神武天皇より先に大和へ降った天孫。物部氏の祖とされる。
ニギハヤヒとは何の神様か
ニギハヤヒはひとことで言えばもう一人の天孫です。
神武天皇より先に大和へ降っていたとされ、天磐船に乗って天降ったと伝えられます。
神武東征のとき、互いに天孫の証を示し合い、ニギハヤヒは神武に従いました。天孫が二人いたという記述は、大和にもとから別の勢力があったことを示すと解釈されます。
ニギハヤヒの漢字表記と読み方
読みは「にぎはやひ」です。「ニギ」は和やか、「ハヤヒ」は太陽の勢いを指すとされます。
「ニギ」は和魂(にぎみたま)の「ニギ」と同じで、穏やかな側面を表します。「ハヤヒ」はミカハヤヒ・ヒハヤヒと同じ形で、火や光の勢いです。
名の作りから、太陽神の性格を持つと解釈されます。
饒速日命(にぎはやひのみこと)
日本書紀での表記。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
古事記での表記。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
先代旧事本紀での長い名。天火明命と同一とする立場による。
ニギハヤヒの物語
天磐船で降りていた
神武と、天孫の証を示し合う
神武が大和に迫ったとき、ナガスネヒコは激しく抵抗しました。
ナガスネヒコは「我が君ニギハヤヒも天神の子である」と主張し、その証として天羽々矢と歩靫を示します。神武も同じものを示しました。
証が、一致した。
どちらも本物の天孫だったわけです。ニギハヤヒは神武の正統を認め、抵抗をやめないナガスネヒコを討って帰順しました。
物部氏の祖
ニギハヤヒは物部(もののべ)氏の祖神とされます。
物部氏は軍事と祭祀を担った有力な氏族で、石上神宮を管理しました。石上神宮は日本最古級の神宮とされ、神剣を祀る社です。
大和には、天皇家より先に天から降った一族がいた。
この伝承を物部氏が伝えたことになります。記紀に、天皇家以外の天孫が記されている点が重要です。
天火明命と同じか
ニギハヤヒは、天火明命(あめのほあかりのみこと)と同一とする説があります。
先代旧事本紀という書物が、両者を一つの長い名で記しているためです。
天火明命は尾張氏の祖とされます。もし同一なら、物部氏と尾張氏が同じ祖を持つことになります。
ただし記紀は両者を別に記しており、確定していません。
ニギハヤヒの家系図と家族
ニギハヤヒの性格と人物像
ニギハヤヒは、記紀が消しきれなかった存在です。
天皇家の物語からすれば、天孫は一つでなければなりません。それなのに記紀は、もう一人の天孫を記しました。
物部氏という有力な一族が伝えた伝承を、無視できなかったからと考えられます。大和に先住の勢力があったという歴史が、神話の形で残った例です。
ニギハヤヒを祀る神社
ニギハヤヒを祀る社は、河内と大和に分布します。
天磐船が降りた地とされる交野(かたの)、物部氏の本拠であった河内、そして石上神宮のある大和が中心です。
大阪の磐船神社は、巨岩を神体とし、天磐船が降った場所と伝えられます。
ニギハヤヒが現代に残した痕跡
ニギハヤヒの名は、氏族と地名に残りました。
物部氏: ニギハヤヒを祖神とする氏族。軍事と祭祀を担い、石上神宮を管理した。
天磐船: 天から降るときに乗ったとされる船。大阪の磐船神社に巨岩が残る。
ニギハヤヒのご利益
産業繁栄
物部氏が技術と軍事を担ったことによる。
厄除け
石上神宮が神剣を祀り、除災の社とされることによる。
開運
太陽神の性格を持つとされることによる。
ニギハヤヒについてよくある質問
ニギハヤヒとはどんな神様ですか。
神武天皇より先に大和へ降ったとされる天孫です。天磐船に乗って天降り、ナガスネヒコの妹を妻としていました。物部氏の祖神とされます。
なぜ天孫が二人いるのですか。
物部氏が伝えた伝承を、記紀が無視できなかったためと考えられます。大和に先住の勢力があったという歴史が、神話の形で残った例とされます。
天火明命と同じですか。
同一とする説があります。先代旧事本紀が両者を一つの長い名で記しているためです。ただし記紀は別に記しており、確定していません。
ニギハヤヒと併せて覚えたい言葉・用語
天孫降臨(てんそんこうりん)
アマテラスの孫ニニギが高天原から地上へ降りたこと。