神武東征を先導した将。大伴氏の祖。
道臣命とは何の神様か
道臣命はひとことで言えば東征の先導役です。神武東征で軍を率いた将で、大伴氏の祖とされます。
もとの名は日臣命(ひのおみ)でした。ヤタガラスの導きに従って山中の道を開いたことから、神武天皇に「道臣」の名を与えられます。
武力よりも、計略と段取りで描かれる将です。
道臣命の漢字表記と読み方
読みは「みちのおみ」です。「ミチ」は道、「オミ」は臣(家臣)を指します。
もとの名「日臣(ひのおみ)」は、日の御子に仕える臣という意味です。
ヤタガラスの後について険しい山中を進み、道を切り開いた功により改名されました。
功績によって名を改めるという形が、はっきり記録されています。名が身分と役割を表した時代の姿です。
道臣命(みちのおみのみこと)
日本書紀での表記。
日臣命(ひのおみのみこと)
もとの名。改名前の表記。
道臣命の物語
ヤタガラスに従う
熊野から大和へ入ろうとした神武の軍は、険しい山に阻まれました。
そこへアマテラスの遣わしたヤタガラスが現れ、先を飛んで道を示します。
日臣命は大来目(おおくめ)を率い、烏の後を追って山を分け入り、道を開きました。
天皇はこれを褒めて言いました。
汝、忠にして且つ勇なり。能く導きの功有り。故、名を改めて道臣とせよ。
忠実で勇敢であり、導く働きがあった。だから道臣と名乗れ、という意味です。
歌を合図に討つ
大和には、兄猾(えうかし)や土蜘蛛と呼ばれる勢力がいました。
道臣命は、宴を開いて敵をもてなすという策をとります。料理人に扮した兵を配し、歌を合図に一斉に斬りかかりました。
撃ちてし止まむ
この歌の一節が合図でした。
「撃ちてしやまむ」は、太平洋戦争中に標語として大きく掲げられた言葉です。神武東征の場面から取られています。
武力ではなく段取りで勝つ将として描かれています。
大伴氏という一族
道臣命を祖とする大伴氏は、宮門の警護を代々務めました。
オオトモ(大伴) ─ 大きな伴(とも)、つまり従者の集団。
物部氏が武器を管理したのに対し、大伴氏は天皇の身辺を直接守る役目でした。
万葉集の編者とされる大伴家持は、その子孫です。家持は一族の誇りを歌に詠みました。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ
天皇のそばで死ぬ、という一族の誓いを詠んだ歌です。
祭祀を任される
東征が終わったあと、道臣命は祭祀の役も任されました。
神武天皇は、天神を祀る場を設けるにあたり、道臣命を斎主(いわいぬし)としました。
厳媛(いつひめ)の名を与える。
男性である道臣命に、女性の名を与えて祭祀に当たらせたと日本書紀は記します。
神を祀るのは女性の役目であるという考えが、この改名に表れています。役目に合わせて名を変える例が、ここでも繰り返されています。
道臣命の家系図と家族
道臣命の性格と人物像
道臣命は、任される人です。
道を開けと言われて開き、敵を討てと言われて策を立て、祭祀をせよと言われて名を変えました。
自分から何かを言い出す場面がありません。しかしそのすべてを果たしています。
名を二度も改められていることが、この人物の性格を表しています。役目が先にあり、それに合わせて名が付けられる。大伴氏という、天皇に直属した一族の祖にふさわしい描かれ方です。
道臣命を祀る神社
道臣命を祀る社は、多くありません。
奈良県の宗我坐宗我都比古神社など、大伴氏ゆかりの地にわずかに伝えが残ります。
東征の主要な場面すべてに関わりながら、社としてはほとんど残っていません。大伴氏が平安時代に衰えたことが関わっているとみられます。
道臣命が現代に残した痕跡
道臣命の名は、歌の一節に残りました。
撃ちてし止まむ: 敵を討つ合図の歌の一節。太平洋戦争中に標語として掲げられた。
大伴: 「大きな伴(従者の集団)」の意。宮門の警護を務めた氏族。
久米: 奈良の地名。道臣命が率いた大来目にちなむとされる。
道臣命のご利益
武運長久
東征を先導した将であることによる。
道中安全
道を開いた功により「道臣」の名を得たことによる。
厄除け
大伴氏の祖として祀られることによる。
道臣命についてよくある質問
道臣命とはどんな神様ですか。
神武東征で軍を率いた将で、大伴氏の祖とされます。もとの名は日臣命で、道を開いた功により「道臣」の名を与えられました。
なぜ名前が変わったのですか。
ヤタガラスの導きに従って険しい山中の道を切り開いた功によります。のちに祭祀を任された際には「厳媛」という女性の名も与えられました。
大伴氏はどんな一族ですか。
天皇の身辺を直接警護した一族です。万葉集の編者とされる大伴家持もその子孫にあたります。