相撲の祖。殉死をやめさせ、埴輪を提案した。
野見宿禰とは何の神様か
野見宿禰はひとことで言えば相撲の祖です。垂仁天皇の前で當麻蹴速(たいまのけはや)と力比べをして勝ちました。日本最初の相撲とされます。
もうひとつ大きな功績があります。皇后が亡くなったとき、当時は近習を生き埋めにして殉死させていました。この人物が代わりの案を出します。
土で人や馬を作って立てる。これが埴輪の起源とされます。
野見宿禰の漢字表記と読み方
読みは「のみのすくね」です。「スクネ(宿禰)」は古代の姓(かばね)で、功績のある臣に与えられた称号です。武内宿禰と同じです。
出雲の出身とされます。「ノミ」の意味ははっきりしていません。
この人物は土師(はじ)氏の祖とされます。「ハジ」は埴(はに/粘土)に由来し、埴輪や土器を作り、葬送を担った一族です。
菅原道真も、この土師氏から分かれた家の出です。
野見宿禰(のみのすくね)
日本書紀での表記。
野見宿禰の物語
日本最初の相撲
當麻蹴速という力自慢がいました。
天下に、我と力を競える者はいるまい。
垂仁天皇がこれを聞き、対抗できる者を探させます。出雲から呼ばれたのが野見宿禰でした。
二人は向き合い、互いに蹴り合いました。
蹴速が脇骨を蹴り折り、さらに腰を踏み折って殺した。
いまの相撲とはかけ離れた、命がけの立ち合いです。勝った野見宿禰は、蹴速の土地を与えられて天皇に仕えました。
生き埋めをやめさせる
垂仁天皇の弟が亡くなったとき、近習が陵のまわりに生き埋めにされました。
数日死なずして、昼夜泣き吟ふ。
数日死なずに、昼も夜も泣き叫んだと日本書紀は記します。犬や鳥が集まって食べたともあります。
天皇はこれを聞いて嘆きました。
愛(うつく)しきに従へと雖も、甚だ傷し。
次に皇后が亡くなったとき、どうすべきかを群臣に問います。
埴輪という案
野見宿禰が申し出ました。
出雲国の土部(はじべ)百人を召して、土を取りて人・馬、種々の物の形を作らむ。
出雲から土器職人を呼び、土で人や馬の形を作って陵に立てるという案です。
天皇は喜び、これを採用しました。
是より後、陵墓に土物を立つ。
野見宿禰は土師臣の姓を与えられ、以後この一族が葬送を担いました。
実際の考古学では、埴輪の起源はこれとは別と考えられていますが、殉死の代替として説明されたことに意味があります。
相撲の神として
野見宿禰は、相撲の祖神として祀られてきました。
両国国技館の近くに野見宿禰神社がある。
東京都墨田区にあり、日本相撲協会が管理しています。場所の前には、理事長や審判部の親方が必ず参拝します。
新弟子検査の前に参る力士もいます。
島根県には野見宿禰神社が複数あり、出身地とされる土地に伝承が残ります。
野見宿禰の家系図と家族
野見宿禰の性格と人物像
野見宿禰は、力と知恵の両方を持つ人です。
相手を蹴り殺すほどの力を持ちながら、生き埋めをやめさせる案を出しました。
どちらも「人の死」に関わる場面です。一方では殺し、一方では救っています。
埴輪の案がこの人物の発想であったかは分かりません。しかし古い習慣を新しい形に置き換えた功績として語り継がれました。土師氏という一族の始まりにふさわしい伝えです。
野見宿禰を祀る神社
野見宿禰を祀る社は、相撲にゆかりの地にあります。
東京都墨田区の野見宿禰神社は、両国国技館の近くにあり、日本相撲協会が管理しています。場所前には理事長らが参拝します。
島根県にも同名の社が複数あり、出身地とされる出雲の地に伝承が残ります。
奈良県桜井市の相撲神社は、日本最初の相撲が行われた地と伝えます。
野見宿禰が現代に残した痕跡
野見宿禰の名は、相撲と土師氏に残りました。
相撲: この人物と當麻蹴速の力比べが最初とされる。もとは神事だった。
埴輪: 殉死の代わりに立てた土の像。この人物の案とされる。
土師(はじ): 埴輪や土器を作り葬送を担った一族。菅原道真もこの系統。
野見宿禰のご利益
勝負運
日本最初の相撲に勝ったことによる。
厄除け
相撲がもともと神事であったことによる。
技芸上達
土師氏の祖とされることによる。
野見宿禰についてよくある質問
野見宿禰とはどんな人物ですか。
相撲の祖とされる人物です。垂仁天皇の前で當麻蹴速と力比べをして勝ちました。埴輪の起源を提案した人物でもあります。
埴輪は本当にこの人物が考えたのですか。
考古学では、埴輪の起源はこれとは別と考えられています。ただし殉死の代わりとして説明された点に意味があります。
いまも祀られていますか。
東京都墨田区の野見宿禰神社を日本相撲協会が管理しており、場所前には理事長らが参拝します。