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日本神話

武内宿禰とは何の神様か|家系図・物語・祀る神社

武内宿禰  / タケノウチノスクネ

大地 天孫

五代の天皇に仕えたとされる伝説の重臣。長寿の象徴。

武内宿禰とは何の神様か

武内宿禰はひとことで言えば日本最長の忠臣です。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代に仕えたとされます。

神功皇后の朝鮮出兵を支え、応神天皇の養育にも関わりました。

在位期間を合計すると200年を超えるため、実在の人物ではなく、複数の人物をまとめた姿と考えられています。

武内宿禰の漢字表記と読み方

読みは「たけのうちのすくね」です。「たけしうち」とも読みます。

「スクネ(宿禰)」は、古代の姓(かばね)のひとつです。功績のある臣に与えられました。個人名ではなく、称号にあたります。

つまり「タケノウチのスクネ」は、「タケノウチ家の重臣」という呼び方です。

特定の一人ではなくその地位にあった複数の人物を指すとする説の、根拠のひとつになっています。

武内宿禰(たけのうちのすくね)

日本書紀での表記。

建内宿禰(たけしうちのすくね)

古事記での表記。

武内宿禰の物語

  1. 五代に仕える
  2. 神功皇后を支える
  3. 弟に讒言される
  4. お札の顔になる

五代に仕える

武内宿禰が仕えたとされる天皇は、五代にわたります。

景行天皇ヤマトタケルの父
成務天皇
仲哀天皇 ─ 神功皇后の夫
応神天皇八幡神とされる
仁徳天皇 ─ 大阪の大仙陵古墳

記紀の年代をそのまま合計すると、280年以上生きたことになります。

古代の天皇の在位年数は総じて長く記されており、この人物だけの問題ではありません。年代の伸長がどこで起きたかを考える手がかりとされます。

神功皇后を支える

仲哀天皇が急死したあと、神功皇后は身重のまま朝鮮半島へ渡ったと伝えられます。

武内宿禰は、この遠征を終始そばで支えました

帰国後、皇后が産んだ子が応神天皇です。武内宿禰はその養育にも関わりました。

皇后の右腕であり、次の天皇の育ての親。

八幡神として祀られる応神天皇と結びつくため、八幡系の社に相殿として祀られる例が多くあります。

弟に讒言される

応神天皇の代、弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)が兄を陥れようとしました。

兄は謀反を企てております。

天皇は武内宿禰を殺そうとします。しかし本人が現れて申し開きをし、探湯(くかたち)で決着をつけることになりました。

熱湯に手を入れ、無事な者が正しいという古代の裁判です。

武内宿禰は無事で、弟は火傷を負いました。潔白が神意によって証明された、という形です。

お札の顔になる

武内宿禰は、明治から昭和にかけて紙幣の肖像になりました。

明治22年の一円券をはじめ、複数の紙幣に登場。

長寿と忠義の象徴として選ばれたためです。

実在が確かめられていない人物が紙幣に載ったことになりますが、当時は記紀の記述が歴史として扱われていました。

神功皇后もまた、日本で最初に紙幣の肖像になった人物です。二人はともに、近代国家が理想とした姿を担わされました。

武内宿禰の家系図と家族

武内宿禰の性格と人物像

武内宿禰は、仕え続けた人です。

自ら天皇になろうとはしませんでした。讒言されても弁明し、潔白を示して、また仕えました。

その姿が長寿と結びついて、忠臣の理想像になりました。白い長い髭の老人として描かれるのが定型です。

実在しなかったとしても、「代々仕え続ける臣下」という一族のあり方そのものを人の形にしたと考えれば、この人物の意味が見えてきます。蘇我氏・葛城氏・紀氏など、多くの有力氏族がこの人物を祖と称しました。

武内宿禰を祀る神社

武内宿禰を祀るのは、鳥取の宇倍神社が中心です。因幡国一宮にあたります。

公式の伝えでは、この人物は宇倍の地で双履石(そうりせき)の上に沓を残して姿を消したとされます。死んだとは記されません。

明治期の五円券・一円券に、この社の社殿が描かれました。日本の紙幣にはじめて描かれた神社です。

八幡系の社に相殿として祀られる例も広くあります。

宇倍神社(うべじんじゃ)

因幡国一宮

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宇倍神社の住所: 鳥取県鳥取市国府町宮下651

宇倍神社の御祭神: 武内宿禰命

宇倍神社のご利益: 長寿

この人物が最後に至った地と伝える。明治の紙幣に社殿が描かれた。

双履石(そうりせき)に沓を残して姿を消したと伝える。

周辺の宿をさがす

宇倍神社へ参拝するときの、鳥取県鳥取市の宿を探せます。

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宇佐神宮(うさじんぐう)

豊前国一宮

地図で開く

宇佐神宮の住所: 大分県宇佐市南宇佐2859

宇佐神宮の御祭神: 八幡大神・比売大神・神功皇后

宇佐神宮のご利益: 国家鎮護

養育に関わった応神天皇を祀る社。武内宿禰は相殿に祀られる例が多い。

周辺の宿をさがす

宇佐神宮へ参拝するときの、大分県宇佐市の宿を探せます。

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武内宿禰が現代に残した痕跡

武内宿禰の姿は、紙幣に残りました

紙幣の肖像: 明治22年の一円券など複数の紙幣に描かれた。長寿と忠義の象徴として。

宿禰(すくね): 古代の姓のひとつ。功績のある臣に与えられた称号。

双履石: 宇倍神社にある石。沓を残して姿を消したと伝える。

武内宿禰のご利益

長寿

五代の天皇に仕えたという伝えによる。

出世開運

重臣として仕え続けたことによる。

安産

応神天皇の養育に関わったことによる。

武内宿禰についてよくある質問

武内宿禰とはどんな人物ですか。

景行から仁徳まで五代の天皇に仕えたとされる重臣です。神功皇后の遠征を支え、応神天皇の養育にも関わりました。

本当に実在したのですか。

在位期間を合計すると200年を超えるため、実在の一人ではなく、複数の人物をまとめた姿と考えられています。「宿禰」は個人名ではなく称号です。

お札になったというのは本当ですか。

明治22年の一円券をはじめ、複数の紙幣に肖像が描かれました。長寿と忠義の象徴として選ばれています。