何かを睨みつけている姿で必ず描かれます。
広まったきっかけは、唐の玄宗皇帝の夢の話とされます。玄宗が瘧(おこり)にかかって床に伏せ、高熱の中で夢を見ました。宮廷で小鬼が悪戯をしてまわると、大鬼が現れて捕らえ、食べてしまいます。正体を尋ねると、
終南県の出の鍾馗。 武徳年間に科挙を受けたが落第し、それを恥じて宮中で自ら命を絶った。 だが高祖皇帝が手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるために来た。
目覚めた玄宗の病は癒え、画家の呉道玄に姿を描かせたとされます。
この話が記録に現れるのは後の時代で、玄宗の頃の一次史料には見あたりません。
鍾馗の漢字表記と読み方
日本語ではしょうきと読みます。
名前の由来については諸説があります。 もともとは魔を払う道具の名だったとする説があり、玄宗の夢の話は後から作られたものだと考えられています。
日本では独自の広がり方をしました。 疱瘡除けと学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納する習わしが生まれます。
図像そのものに魔除けの効き目があるとされ、旗・屏風・掛け軸として飾られ、屋根の上に像を載せる習わしも生まれました。
戦国武将にも好まれ、本多忠勝は鍾馗像を旗印とし、前田利家も鍾馗の旗印や陣羽織を用いたと伝えられます。
鍾馗(しょうき)
一般的な表記。日本でも同じ字を用いる。
鍾馗大臣(しょうきだいじん)
日本の民間で用いられた呼び方。
終南進士(しゅうなんしんし)
終南県の出身で科挙を受けたという縁起にちなむ呼び名。
鍾馗の物語
玄宗の夢 ─ 病を癒した大鬼
鍾馗の縁起として最も広まっているのが、唐の玄宗皇帝の話です。
玄宗が瘧(おこり。マラリアとされる)にかかり、床に伏せました。高熱の中で夢を見ます。
宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわる。そこへどこからともなく大鬼が現れ、小鬼を難なく捕らえて食べてしまいました。
玄宗が正体を尋ねると、大鬼はこう答えます。
自分は終南県出身の鍾馗。 武徳年間に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自ら命を絶った。 だが高祖皇帝が手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるために来た。
夢から覚めた玄宗は、病が治っていることに気付きました。感じ入った玄宗は、名高い画家呉道玄に姿を描かせます。その絵は、夢で見たそのままの姿だったとされます。
恩を返しに来た、という筋書きが要です。 鍾馗は恨みで鬼を退治しているのではありません。
門に貼る絵 ─ 習わしの広がり
鍾馗の信仰は、絵として広まりました。
玄宗の時代から、臣下は除夜に鍾馗図を下賜され、邪気除けとして新年に門に貼る習わしがあったという記録が残ります。
宋代になると、年末の大儺という悪を追い払う行事にも貼られるようになりました。
明代末から清代初めになると、端午の節句に厄除けとして家々に飾る習わしが生まれます。
図像も広がりました。初期は呉道玄の構図をまねたものが主でしたが、明代に『鍾馗全伝』などの小説が流行すると、虎に乗る図やめでたい図など、さまざまな型が生まれます。
悪疫除けの習わしとともに、東アジア一帯へ広まった。
神像や社ではなく、絵として広まった神です。 拝む対象というより、貼って効かせるものでした。この性格は、日本に渡ってからも変わりません。
京町家の屋根 ─ 日本の鍾馗さん
日本に鍾馗が入った経緯は、はっきりしていません。
最も古い例は、平安時代末期の辟邪絵の一つとして確認されます。室町時代以降は漢画の画題として多くの画師に好まれました。
民衆のあいだに広まったのは江戸時代末、十九世紀ごろからです。関東では五月人形にされ、近畿では屋根に像を置く習わしが生まれました。
京都の町家など、近畿から中部にかけては、いまも大屋根や小屋根の軒先に、十センチから二十センチほどの瓦製の鍾馗が置かれているのを見かけます。
由来はこう語られます。
昔、京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ、向かいの家の住人が突然病に倒れた。 薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが入ったのだと考え、鬼より強い鍾馗を作らせて据えたところ、病が治った。
2013年12月、京都市東山区の若宮八幡宮社の境内に、日本初とされる鍾馗神社が創建されました。
鍾馗の家系図と家族
鍾馗の性格と人物像
鍾馗の人物像は、「恥じた人」であることに尽きます。
科挙に落ちた。それを恥じて、宮中で自ら命を絶った。神になる前の鍾馗は、挫折した受験生です。
これほど人間くさい由来を持つ神は多くありません。
そして、死後にしたことも変わっています。恨みを晴らしていません。 落第させた制度にも、世の中にも、報復していない。
高祖皇帝が手厚く葬ってくれた。 その恩に報いるために来た。
受けた恩を返すために、鬼を退治しています。
姿は恐ろしく描かれます。濃い髭、見開いた目、剣。しかし中身は、恩義に厚い落第生です。
日本で学業成就のご利益が加わったのも、この由来を知れば自然でしょう。科挙に落ちた者に、受験の願いをかける。皮肉のようでいて、同じ苦しみを知る者に頼むという筋が通っています。
端午の節句に飾られたのも、子の成長を守るという願いに合ったからでした。
鍾馗ゆかりの地と遺跡
鍾馗を祀る社の住所を、一次情報で確かめられませんでした。 そのため、この欄には何も入れていません。
日本には鍾馗を祀る場所が実在します。2013年12月、京都市東山区の若宮八幡宮社の境内に、日本初とされる鍾馗神社が創建されました。愛媛県松山市には鍾馗を本尊とする鐘馗寺があります。ただし、それぞれの公式の案内を確かめられなかったため、住所は書きません。
鍾馗はもともと、社に祀るより「絵を貼る」神でした。 京都の町家では、いまも屋根の上に瓦製の鍾馗が置かれています。まちを歩けば見られるという点で、社を訪ねる神とは性格が違います。
鍾馗が現代に残した痕跡
鍾馗の名は、屋根と節句に残りました。
屋根の鍾馗: 京都の町家など近畿から中部にかけて、屋根の軒先に置かれる十センチから二十センチほどの瓦製の像。
五月人形: 端午の節句に飾る人形。関東では江戸時代末から鍾馗を人形にする習わしが生まれた。
武将の旗印: 本多忠勝は鍾馗像を旗印とし、前田利家も鍾馗の旗印や陣羽織を用いたと伝えられる。
ショウキラン: ラン科の多年草。花の形が烏帽子をかぶった鍾馗の姿に見立てられて名付けられた。
石見神楽の「鍾馗」: 島根県の石見神楽を代表する演目の一つ。
鍾馗のご利益
魔除け
図像そのものに効き目があるとされ、旗・屏風・掛け軸として飾られた。
疫病除け
玄宗の病を癒したという縁起から、疫病を退ける神とされる。日本では疱瘡除けとされた。
受験合格
科挙に落ちた者が神になったという由来から、日本では学業成就の神とされた。
子どもの守護
端午の節句に飾られ、子の成長を守るとされてきた。
鍾馗が登場するゲーム・アニメ
創作では、鍾馗は「鬼退治の専門家」として扱われます。 姿がはっきりしていて、役割も一つに定まっているため、扱いやすい神です。
いっぽう、科挙に落ちて自ら命を絶ったという由来は、ほとんど描かれません。恐ろしい姿と、挫折した受験生という中身の落差こそが、この神のいちばん面白いところなのですが、そこは知られていません。
鍾馗が登場するアニメ・漫画・芸能
石見神楽「鍾馗」
島根県の神楽を代表する演目。疫神を退治する筋書きで演じられます。
端午の節句を扱う作品
五月人形の題材として、繰り返し描かれてきました。
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鍾馗についてよくある質問
鍾馗は何の神様ですか。
鬼を退治する道教系の神です。長い髭に官人の衣装、剣を持ち、大きな目で睨みつける姿で描かれます。日本では疱瘡除けと学業成就に効があるとされてきました。
鍾馗はどういう由来の神ですか。
唐の玄宗皇帝の夢に現れて小鬼を食べたという話が広まっています。終南県の出で、科挙に落第したことを恥じて自ら命を絶ったが、高祖皇帝が手厚く葬ってくれた恩に報いるために来た、と名乗ったとされます。
その話は事実ですか。
この話が記録に現れるのは後の時代で、玄宗の頃の一次史料には見あたりません。名前ももともとは魔を払う道具の名だったとする説があり、縁起は後から作られたものと考えられています。
なぜ京都の屋根に鍾馗が置かれているのですか。
京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ、向かいの家の住人が病に倒れた。鬼瓦に跳ね返った悪いものが入ったのだと考え、鬼より強い鍾馗を据えたところ病が治った──という由来が語られています。江戸時代末ごろから近畿で広まった習わしです。