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中国神話

呂尚とは何の神様か|家系図・物語

呂尚  / リョショウ

封神演義

釣り糸を垂れて時を待った軍師。太公望と呼ばれ、封神演義では神々を任命する側に立つ。

呂尚とは何の神様か

呂尚はひとことで言えば待った人です。

太公望の名で知られます。姓は姜、氏は呂、字は子牙、諱は尚。姜子牙とも呼ばれます。

歴史上の人物でありながら、神として祀られ、さらに小説の主人公にもなりました。 この三つを持つ例は多くありません。

有名なのは釣りの場面です。文王が狩りの前に占ったところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩りに出たところ、渭水で釣りをしていた呂尚に出会いました。語り合った文王は喜んで言います。

我が太公が待ち望んでいた聖人である。

そこから太公望と号したとされます。日本で釣り好きを太公望と呼ぶのは、この話によります。

武王を助けて殷を滅ぼし、の地に封じられました。

小説『封神演義』では、戦いで命を落とした者を神の位に封じる役を負います。

呂尚の漢字表記と読み方

日本語ではりょしょうと読みます。ただし、太公望(たいこうぼう)のほうがはるかに広く知られています。

名前には諸説あります。 『荀子』『論衡』などには「呂望」と記す例が見られ、貝塚茂樹は『詩経』大明編から、字を尚父とし「尚」はその略称だとしています。

軍事長官である「師」の職に就いていたことから「師尚父」とも呼ばれ、諡は太公。斉の始祖であることから斉太公姜太公とも呼ばれます。

小説『封神演義』では姜子牙の名が使われ、日本の翻案作品もこの名を採ることが多くあります。

呂尚(りょしょう)

姓は姜、氏は呂、諱は尚。歴史上の呼び名。

太公望(たいこうぼう)

文王が「我が太公が待ち望んでいた人だ」と言ったことによる号。もっとも広く知られる呼び名。

姜子牙(きょうしが)

姓と字を合わせた呼び名。『封神演義』ではこの名で呼ばれる。

呂尚の物語

  1. 渭水の釣り ─ 三つ伝わる出会いの話
  2. 斉を建てる ─ 漁業と製塩の国
  3. 神になり、小説の主人公になる

渭水の釣り ─ 三つ伝わる出会いの話

呂尚が文王に仕えた経緯について、『史記』は三つの説話を並べています。

一つ目が、もっとも知られた話です。文王が狩りの前に占ったところ、

獣ではなく、人材(覇王の輔)を得る。

と出た。狩りに出ると、落魄して渭水で釣りをしていた呂尚に出会います。語り合った文王は「我が太公が待ち望んでいた聖人である」と喜び、軍師として迎えました。

二つ目は、もともと殷に仕えていたが紂王の悪行に反発して出奔し、諸侯を遍歴したのちに文王に仕えたという話です。

三つ目は、東方の海辺に隠棲していたところ、旧知の散宜生と閎夭に誘われ、拘禁されていた文王を救うために動いたという話です。呂尚は紂王に美女と財宝を贈ることを提案し、文王を釈放させました。

『史記』自身が三つ並べており、いずれも信憑性に疑問がもたれています。 一つに決まらないこと自体が、この人物の伝わり方を示しています。

陝西省宝鶏市には、太公望が釣りをしたという釣魚台が観光地として整えられています。

斉を建てる ─ 漁業と製塩の国

殷を牧野の戦いで破ったあと、呂尚は軍功によっての地に封じられました。営丘(現在の山東省淄博市臨淄区)を中心とする国です。

赴任した呂尚は、まず隣の萊の族長の攻撃を防ぎました。そして統治の方針を決めます。

営丘の住民の習俗に従い、儀礼を簡素にした。

土地のやり方に合わせたのです。

山東は農業に適した土地ではありませんでした。そこで斉は漁業と製塩によって国力を増します。

農地に向かない土地で、海に向かった。

さらに斉は、周の成王から諸侯が反乱を起こしたときに討つ権限を与えられました。春秋時代に斉が強国となる土台が、ここに置かれています。

呂尚は非常に長生きし、没したときには百歳を超えていたと伝えられます。

2009年、山東省淄博市で発掘された西周の青銅器の銘文「祖甲斉公」が、斉国の祖と同一人物であると推定されています。

神になり、小説の主人公になる

呂尚は、死後に二度、姿を変えました。

一度目は神としてです。 春秋初期に強国となった斉は、権威を高めるために始祖である呂尚の神格化を行いました。呂尚の著書とされる『六韜』『三略』は唐代に重んじられ、

731年、玄宗によって呂尚と張良を祀る太公廟が各地に建立された。 760年、粛宗から武成王を追贈され、太公廟は武成王廟と呼ばれるようになった。

文宣王である孔子とともに文武廟に祀られました。武を代表する神とされたわけです。明の洪武帝が「周の臣下を王として祀るのは不適当だ」として祭祀を中止させるまで続きました。

二度目は小説の主人公としてです。 明代の『封神演義』では、元始天尊の弟子として、戦いで命を落とした者を神の位に封じる役を負います。

神を作る側に立つ、という筋書きは他に例がありません。 ただしこれは小説の設定であり、伝承や歴史とは別のものとして押さえる必要があります。

呂尚の家系図と家族

呂尚の性格と人物像

呂尚の人物像は、「待てること」に尽きます。

出自は伝説に包まれて実態がつかめません。元は屠殺人だった、飲食業で生計を立てていた、という伝えもあります。若い頃に成功していないのです。

殷に仕えては去り、諸侯を説いては認められず、最後に文王のもとへ身を寄せた。

諸侯を説いて遊説したが、認められることがなかった。

釣りの逸話が愛されるのは、この経歴と重なるからでしょう。後世には「針を曲げず、餌も付けなかった」という言い伝えも加わりました。魚ではなくを釣っていた、という読み方です。

そして、迎えられてからの働きは速い。殷を倒し、国を建て、土地に合わせた統治を敷きます。待つ力と、動く力の両方を持っています。

『拾遺記』には、斉に封じられたときに昔別れた妻がよりを戻そうと来たが、これを拒んだという話があります。覆水盆に返らずの由来です。

冷たいとも読めるし、筋を通したとも読めます。 評価が割れるところです。

呂尚ゆかりの地と遺跡

呂尚を祀る廟の住所を、一次情報で確かめられませんでした。 そのため、この欄には何も入れていません。

歴史上、呂尚を祀る施設は実在しました。731年に玄宗が呂尚と張良を祀る太公廟を各地に建立し、760年に呂尚が武成王を追贈されてからは武成王廟と呼ばれ、孔子を祀る文宣王廟とともに文武廟とされました。ただし明の洪武帝が祭祀を中止させています。

つまり、いま参拝できる形では残っていない可能性が高い施設です。 確かめられないため、欄には入れません。

陝西省宝鶏市には、太公望が釣りをしたという釣魚台が観光地として整えられています。祀る場所ではありません。

呂尚が現代に残した痕跡

呂尚の名は、釣りとことわざに残りました。

太公望: 釣り好きを指す言い方。渭水で釣りをしていた逸話に由来し、日本で広く使われる。

覆水盆に返らず: 『拾遺記』の説話に由来する。斉に封じられた呂尚のもとへ、別れた妻がよりを戻そうと来たが拒んだという話。

屋烏之愛: 人を愛するならその家の屋根の烏まで愛する、という呂尚の言葉。偏愛を表す語として使われる。

『六韜三略』: 呂尚の著書とされた兵法書。実際には戦国後期以降の著作と考えられている。

呂尚のご利益

出世開運

長く認められなかった人物が用いられた話から、時を得る願いに結び付けられる。

武運

武成王を追贈され、武を代表する神として祀られた。

大漁

釣りの逸話から、日本では釣り人の守りとして名が引かれる。

事業成就

漁業と製塩で斉の国力を築いたことから、仕事を成す願いを受ける。

呂尚が登場するゲーム・アニメ

創作では、『封神演義』の姜子牙として描かれることがほとんどです。 歴史上の軍師より、神を封じる役のほうが物語になりやすいためでしょう。

いっぽう、斉の国を漁業と製塩で立て直したという現実的な功績は、ほとんど扱われません。土地に合わせて儀礼を簡素にしたという判断は、この人物のもっとも実務的な一面です。

呂尚が登場するゲーム

中国史を題材にした戦略ゲーム

軍師の代表として、能力の高い人物に設定されることが多いです。

英霊を題材にした作品群

神霊として言及されます。

呂尚が登場するアニメ・漫画

封神演義(漫画・アニメ)

姜子牙の名で主人公を務めます。神を封じる役という設定が物語の骨格です。

中国古典を題材にした作品

待って好機をつかむ人物の代表として、名が引かれます。

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呂尚についてよくある質問

呂尚と太公望は同じ人ですか。

同じ人です。姓は姜、氏は呂、諱は尚。文王が「我が太公が待ち望んでいた聖人である」と言ったことから太公望と号したとされます。『封神演義』では姜子牙の名で呼ばれます。

呂尚は実在の人物ですか。

周の軍師で斉の始祖とされる歴史上の人物です。ただし出自と経歴は伝説に包まれており、実態はつかめていません。2009年に山東省淄博市で発掘された西周の青銅器の銘文が、斉国の祖と同一人物と推定されています。

なぜ釣り好きを太公望と呼ぶのですか。

渭水で釣りをしていたところを文王に見いだされたという逸話によります。後世には「針を曲げず、餌も付けなかった」という言い伝えも加わり、魚ではなく時を待っていたと読まれるようになりました。

『封神演義』の姜子牙は史実ですか。

小説の設定です。元始天尊の弟子として、戦いで命を落とした者を神の位に封じる役を負いますが、これは明代の小説が作った筋書きであり、歴史や古い伝承とは別のものです。