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日本神話

神武天皇(神倭伊波礼毘古命)とは何の神様か|家系図・物語・祀る神社

神倭伊波礼毘古命  / カムヤマトイワレビコノミコト

大地 天孫

初代天皇。日向から東へ攻め上り、大和を平定した。

神武天皇とは何の神様か

神武天皇はひとことで言えば最初の天皇です。四兄弟の末子で、本名を御毛沼命(わかみけぬのみこと)といいます。

日向から東へ向かい、大阪でナガスネヒコに敗れて長兄を失いました。軍を南へ回して熊野から大和へ入り、橿原で即位します。

天から降ったニニギ曾孫にあたり、母方は海神の血を引きます。后にはオオモノヌシの娘を迎えました。

神武天皇の漢字表記と読み方

読みは「じんむてんのう」です。ただしこれは後世の呼び名です。

「神武」という漢風の諡号(しごう/おくりな)は、奈良時代に淡海三船がまとめて贈ったとされます。生前にこう呼ばれたことはありません。

古事記が記す名は「カムヤマトイワレビコ」です。

カム ─ 神
ヤマト ─ 大和
イワレ ─ 磐余。奈良県桜井市の地名
ヒコ ─ 男

つまり大和の磐余の男です。土地の名を負っています。

生まれたときの名は若御毛沼命で、兄の御毛沼命に「若」を付けた形です。

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)

古事記での正式な表記。

神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)

日本書紀での表記。

若御毛沼命(わかみけぬのみこと)

生まれたときの名。

神武天皇(じんむてんのう)

奈良時代に贈られた漢風の諡号(おくりな)。

神武天皇の物語

  1. なぜ東へ行ったのか
  2. 日に向かって戦って敗れる
  3. 熊野で全滅しかける
  4. 天の神の子が二人
  5. 橿原で即位する
  6. 死の直後に起きたこと

なぜ東へ行ったのか

日向にいた兄弟は、話し合いました。

いづれの地に坐さば、天の下の政を平らけく聞こしめさむ。

どこに都を置けば、天下をうまく治められるか。そう問い、東へ行くことを決めます。

言い出したのは長兄イツセでした。東征は、この人の発案として始まります

天孫降臨から数えて三代が日向で過ぎています。

ニニギ → ホオリウガヤフキアエズ神武

降りた場所と、都を置く場所が違うという構成です。

日に向かって戦って敗れる

瀬戸内海を東へ進み、大阪湾に上陸したところで、ナガスネヒコの軍と衝突しました。

長兄イツセが肘に矢を受けます。そして言いました。

我は日の神の御子として、日に向かひて戦ふこと良からず。

東へ攻めるということは、朝日に向かって戦うことになります。日の神の子孫がそれをしてはならない、と考えたのです。

軍事的な理由ではなく、祭祀の理屈で進路を変えました。

軍は紀伊半島を大きく回り込みます。しかしイツセは傷が悪化し、紀伊で亡くなりました。

熊野で全滅しかける

残る兄弟のうち、イナヒは海に入り、ミケヌは常世へ渡りました。末子だけが残ります。

熊野に上陸すると、大きな熊が現れて消えました。

その毒気に当てられ、神武も兵もみな倒れ伏した。

東征最大の危機です。

そこへ熊野のタカクラジが、夢のお告げに従って一振りの剣を持って現れました。布都御魂です。

神武がこれを手にすると、荒ぶる神は自然に斬り倒され、兵はみな起き上がりました。振るったのではなく、持っただけです。

天の神の子が二人

ヤタガラスに導かれて大和へ入ると、再びナガスネヒコが立ちはだかります。使者を送って問いました。

昔、天の神の子が天磐船に乗って降ってきた。ニギハヤヒという。我はその方に妹を娶せ、主君として仕えている。
天の神の子が、二人もいるのか。

神武は天の神の子である証として天羽々矢と歩靫を示しました。ナガスネヒコも同じ品を示します。どちらも本物でした

それでも従わなかったナガスネヒコを、主君のニギハヤヒ自身が討ちます

勝った側が手を汚さない形です。

橿原で即位する

大和を平定した神武は、畝傍山の東南に宮を建てて即位しました。橿原宮です。

后にはヒメタタライスズヒメを迎えます。オオモノヌシの娘、つまり大和の土地の神の血を引く姫でした。

天孫の血と、国津神の血。

以後の天皇はすべて、この二人の子孫ということになります。

国譲りの物語と同じ構造が、婚姻の形で繰り返されています。征服した土地の神の血を、王家に取り込むという形です。

死の直後に起きたこと

神武天皇が亡くなると、すぐに皇位継承の争いが起きました。

日向にいたころの子タギシミミが、義母である皇后を娶り、三人の弟を殺そうとします

危険を知った母が歌で知らせ、弟たちが先に討ち果たしました。

兄カムヤイミミは手が震えて矢を放てず、弟が討った。

兄は「敵を殺せなかった自分は上に立つべきではない」と言って位を譲り、祭祀の役に退きます。

弟が二代綏靖天皇です。初代の直後に継承争いを置いたことには意味があると考えられています。

神武天皇の家系図と家族

神武天皇の親: ウガヤフキアエズタマヨリビメアマテラス五代さかのぼる祖ニニギ曾孫にあたるオオキビノモロススミ初代からの系譜

神武天皇のきょうだい: 五瀬命四兄弟の長兄と末子稲飯命四兄弟御毛沼命四兄弟

神武天皇の妻・夫: ヒメタタライスズヒメ

神武天皇の子・子孫: 神八井耳命タギシミミ健磐龍命孫にあたるとされる

神武天皇の性格と人物像

神武天皇は、残った末子です。

東征を言い出したのは長兄、率いたのも長兄でした。次兄は海に入り、三兄は常世へ渡り、この人だけが最後まで残ります。

特別な力を見せる場面がありません。熊野では倒れ、剣に救われ、烏に道を教わりました。

与えられたものを受け取って進むという描かれ方です。

日本の物語では末子が成功する型が繰り返されます。初代天皇が、その最も古い例にあたります。

神武天皇を祀る神社

神武天皇を祀るのは、奈良の橿原神宮が中心です。

明治23年(1890年)の創建で、社としては新しいものです。即位したと伝える畝傍山の東南麓に建てられました。

宮崎県には、東征に発つ前の伝承地が点在します。宮崎神宮は日向における神武天皇の宮の跡と伝えます。

近代に入ってから整えられた社が多いという点が、この人物の祀られ方の特徴です。

橿原神宮(かしはらじんぐう)

別表神社

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橿原神宮の住所: 奈良県橿原市久米町934

橿原神宮の御祭神: 神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛皇后

橿原神宮のご利益: 国土安泰

即位したと伝える畝傍山の東南麓に、明治23年に創建された。

約50万平方メートルの境内を持つ。

周辺の宿をさがす

橿原神宮へ参拝するときの、奈良県橿原市の宿を探せます。

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大和神社(おおやまとじんじゃ)

二十二社

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大和神社の住所: 奈良県天理市新泉町306

大和神社の御祭神: 日本大国魂大神ほか

大和神社のご利益: 国土安泰

神武天皇を祀る社ではない。大和の地の神を祀る古社として並べた。

周辺の宿をさがす

大和神社へ参拝するときの、奈良県天理市の宿を探せます。

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神武天皇が現代に残した痕跡

神武天皇の物語は、地名と暦に残りました

橿原: 奈良の地名。即位した宮を置いたと伝える。

磐余(いわれ): 奈良県桜井市の地名。本名「イワレビコ」の由来。

建国記念の日: 2月11日。日本書紀が記す即位の日を新暦に換算したもの。

神武天皇のご利益

国土安泰

初代天皇として国を開いたことによる。

開運

困難を越えて即位したことによる。

勝負運

東征を成し遂げたことによる。

神武天皇についてよくある質問

神武天皇とはどんな人物ですか。

初代天皇とされる人物です。四兄弟の末子で、日向から東へ攻め上り、大和を平定して橿原で即位しました。

実在したのですか。

確かめられていません。記紀が記す在位年数は極端に長く、そのままでは受け取れないとされます。ただし東征の筋が、勢力の東への移動を反映するという見方はあります。

なぜ「神武」と呼ばれるのですか。

奈良時代に淡海三船がまとめて贈った漢風の諡号です。古事記が記す名は「カムヤマトイワレビコ」で、大和の磐余の男という意味です。

神武天皇と併せて覚えたい言葉・用語

天孫降臨(てんそんこうりん)

アマテラスの孫ニニギが高天原から地上へ降りたこと。

国津神(くにつかみ)

もともと地上にいた神々。出雲の神々が代表。

国譲り(くにゆずり)

オオクニヌシが葦原中国の統治権を天津神に明け渡した出来事。