顔のない袋のような神。七つの穴を開けられて死んだ、という寓話で知られる。
渾沌とは何の神様か
渾沌はひとことで言えば手を加えられて死んだ神です。
『荘子』の話がよく知られています。中央の帝である渾沌には、目・耳・鼻・口の七つの穴がありませんでした。もてなしを受けた南海の帝儵と北海の帝忽が、礼を返そうと考えます。
人には七つの穴があって、見て、聞いて、食べて、息をする。 この帝にだけ無い。開けてやろう。
一日に一つずつ穴を開け、七日目に渾沌は死にました。
『山海経』では、天山の神帝江と同じものとされます。体は黄色い袋のようで、のっぺらぼう、脚が六本に翼が四枚。
四凶に数えられるのは『春秋左氏伝』の系統で、そこでは渾敦と書かれ、善を嫌い悪に媚びる者として描かれます。
同じ名で、まるで違う存在が語られてきました。
渾沌の漢字表記と読み方
日本語ではこんとんと読みます。
表記が二通りあり、それぞれ指すものが違います。 『荘子』は渾沌と書き、顔のない中央の帝を指します。『春秋左氏伝』は渾敦と書き、四凶の一つとしての悪しき者を指します。
現代の日本語では「混沌」と書き、秩序のない状態を指す語として使われます。もとは神の名でした。
物事に無理に道理をつけることを「渾沌に目鼻を空ける」と言う言い回しも、この話に由来します。
渾沌(こんとん)
『荘子』での表記。中央の帝としての姿を指す。
渾敦(こんとん)
『春秋左氏伝』での表記。四凶の一つとしての姿を指す。
帝江(ていこう)
『山海経』に出る天山の神。渾沌と同じものとされる。
渾沌の物語
七日で死ぬ ─ 『荘子』の寓話
『荘子』内篇の應帝王篇に置かれた、短い話です。
南海の帝を儵、北海の帝を忽、中央の帝を渾沌といいました。儵と忽は、たびたび渾沌の地で会い、そのたびに手厚くもてなされます。
二人は礼を返そうと相談しました。
人にはみな七つの穴があって、見て、聞いて、食べて、息をする。 この帝にだけ、それが無い。試しに開けてみよう。
一日に一つずつ、穴を開けていきました。
七日目に、渾沌は死んだ。
善意でした。 恩に報いようとしただけです。それが相手を殺しました。
手を加えて良くしようとしたことが、そのものを殺した。 『荘子』はこの一点のために、この話を置いています。作為を退け、自然のままであることを説く書物の、もっとも鋭い一節です。
儵と忽は、どちらも「すばやい」を意味する語です。速さが、遅さを殺したとも読めます。
袋のような神 ─ 『山海経』の帝江
『山海経』には、帝江という天山の神が出てきます。
体は黄色い袋のようで、赤いことは丹火のごとし。 脚は六本、翼は四枚。のっぺらぼうで、顔も目もない。 それでいて歌と舞を心得ている。
顔がないという一点で、『荘子』の渾沌と同じものとされてきました。
さらに、帝江が帝鴻(黄帝)と同じと考えられたこと、『荘子』で渾沌が「中央の帝」とされることから、
もともとは黄帝と同じ存在だったのではないか、という見方があります。
中央を司る帝、という位置が共通しているためです。
明代の小説『封神演義』に出る鴻鈞道人は、渾沌氏を神格化したものだという説もあります。
顔がなく、袋のようで、それでも歌い踊る。形が定まらないものが形を持つという、扱いにくい神です。
四凶の渾敦 ─ 悪者にされた渾沌
『春秋左氏伝』の系統では、渾沌はまったく別の顔を見せます。
表記は渾敦。帝鴻氏の子とされ、四凶の一つに数えられます。
前漢の『神異経』は、その姿をこう書きます。
犬のようで長い毛が生え、爪のない脚は熊に似ている。 目はあるが見えず、耳はあるが聞こえない。 いつも自分の尻尾をくわえてぐるぐる回り、空を見ては笑っている。
そして、善人を忌み嫌い、悪人に媚びるとされます。
この怪物としての渾敦は、神話上の渾沌が歴史の中に組み込まれ、帝江の姿と結び付いて生まれたものだと考えられています。
『荘子』の渾沌は、悪くありません。ただ穴がないだけです。それが四凶に数えられるようになった経緯には、思想書の寓話が歴史書の悪役に読み替えられるという道筋がありました。
目も耳もあるのに働かない、という書き方には、七つの穴を開けられた話の名残が感じられます。
渾沌の家系図と家族
渾沌の性格と人物像
渾沌には、「何もしない」という性格しかありません。
『荘子』の渾沌は、客をもてなすだけです。争わず、求めず、ただそこにいます。穴がないのは欠けているのではなく、そういう形でした。
殺したのは敵ではありません。恩を返そうとした友人です。
良かれと思ったことが、相手の形を壊した。
この一点が、渾沌という神のすべてです。
『山海経』の帝江も、何かをするわけではありません。袋のような姿で、歌い踊っているだけです。
それが『春秋左氏伝』では、善人を嫌い悪人に媚びる者にされました。何もしない存在は、悪くも善くも読めるということでしょう。
現代の日本語で「混沌」が秩序のない状態を指すのも、この読み替えの延長にあります。もとは手を加えられていない状態を指す、価値判断のない言葉でした。
何もしないことに意味を見るか、怠慢と見るか。 渾沌の評価は、いつもそこで割れてきました。
渾沌ゆかりの地と遺跡
渾沌を祀る廟はありません。 思想書の寓話に出る存在であり、信仰の対象ではないからです。
『荘子』の話が置かれた「中央」も、実在の地名ではありません。南海・北海と並べるための位置であって、地図の上の場所ではないと考えられます。
場所を持たないことは、この神にふさわしいとも言えます。 形が定まらないものに、住所はありません。
中国各地に「混沌」を冠した地名はありますが、この神を祀ったものではありません。
渾沌が現代に残した痕跡
渾沌の名は、日常の言葉として残りました。
混沌: 秩序のない状態を指す語。もとは神の名で、手を加えられていない状態を指した。
「渾沌に目鼻を空ける」: 物事に無理に道理をつけることのたとえ。『荘子』の話に由来する。
儵忽: たちまち、の意。二人の帝の名がそのまま「すばやいこと」を指す語として使われる。
ワンタン: 中国の点心「餛飩」は、渾沌と同じ音から名付けられたとする説がある。
渾沌のご利益
知恵
手を加えすぎることの害を説く話として、判断の戒めに用いられてきた。
忍耐
手を出さずに待つことの意味を伝える存在とされる。
厄除け
四凶の一つとして、その名を挙げることで悪を退けるとされた。
渾沌が登場するゲーム・アニメ
創作では、四凶の一体として力の強い怪物に描かれることがほとんどです。 『荘子』の穏やかな帝としての姿は、まず扱われません。
いっぽう、七つの穴の寓話そのものは、物語の外で広く引かれ続けています。良かれと思った手出しが相手を損なう、という筋書きは、いつの時代にも当てはまるためでしょう。
渾沌が登場するアニメ・漫画
封神演義(漫画・アニメ)
鴻鈞道人を渾沌氏の神格化とする説が、作品の設定に取り入れられることがあります。
哲学や寓話を扱う作品
七つの穴の話は、善意が害になることの例として繰り返し引かれます。
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渾沌についてよくある質問
渾沌は何ですか。
中国神話の神、または怪物です。『荘子』では目・耳・鼻・口の七つの穴がない中央の帝として、『春秋左氏伝』では四凶の一つ「渾敦」として、『山海経』では天山の神・帝江として語られます。
七つの穴の話はどういう意味ですか。
手を加えて良くしようとしたことが、そのものを殺したという話です。『荘子』は、作為を退けて自然のままであることを説くために、この寓話を置いています。
なぜ四凶に数えられるのですか。
『春秋左氏伝』の系統で「渾敦」と書かれ、帝鴻氏の子として、善人を嫌い悪人に媚びる者と描かれたためです。『荘子』の穏やかな帝とは別の系統の話で、後から結び付いたと考えられています。
「混沌」という言葉の由来ですか。
そうです。もとは神の名で、手を加えられていない状態を指しました。そこから、秩序のない状態を指す語として使われるようになりました。