黄帝に討たれた戦の神。金属の武器を初めて作ったとされ、のちに軍神として祀られた。
蚩尤とは何の神様か
蚩尤はひとことで言えば負けたのに祀られた神です。
黄帝の敵として語られながら、後の時代に兵主神という戦の神になりました。討った側が、討たれた側を軍神として祀ったことになります。
姿は書物ごとに違います。獣の体に銅の頭と鉄の額、四つの目に六本の腕、牛の頭。石や鉄を食べたとも記されます。同じ姿の兄弟が八十一人(『魚龍河図』)、あるいは七十二人(『述異記』)いたとされます。
武器を作った神とされる点が重要です。戈・矛・戟など五つの兵器を作り、金属を武器に用い始めたのは蚩尤だと伝えられます。
兵を作ったのは蚩尤だと人は言うが、蚩尤は用いただけである。
『呂氏春秋』はそう書き、それ以前から木の武器はあったと説きます。神話の中でさえ、この神の功罪は言い争われてきました。
蚩尤の漢字表記と読み方
日本語ではしゆうと読みます。
「蚩」も「尤」も、この神以外ではほとんど使われない字です。「蚩」には愚か・あざけるという意味があり、討たれた側に付けられた字とみることができます。
いっぽう『史記』封禅書では、まったく違う名で呼ばれます。 兵主神。斉の地で祀られた八神の一つで、戦をつかさどる神としての名です。
日本にも「兵主」の名を持つ神社が各地にあります。中国の兵主神との関わりを説く社伝もありますが、確かめられてはいません。
蚩尤(しゆう)
一般的な表記。『路史』では姓は姜、炎帝神農氏の子孫とされる。
兵主神(ひょうずしん)
『史記』封禅書で八神のうちの一つとされたときの名。戦の神としての呼び名。
鴟義(しぎ)
『書経』が、その凶暴さをフクロウにたとえて用いた語。
蚩尤の物語
涿鹿の戦い ─ 霧を起こして黄帝を苦しめる
蚩尤は、神農氏の世の末に乱を起こしました。『書経』は、蚩尤を「反乱」というものを初めて行った存在として挙げています。
味方は多彩です。八十一人の兄弟、無数の魑魅魍魎、そして風を司る風伯と雨を司る雨師。
風伯は八方の風を起こす風母を、雨師は五色の雲を起こす雲母を、蚩尤は百里の霧を起こす霧母を持っていた。
『平妖伝』はそう伝えます。天候そのものが武器でした。
黄帝の軍は霧の中で方角を失います。これを破ったのが指南車でした。さらに黄帝は、妖怪が竜の声を恐れることを知って角笛を吹き、雷獣夔の皮で作った太鼓を打ち鳴らしてひるませたとされます。
『山海経』大荒北経では、旱を司る天女魃と、水を司る神竜応竜が黄帝に加勢し、蚩尤を殺したと記されます。
天候の神と天候の神がぶつかった戦いだった。 そう読むと、この物語の構図がはっきりします。
体が散る ─ 楓と塩湖になる
捕らえられた蚩尤の最期は、書物ごとに残酷さの度合いが違います。
共通するのは、逃げられることを恐れて手枷と足枷を外さなかったという点です。息絶えて、ようやく外された。
その枷は、滴る血で赤く染まりました。
枷は楓の木になった。 秋に葉が赤くなるのは、蚩尤の血の恨みが宿っているからだという。
『路史』では、蚩尤は中冀で解体され、その血が赤い塩水になって、解州(現在の山西省運城市)の塩湖解池の名の由来になったとされます。武器を作った罪を負ったので、後の人は蚩尤の血を食べることになったという説明が添えられます。
馬王堆から出た『黄帝四経』は、さらに具体的です。皮で的を作り、髪で旗を作り、胃袋で鞠を作った、と。
『清華簡』の「五紀」篇では、髪は韮に、眉は春菊に、目は菊に、鼻は葱に化したと説かれます。体が食べ物に変わる話は、日本のオオゲツヒメの神話とよく似た形です。
軍神になる ─ 討った側が祀る
蚩尤の物語は、討たれたところで終わりません。
『史記』封禅書は、蚩尤を斉の地で祀られた八神のうちの兵主神にあたるとします。戦の神です。
黄帝自身も、蚩尤を討ったあと、その姿を描いた旗を掲げて威勢のしるしにしたと伝えられます。赤い旗を蚩尤旗と呼び、『史記』天官書には、
蚩尤旗は彗星に似て後ろが曲がり、形は旗のようだ。 これが見えれば、王者が征伐を行う。
と記されます。空に現れる兆しの名にもなったわけです。
漢の高祖劉邦は、挙兵の前に蚩尤を祀り、軍旗を血で赤く染めたと『史記』高祖本紀は伝えます。
敵として討たれた神を、勝った側が戦の神として祀り続けた。 力を認めたということであり、同時に、その力を自分の側に引き入れる作法でもありました。
『管子』では蚩尤が黄帝の臣として登場します。関係そのものが、書物によって入れ替わります。
蚩尤の家系図と家族
蚩尤の性格と人物像
蚩尤は、「悪」として書かれながら、書いた側がその強さを打ち消せなかった神です。
『書経』は凶暴・貪欲だと書き、フクロウにたとえて「鴟義」と呼びました。反乱を初めて行った者として名指しもしています。
それでいて、『史記』は兵主神として祀られたことを記し、劉邦が戦の前に祀ったことまで書いています。
悪く書きながら、拝んでいる。
この矛盾こそが、蚩尤という神の実像でしょう。恐れられているものは、味方に付けたくなる。
武器を作ったという功績も、同じねじれを抱えています。『呂氏春秋』は「蚩尤が兵を作ったのではなく、用いただけだ」と弁護しつつ、蚩尤の反乱があったから法を定めて抑えねばならなくなった、とも書きます。
発明の功と、それを使った罪。 二つを同時に背負わされた神は、そう多くありません。
蚩尤ゆかりの地と遺跡
蚩尤を祀る廟の住所を、一次情報で確かめられませんでした。 そのため、この欄には何も入れていません。
中国には蚩尤にちなむ施設が実在します。河北省涿鹿県には涿鹿の戦いにちなむ施設が置かれ、貴州省や湖南省の苗族の集落では蚩尤を祖として祀る例が知られます。ただし公式の記載を確かめられなかったため、住所は書きません。
日本各地にある「兵主神社」については、中国の兵主神との関わりを説く社伝もありますが、確かめられていません。 つながりが確かめられていない社を、この神の欄に入れることはしません。
蚩尤が現代に残した痕跡
蚩尤の名は、戦と空の言葉として残りました。
蚩尤旗: 『史記』天官書に見える星の名。彗星に似て後ろが曲がる形とされ、これが見えると征伐が起きると言われた。
解池: 山西省運城市の塩湖。蚩尤の血が赤い塩水になったという伝えが、その名の由来として語られる。
楓の紅葉: 蚩尤の枷が楓になり、秋に葉が赤くなるのは血の恨みだという伝え。
苗族の祖: 貴州省や湖南省の苗族には、蚩尤を自らの祖と仰ぐ伝えが残る。
蚩尤のご利益
武運長久
兵主神として祀られ、戦の守りを願う対象とされてきた。
必勝
漢の高祖が挙兵の前に祀ったと伝えられ、勝ちを願う神とされる。
鍛冶
金属の武器を初めて作ったとされ、金属を扱う仕事の祖とされる。
厄除け
恐ろしい姿ゆえに、災いを退ける力があるとされてきた。
蚩尤が登場するゲーム・アニメ
創作では、黄帝より蚩尤のほうが人気があります。 姿が派手で、敗れた側という悲劇性を持ち、しかも祀られたという逆転があるためでしょう。
一方、『呂氏春秋』が書いた「用いただけである」という弁護や、『管子』が黄帝の臣とした異説は、ほとんど扱われません。
蚩尤が登場するゲーム
三国志を題材にした作品
武器の名や、伝説上の武将として名が引かれることがあります。
蚩尤が登場するアニメ・漫画
中国神話を題材にした作品
黄帝との対決は、神話上もっとも大きな戦いとして繰り返し描かれます。
格闘を題材にした作品
兵器の祖という性格から、武器使いの由来として名が引かれます。
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蚩尤についてよくある質問
蚩尤は何の神様ですか。
戦の神です。黄帝の敵として語られますが、『史記』封禅書では斉の地で祀られた八神のうちの兵主神にあたるとされ、戦をつかさどる神として祀られました。
蚩尤はどんな姿をしていますか。
書物によって違います。獣の体に銅の頭と鉄の額を持つ姿、四つの目に六本の腕を持つ姿、牛の頭を持つ姿などが伝えられます。石や鉄を食べたとも記されます。
蚩尤はなぜ黄帝に負けたのですか。
霧を起こして黄帝の軍を惑わせましたが、方角を指し続ける指南車で霧を突破されました。さらに雷獣の皮で作った太鼓の音でひるまされ、旱の女神と神竜が黄帝に加勢したとされます。
討たれた蚩尤が、なぜ祀られたのですか。
強さを認められたからだと考えられます。恐れられる力は、味方に付けたいものでもありました。漢の高祖劉邦は挙兵の前に蚩尤を祀り、軍旗を血で赤く染めたと『史記』は伝えます。