伊勢神宮の場所を定めた皇女。ヤマトタケルに草薙剣を授けた。
ヤマトヒメとは何の神様か
ヤマトヒメの漢字表記と読み方
読みは「やまとひめ」です。「ヤマト」は大和、「ヒメ」は女性の皇族を指します。
斎王(さいおう)の起源とされる人物です。斎王とは、天皇に代わって伊勢神宮でアマテラスに仕える未婚の皇女のことです。
この制度は、南北朝時代まで約660年間続きました。
三重県明和町に斎宮跡が残り、国の史跡に指定されています。
倭姫命(やまとひめのみこと)
日本書紀での表記。
倭比売命(やまとひめのみこと)
古事記での表記。
ヤマトヒメの物語
なぜ場所を探したのか
もともとアマテラスは、天皇の住まいのなかで祀られていました。
崇神天皇の代、疫病が流行ります。天皇は、神と同じ場所に住むことを畏れ多いと考えました。
神威を畏れて、共に住むに安からず。
そこでアマテラスを宮の外へ出し、娘のトヨスキイリヒメに託します。次の垂仁天皇の代、その役目がヤマトヒメに引き継がれました。
神を家から出す。それが伊勢神宮の始まりです。
各地を巡る
ヤマトヒメは、ふさわしい土地を求めて各地を巡りました。
大和 → 伊賀 → 近江 → 美濃 → 伊勢
巡った先に一時的に神を祀った場所を、元伊勢(もといせ)と呼びます。各地に伝承地があります。
年数にして数十年にわたる旅として記されます。
神が自ら「ここがよい」と告げるまで、動き続けたことになります。土地を人が決めたのではなく、神が選んだという形です。
神風の伊勢の国
伊勢に至ったとき、アマテラスが告げました。
是の神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり。是の国に居らむと欲ふ。
伊勢は、常世からの波が繰り返し打ち寄せる国である。美しい国である。ここに居たいという意味です。
この一言で、伊勢神宮の場所が決まりました。
神風(かむかぜ)の伊勢という表現は、伊勢にかかる枕詞として定着しました。
草薙剣を授ける
ヤマトタケルが東征に発つとき、伊勢に立ち寄りました。叔母であるヤマトヒメに会うためです。
ヤマトヒメは草薙剣と、袋を授けて言いました。
もし急なことがあったら、この袋の口を解きなさい。
相模で火を放たれたとき、ヤマトタケルは剣で草を薙ぎ、袋を開けました。中には火打石が入っていました。向かい火を放って窮地を脱します。
叔母が渡した二つの品が、そのまま命を救いました。
ヤマトヒメの家系図と家族
ヤマトヒメの性格と人物像
ヤマトヒメは、探して、決めて、託した人です。
数十年かけて土地を巡り、神託を受けて伊勢に社を定めました。そして甥に剣と火打石を渡しました。
派手な場面はありませんが、日本の信仰の中心を決めた人物です。
伊勢神宮がいまの場所にあるのも、草薙剣が熱田に伝わるのも、この人を経由しています。制度と物を、次へ渡す役目を一貫して果たしました。
ヤマトヒメを祀る神社
ヤマトヒメを祀るのは、伊勢神宮の別宮倭姫宮(やまとひめのみや)です。
この別宮は大正12年(1923年)の創建で、伊勢神宮のなかでもっとも新しい宮です。
各地の元伊勢と呼ばれる社にも、この人物の伝承が残ります。京都府福知山市の元伊勢内宮皇大神社などが知られます。
皇大神宮(伊勢神宮 内宮)(こうたいじんぐう)
伊勢神宮の内宮
ヤマトヒメが定めた地。別宮に倭姫宮があり、この人物を祀る。
20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が行われる。
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ヤマトヒメが現代に残した痕跡
ヤマトヒメの旅は、元伊勢という形で残りました。
元伊勢: 伊勢に定まる前に一時的に神を祀ったとされる各地の社。
斎王: 天皇に代わって伊勢に仕えた未婚の皇女。この人物が起源とされる。
神風の伊勢: 神託の言葉から生まれた表現。伊勢にかかる枕詞になった。
ヤマトヒメのご利益
所願成就
土地を探し当てたことによる。
厄除け
伊勢神宮の祭祀を定めたことによる。
旅の安全
各地を巡ったことによる。
ヤマトヒメについてよくある質問
ヤマトヒメとはどんな人物ですか。
垂仁天皇の皇女で、アマテラスを祀る土地を探して各地を巡り、伊勢神宮をいまの場所に定めた人物です。
なぜ宮の外で祀るようになったのですか。
崇神天皇の代に疫病が流行り、神と同じ場所に住むことを畏れ多いと考えたためです。アマテラスを宮の外へ出したのが伊勢神宮の始まりです。
ヤマトタケルとはどういう関係ですか。
叔母にあたります。東征に発つヤマトタケルに草薙剣と火打石入りの袋を授け、それが窮地を救いました。
ヤマトヒメと併せて覚えたい言葉・用語
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
ヤマタノオロチの尾から出た剣。三種の神器のひとつ。天叢雲剣ともいう。
禊(みそぎ)
水で身を洗い、穢れを落とすこと。イザナギはこれによって三貴子を生んだ。