父に疎まれ、東西を平定して死んだ英雄。白鳥となって飛び去った。
ヤマトタケルとは何の神様か
ヤマトタケルはひとことで言えば日本神話最大の英雄です。
景行天皇の子ですが、父に恐れられ、西へ東へと遠征を命じられ続けました。
女装して熊襲建を討ち、草薙剣?で野火を逃れ、妻が海に身を投げて嵐を鎮める。最後は伊吹山の神に敗れ、能褒野で死に、白鳥となって飛び立ったと記されます。
ヤマトタケルの漢字表記と読み方
読みは「やまとたけるのみこと」です。もとの名は小碓命(おうすのみこと)でした。
「タケル」の名は、討った相手から贈られたものです。西征で熊襲建を討ったとき、瀕死の相手がこう言いました。
西の国に我らより強い者はいない。今より倭建御子と名乗られよ。
敵に名を与えられた英雄という、めずらしい由来を持ちます。
倭建命(やまとたけるのみこと)
古事記での表記。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
日本書紀での表記。
小碓命(おうすのみこと)
幼名。双子の兄が大碓命。
ヤマトタケルの物語
兄を殺し、父に恐れられる
父の景行天皇が、朝夕の食事に来ない兄を諭すよう命じました。
小碓命は兄を待ち伏せ、手足をもぎ取って薦に包んで投げ捨てたと古事記は記します。
諭せと言われて、殺した。父はこの荒々しさを恐れました。
この子は、恐ろしい。
以後、父は息子を都から遠ざけ続けます。遠征は、追放でもありました。
女装して熊襲建を討つ
十六歳のとき、西の熊襲を討つよう命じられます。
叔母のヤマトヒメから衣裳を借りて少女に扮し、宴に紛れ込みました。熊襲建の兄弟が油断したところを刺します。
瀕死の弟が名を尋ね、「倭建御子」の名を贈って息絶えました。
正面から戦わず、謀で勝つ。この英雄の戦い方を示す最初の場面です。
草薙剣と、焼津の野火
東征に発つ前、叔母ヤマトヒメが草薙剣と火打石の入った袋を授けました。
危急のときは、この袋を開けなさい。
駿河で、国造に騙されて野に誘い込まれ、四方から火を放たれます。ヤマトタケルは草薙剣で草を薙ぎ払い、火打石で向かい火をつけて逃れました。
この地が焼津、剣が草薙の名を得た由来とされます。
オトタチバナヒメ、海に入る
走水の海を渡ろうとしたとき、海が荒れて船が進まなくなりました。
妻のオトタチバナヒメが、自ら海に入ることを申し出ます。菅の畳を八重に敷き、その上に座って波間に沈みました。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
焼津の野火の中で「無事か」と尋ねてくれた夫を思う歌です。海は静まり、船は進みました。
七日後、姫の櫛が浜に流れ着き、そこに陵が築かれたと記されます。
「吾妻はや」
東国を平定した帰り、足柄の坂で東を望んで三度嘆いたと古事記は記します。
あづまはや(ああ、我が妻よ)
この言葉から、東国を東(あづま)と呼ぶようになったとされます。
地名の由来が、妻を失った嘆きである。日本神話でもっともよく知られた地名起源のひとつです。
伊吹山の神に敗れる
帰路、伊吹山の神を討とうとしました。このとき草薙剣を置いていきます。
素手で足りる。
山中で白い猪に出会い、「神の使いだろう」と侮って通り過ぎました。それが神そのものでした。
大氷雨に打たれ、正気を失います。剣を手放した油断が、この英雄を倒しました。
能褒野で死ぬ
衰弱しながら大和を目指し、能褒野にたどり着いて力尽きます。
臨終の歌が古事記に残ります。
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
(大和は国の中でもっとも良いところだ。重なり合う青い垣のような山々に囲まれた、美しい大和よ)
帰りたかった場所を歌って死ぬ。父に疎まれ、生涯戦い続けた英雄の最期です。
白鳥となって飛び立つ
陵を築いて嘆いていると、八尋の白鳥となって天に翔け、浜に向かって飛んでいきました。
后たちは追いかけ、竹の切り株に足を切られながらも泣きながら進みます。白鳥は河内に降り、そこにも陵が築かれました。
白鳥御陵。
各地の白鳥神社は、この飛跡に建てられたと伝えられます。死んで鳥になるという形は、魂が天へ帰るという古い信仰を映しています。
ヤマトタケルの家系図と家族
ヤマトタケルの性格と人物像
ヤマトタケルは、強すぎて愛されなかった英雄です。
兄を殺したのは、父の命を字義どおり受け取ったからでした。それが恐れられ、遠ざけられます。父に認められたくて戦い続け、ついに認められないまま死にました。
女装し、謀を使い、剣を手放して敗れる。完璧ではない英雄として描かれている点が、この物語を長く生かしてきました。臨終の歌が愛されるのも、そこに理由があります。
ヤマトタケルを祀る神社
ヤマトタケルを祀る社は、遠征の道すじに沿って分布します。
建部(たけべ)神社を名乗る社が各地にあり、滋賀の建部大社が知られます。ほかに白鳥神社が、白鳥となって飛んだ跡に建てられたと伝えられます。
熱田神宮は草薙剣を祀る社で、ヤマトタケル本人ではなく剣が神体です。三重の能褒野神社は、亡くなった地に建てられました。
熱田神宮(あつたじんぐう)
三種の神器のひとつ草薙剣を祀る
ヤマトタケルが妻ミヤズヒメに預けた草薙剣を祀る。伊勢神宮に次ぐ格とされる。
ヤマトタケルは伊吹山へ剣を置いて向かい、敗れた。
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ヤマトタケルが現代に残した痕跡
ヤマトタケルの名は、地名と歌に残りました。
東(あづま): 足柄の坂で妻を偲び「あづまはや」と嘆いたことに由来するとされる。
焼津: 野火に囲まれ、草薙剣と向かい火で逃れた地。
草薙剣: 三種の神器のひとつ。草を薙ぎ払ったことからこの名を得たとされる。
「倭は国のまほろば」: 臨終の歌。日本を讃える言葉として広く知られる。
白鳥神社: 白鳥となって飛んだ跡に建てられたと伝わる社。各地にある。
ヤマトタケルのご利益
勝運・武運
東西を平定した英雄であることによる。
厄除け
火難を逃れた話による。
旅の安全
生涯を遠征に費やしたことによる。
出世開運
各地の建部神社で祈願される。
ヤマトタケルが登場するゲーム・アニメ
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ヤマトタケルについてよくある質問
ヤマトタケルとは誰ですか。
景行天皇の子で、日本神話最大の英雄とされます。西の熊襲、東の蝦夷を平定し、伊吹山の神に敗れて能褒野で亡くなりました。
なぜ父に疎まれたのですか。
兄を諭すよう命じられ、殺してしまったためです。その荒々しさを父が恐れ、以後は都から遠ざけ続けたと古事記は記します。
ヤマトタケルの妻は誰ですか。
オトタチバナヒメが知られます。走水の海が荒れたとき、自ら海に入って波を鎮めました。ほかに尾張のミヤズヒメがおり、草薙剣を預けています。
なぜ伊吹山で敗れたのですか。
草薙剣を置いて向かったためです。山中で出会った白い猪を神の使いと侮りましたが、それが神そのものでした。大氷雨に打たれて正気を失います。
ヤマトタケルを祀る神社はどこですか。
各地の建部神社と白鳥神社です。滋賀の建部大社が知られます。熱田神宮は草薙剣を祀る社で、神体は剣です。
ヤマトタケルと併せて覚えたい言葉・用語
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
ヤマタノオロチの尾から出た剣。三種の神器のひとつ。天叢雲剣ともいう。