孝安天皇の子。吉備との関わりが名にだけ残る。
オオキビノモロススミとは何の神様か
オオキビノモロススミはひとことで言えば名前だけが吉備を指す人です。第六代孝安天皇と、その姪にあたる押媛命の子とされます。
古事記に名は見えますが、この人物自身の事績を示す記述は存在しません。日本書紀には登場しません。
名に「吉備」とあることから、いまの岡山県周辺に何らかの関わりがあったと推察されるにとどまります。
オオキビノモロススミの漢字表記と読み方
読みは「おおきびのもろすすみ」です。「オオ」は大、「キビ」は吉備という地名、「モロ」は諸、「ススミ」は進むを指します。
多くの者を率いて進むとも読めます。
「モロ」は、いまも諸手(もろて)や諸共(もろとも)に残る語です。
ただし、名の解釈を裏づける記述はありません。吉備という地名だけが確かな手がかりです。
大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)
古事記での表記。日本書紀には登場しない。
オオキビノモロススミの物語
欠史八代という時期
この人物が置かれているのは、欠史八代と呼ばれる部分です。
第二代 綏靖天皇から第九代 開化天皇まで。
この八代について、記紀は系譜だけを記し、事績をほとんど書きません。
名前、后の名、子の名、宮の場所、陵の場所。それだけが並びます。
この人物は第六代孝安天皇の子ですから、まさにその真ん中にいます。事績がないのは、この人物だけの問題ではありません。時期全体がそうなのです。
大吉備津彦との取り違え
この人物は、しばしば大吉備津彦命と混同されます。
大吉備津彦命 ─ 第七代孝霊天皇の皇子。四道将軍のひとり。桃太郎伝説のもとになったとされる。
大吉備諸進命 ─ 第六代孝安天皇の子。事績なし。
親が違い、世代も一つずれています。
名の頭が同じ「大吉備」であることが、取り違えのもとになっています。
大吉備津彦は吉備津神社(岡山県岡山市)の祭神で、温羅という鬼を退治した伝説を持ちます。物語の量が、二人でまったく違います。
吉備という国
吉備は、いまの岡山県と広島県東部にあたります。
大和・出雲と並ぶ、古代の大勢力。
造山古墳は全長三五〇メートル、全国第四位の規模。
大和の王家が、吉備の名を子に与えているのは偶然ではありません。
吉備との関係を系譜のうえで示すために、名に地名を入れるという方法が使われました。
この人物に事績がないのは、名前そのものが役目だったからだと読むこともできます。名を置くことで、吉備との縁が主張されます。
オオキビノモロススミの家系図と家族
オオキビノモロススミの性格と人物像
オオキビノモロススミは、名前が仕事の人です。
何もしていません。どこへも行っていません。それでも古事記は、その名を記しました。
大吉備という三文字が、大和と吉備の関係を語ります。
事績を書く必要はありません。系譜に名があること自体が、主張になっているからです。欠史八代の人物たちは、いずれもそうした役目を負っています。書かれなかったことに意味があるという読み方が必要です。
オオキビノモロススミゆかりの地と遺跡
この人物を祀る社は、確認されていません。
欠史八代の皇子には、社を持たない例が多く見られます。
名の似た大吉備津彦命は岡山市の吉備津神社の祭神ですが、こちらは別の人物です。混同しやすい点なので、注意が必要です。
オオキビノモロススミが現代に残した痕跡
オオキビノモロススミの名は、系譜のなかに残りました。
欠史八代: 第二代から第九代までの、事績がほとんど記されない八代。
吉備: いまの岡山県と広島県東部。大和・出雲と並ぶ古代の大勢力。
新撰姓氏録: 平安初期の氏族の名簿。この人物の名が挙がる。
オオキビノモロススミのご利益
国土安泰
吉備との関わりを示す名であることによる。
子孫繁栄
天皇の系譜に位置することによる。
オオキビノモロススミについてよくある質問
オオキビノモロススミとはどんな人物ですか。
第六代孝安天皇と押媛命の子とされる人物です。古事記に名が見えるだけで事績は記されず、日本書紀には登場しません。名に吉備を含むことだけが手がかりです。
大吉備津彦命と同じですか。
別人です。大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で、世代が一つずれます。桃太郎伝説のもとになったとされるのはそちらです。
なぜ事績が記されていないのですか。
欠史八代と呼ばれる時期に属するためです。第二代から第九代までは、系譜だけが記され、事績がほとんど書かれていません。