神武天皇の長兄。東征の途中、矢傷がもとで亡くなる。
五瀬命とは何の神様か
五瀬命の漢字表記と読み方
読みは「いつせ」です。「イツ」は厳(いつ)で、きよらかで犯しがたいことを指します。「セ」は兄とする説があります。
つまり尊い兄という意味に読めます。
四兄弟のうち、名に「イツ」を含むのはこの人だけです。長兄としての位置が、名にも表れていると見られます。
五瀬命(いつせのみこと)
古事記・日本書紀に共通する表記。
彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
日本書紀での表記。
五瀬命の物語
五瀬命は東征の総大将だったのか
五瀬命は四兄弟の長兄で東征に同行し、戦いと進路変更で重要な発言をします。古事記以前に五瀬命を東征の主人公とする伝承があったという研究説もあります。
しかし記紀の完成形で「総大将」という官職名が与えられるわけではありません。東征の発案者・本来の主役とする説明は研究上の復元説として扱います。
矢を受けたのは肘か手か
古事記は「御手に登美毘古が痛矢串を負ひたまひき」と記し、手に矢傷を負ったとします。日本書紀では孔舎衛坂の戦いで流れ矢が肘脛に当たったと記されます。
「左肘」と一つに固定するのではなく、古事記は手、日本書紀は肘脛という資料差を示します。
竈山神社と竈山墓
和歌山市の竈山神社は彦五瀬命を主祭神とし、隣接する竈山墓は宮内庁が五瀬命の墓として治定しています。神社の社殿と陵墓は別の施設です。
参拝・訪問時には竈山神社の住所と、陵墓への入口を地図で取り違えないようにします。
五瀬命の家系図と家族
五瀬命の性格と人物像
五瀬命は、始めた人です。
東へ行こうと言い出し、軍を率い、そして最初に倒れました。天下を治めたのは弟です。
矢を受けたとき、敵を責めるのではなく自分たちの進み方を疑いました。この筋の通し方が、この人物の描かれ方の中心にあります。
最後の言葉は無念そのものでした。神ではなく、人として死んだという印象を残す描写です。
五瀬命を祀る神社
五瀬命を祀るのは、和歌山市の竈山神社です。この人物の墓所と伝える地に建てられました。
神武東征にゆかりの社は、大阪から和歌山、熊野にかけて点在します。
総大将でありながら、祀られる社は多くありません。天下を治めた弟のほうに、記録も社も集まりました。
五瀬命が現代に残した痕跡
五瀬命の名は、紀伊の地に残りました。
竈山: 和歌山市の地名。五瀬命を葬った地と伝える。
日下(くさか): 大阪の地名。矢を受けた地とされる。日の下という字を当てる。
五瀬命のご利益
武運長久
東征を率いた将であることによる。
厄除け
竈山神社での信仰による。
五瀬命についてよくある質問
五瀬命は神武東征の総大将ですか。
長兄として重要な役割を担いますが、記紀が総大将という官職名を付けるわけではありません。五瀬命を本来の主人公とみる研究説があります。
五瀬命はどこを負傷しましたか。
古事記は手、日本書紀は肘脛に矢が当たったと記します。資料により表現が異なるため、肘だけに固定できません。
五瀬命の墓はどこですか。
和歌山市の竈山墓です。隣接する竈山神社は彦五瀬命を祀る神社で、陵墓とは別の施設です。
五瀬命はなぜ日を背にして戦おうとしたのですか。
日の神の子孫である自分たちが日に向かって戦ったことを敗因と考えたためです。南から回り、太陽を背負って大和へ入るという宗教的・軍事的な進路変更を提案しました。
五瀬命が亡くなった場所と墓は同じですか。
古事記では男之水門で雄叫びを上げ、紀国の竈山で亡くなったとします。現在の竈山墓は宮内庁治定墓ですが、物語上の経路と現代の陵墓指定を同一種類の証拠とはしません。
五瀬命の死後、神武東征は終わったのですか。
終わりません。弟の神倭伊波礼毘古命らが熊野を経て大和へ進みます。五瀬命の負傷と死は、東からの日向戦を避けて南へ迂回する物語上の大きな転換点です。
五瀬命と彦五瀬命は別人ですか。
同じ神を指す表記です。古事記では五瀬命、日本書紀や竈山神社では彦五瀬命の名が用いられます。資料や祭祀で敬称・表記が異なります。