神武天皇の兄。嵐の海に身を投げた。
稲飯命とは何の神様か
イナヒはひとことで言えば海に還った兄です。神武天皇の次兄にあたります。
東征の途中、紀伊の海で暴風に遭いました。長兄はすでに矢傷で亡くなっています。
イナヒは剣を抜いて海に入り、「父方は天の神、母方は海の神。それなのになぜ私を苦しめるのか」と叫びました。そのまま鋤持神になったと記されます。
稲飯命の漢字表記と読み方
読みは「いなひ」です。「イナ」は稲を指すとする説が有力です。
四兄弟の名を並べると、食べ物にゆかりの名が並びます。
イツセ ─ 五瀬
イナヒ ─ 稲飯
ミケヌ ─ 御毛沼
ワカミケヌ(神武)─ 若御毛沼
稲、御饌(神への食物)。三人までが食に関わる名を持っています。
豊かさを表す名が、皇統の始まりに置かれています。
稲飯命(いなひのみこと)
古事記・日本書紀に共通する表記。
稲氷命(いなひのみこと)
別の字を当てた表記。
稲飯命の物語
長兄を失ったあと
東征は、長兄イツセが率いていました。しかし大阪でナガスネヒコに矢傷を負い、紀伊で亡くなります。
総大将を失った軍が、海路を進む。
そこへ暴風が襲いました。
船は木の葉のように翻弄されます。
四兄弟のうち二人が、この場面で去ることになります。残るのは末子だけです。
天の神と、海の神
鋤持神になる
叫び終えたイナヒは、そのまま海に入りました。
鋤持神(さひもちのかみ)と為りぬ。
鋤持神とは、鮫(さめ)を指すとされます。
「サヒ」は刀・剣を意味し、剣を持つように鋭い歯を持つもの、つまり鮫と解されます。
死んだのではなく、海の神になったという書き方です。
母方が海神である以上、海へ帰ったとも読めます。
兄たちが消える理由
四兄弟のうち、三人が消えます。
イツセ ─ 矢傷で死ぬ
イナヒ ─ 海に入って鋤持神になる
ミケヌ ─ 波を踏んで常世へ渡る
ワカミケヌ ─ 残って初代天皇になる
末子成功譚の形です。
日本の物語では、末子が成功する型が繰り返し現れます。
上の兄たちがそれぞれ違う去り方をしているのが特徴です。死・海・常世。同じ結末を避けて書かれています。
稲飯命と新羅の関係
新撰姓氏録の新良貴氏の系譜には、稲飯命が新羅へ渡って国主になったという所伝があります。これは記紀の海原へ入る話から派生した後世の伝承と考えられています。
したがって「新羅王の祖」とする説は存在しますが、古事記・日本書紀の本文がそう記すわけではありません。資料名と成立時期を分けます。
古事記と日本書紀で最期が違う
古事記は稲氷命が母の国である海原へ入ったと系譜で簡潔に記します。日本書紀は神武東征中の暴風で天神・海神を父母に持つのに苦しめられると嘆き、剣を抜いて海へ入り鋤持神となる場面を描きます。
詳細な台詞と鮫への変化は、日本書紀側の伝承です。
鋤持神は鮫なのか
鋤持神・佐比持神を鮫と解するのが一般的ですが、サヒを剣と取り、剣を持った神と読む説もあります。「鋭い歯だから鮫」と古典本文が説明するわけではありません。
死を意味するか、海神への変身かにも解釈があり、単純に海へ還った美談へ固定しません。
稲飯命の家系図と家族
稲飯命の性格と人物像
イナヒは、問うた人です。
黙って死んだのではありません。「なぜ私を苦しめるのか」と、はっきり叫びました。
日本神話で、神々に向かって理不尽を訴える場面は多くありません。
しかも訴えた相手は、自分の先祖です。天の神も海の神も、この人物の血縁にあたります。
身内に見放されたという叫びが、この場面の重さを作っています。
稲飯命を祀る神社
日前神宮・國懸神宮の主祭神は日前大神・國懸大神で、稲飯命ではありません。物語の舞台が紀伊に近いというだけの神社カー?ドは外しました。
本人を祭神として明示する代表社は今回確定できませんでした。神社名や所在地が確認できない「鳥取県の神社」という曖昧な案内も掲載しません。
稲飯命が現代に残した痕跡
イナヒの名は、海の伝承に残りました。
鋤持神(さひもちのかみ): 鮫を指すとされる。「サヒ」は刀・剣を意味する。
末子成功譚: 末子が成功する物語の型。四兄弟のうち三人が去り、末子が天皇になる。
稲飯命のご利益
稲を含む名や海へ入った物語から豊穣・海上安全を連想できますが、本人への現在の祈願を確認できないため、ご利益として断定しません。
稲飯命についてよくある質問
イナヒとはどんな人物ですか。
神武天皇の次兄です。東征の途中、紀伊の海で暴風に遭い、剣を抜いて海に入り鋤持神になったと記されます。
何と叫んだのですか。
「私の先祖は天の神、母は海の神である。それなのになぜ、陸でも海でも私を苦しめるのか」という言葉です。
鋤持神とは何ですか。
鮫を指すとされます。「サヒ」は刀・剣を意味し、剣のように鋭い歯を持つものと解されます。
稲飯命は新羅の王になったのですか。
新撰姓氏録に新羅へ渡り国主となった所伝がありますが、記紀本文にはありません。海原へ入った伝承から派生した後世の系譜説とみられます。
稲飯命は鮫になったのですか。
日本書紀の鋤持神を鮫と解する説が一般的です。一方で剣を持つ神とする読みもあり、古事記は母の国の海原へ入ったとだけ記します。
稲飯命と併せて覚えたい言葉・用語
カー(kꜣ/生命力)
人と一緒に生まれ、死後も供物を受け取る生命力。クヌムがろくろで人を作るとき、肉体とカーの二体を同時に形作った。