神武天皇の長子。弟たちを殺そうとして討たれた。
タギシミミとは何の神様か
タギシミミの漢字表記と読み方
読みは「たぎしみみ」です。「ミミ」は古い時代の皇族の名に多く見られる語尾です。
「タギシ」については定説がありません。舵(かじ)とする説、手研(たぎし/研ぎ澄ました手)とする説などがあります。
弟たちの名もカムヤイミミ、カムヌナカワミミと、いずれも「ミミ」を含みます。
同世代の皇族に共通する語尾であったことが分かります。
当芸志美美命(たぎしみみのみこと)
古事記での表記。
手研耳命(たぎしみみのみこと)
日本書紀での表記。
タギシミミの物語
東征に同行したのか
古事記は神武天皇が日向で阿比良比売との間に多芸志美美命らをもうけたことを記しますが、タギシミミが東征の全行程に同行したかを詳しく物語りません。
現行記事内で「同行しなかった」と「同行した」を両方断定することはできません。確実なのは、神武天皇の死後、大和の宮廷で反逆譚に登場することです。
なぜ父の皇后を妻にしたのか
古事記はタギシミミが父の嫡后・伊須気余理比売を妻としたと記します。これを王位の正統性確保と説明する研究はありますが、本文は本人の動機を語りません。
現代の家族観だけで異常と評するのでも、古代の一般的慣習と断定するのでもなく、継承争いの物語上の事実として示します。
皇后の二首の歌
皇后は息子たちへ直接告げず、狭井河・畝火山・雲・風を詠んだ二首で危険を知らせます。木の葉が騒ぐのを謀反の前触れにたとえた歌です。
古事記は歌を単なる装飾ではなく、言葉にできない宮廷の危機を伝える手段として置きます。
タギシミミを討ったのは誰か
武器を最初に取ったのは神八井耳命ですが、手足が震えて実行できません。そこで神沼河耳命が武器を受け取り、タギシミミを討ちます。
神八井耳命は弟に皇位を譲り、自らは祭祀を担う氏族の祖とされます。反逆の結果だけでなく、第二代天皇の選定を説明する物語です。
タギシミミの家系図と家族
タギシミミの親: 神武天皇
タギシミミの性格と人物像
タギシミミは、記紀で初代天皇の死後に起きる皇位継承危機の中心人物です。長子だから当然に位を得た、日向系だから排除された、と本文は説明しません。
確実なのは、皇后の子たちを殺そうとし、皇后の歌と二皇子の先制によって討たれたことです。政治史の復元は研究説として区別します。
タギシミミゆかりの地と遺跡
橿原神宮の祭神は神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛皇后で、タギシミミ本人ではありません。父子関係や物語の舞台だけで本人の神社として表示しません。本人を主祭神とする代表社は今回確定できませんでした。
タギシミミが現代に残した痕跡
タギシミミの物語は、歌に残りました。
風吹かむとす: 母が危険を知らせた歌の一節。異変の前触れを表す。
狭井河: 奈良県桜井市。歌に詠まれた川。大神神社の摂社、狭井神社がある。
タギシミミのご利益
タギシミミ本人への祈願・祭祀を確認できません。反逆の教訓だから厄除けという説明は、信仰上のご利益にはならないため掲載しません。
タギシミミについてよくある質問
タギシミミは神武東征に同行しましたか。
記紀は同行の全行程を詳しく語りません。同行した・しなかったと断定せず、神武天皇死後の大和で反逆譚に登場することを示します。
タギシミミを討ったのは誰ですか。
神沼河耳命、のちの綏靖天皇です。兄の神八井耳命は武器を取りましたが実行できず、弟が受け取って討ちました。
手研耳命とタギシミミは同じ人物ですか。
同じ人物です。古事記では多芸志美美命、日本書紀では手研耳命など、資料により表記が異なります。
タギシミミの母は誰ですか。
古事記では阿比良比売です。神武天皇が日向にいた時期の妃で、タギシミミは後に大和で皇后となる伊須気余理比売の子たちとは異母兄弟に当たります。
タギシミミの反逆を皇后はどう知らせましたか。
伊須気余理比売は二首の歌で皇子たちへ危険を知らせました。雲や風に騒ぐ木の葉を謀反の兆しとして詠み、直接言えない宮廷の危機を暗示します。
神八井耳命はなぜ天皇にならなかったのですか。
タギシミミを前に手足が震えて討てず、実行した弟の神沼河耳命へ皇位を譲ったと古事記は説明します。神八井耳命は祭祀者となり、多氏などの祖とされます。
タギシミミは第二代天皇になったのですか。
なっていません。父の死後に権力を握りますが反逆を企てて討たれ、神沼河耳命が綏靖天皇として即位します。皇位継承の空白を推測で補わないようにします。
タギシミミは神として祀られていますか。
本人を主祭神とする代表的な現存社は今回確認できませんでした。物語に登場する皇子であることと、現在も祭神として信仰されることは別です。