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日本神話

菅原道真(菅原道真公)とは何の神様か|家系図・物語・祀る神社

菅原道真公  / スガワラノミチザネコウ

大地 天孫

学問の神。祟りを鎮めるために神とされた実在の人物。

菅原道真とは何の神様か

菅原道真はひとことで言えば祟りから神になった人です。天神さまとして全国約12,000社の天満宮に祀られます。実在の人物(845〜903年)です。

右大臣まで昇りましたが、藤原氏の讒言で大宰府へ左遷され、二年後にその地で亡くなりました。

その後、京では落雷と疫病が続きます。道真の祟りと断じられ、鎮めるために神として祀られました。

菅原道真の漢字表記と読み方

読みは「すがわらのみちざね」です。神としては「天神(てんじん)」と呼ばれます。

もともと「天神」は天の神を指す一般名詞でした。

しかし道真の信仰が広まるにつれ、「天神」といえば道真を指すようになります。

「天満(てんまん)」は、天に満ちるという意味です。雷神として天を満たしたことに由来するとされます。

天満宮という社名は、ここから来ています。

菅原道真(すがわらのみちざね)

本名。

天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)

神として祀られたときの号。

天神(てんじん)

一般的な呼び方。

菅原道真の物語

  1. 学者から右大臣へ
  2. 大宰府へ
  3. 清涼殿に雷が落ちる
  4. なぜ学問の神になったのか

学者から右大臣へ

菅原氏は、土師(はじ)氏から分かれた家です。埴輪を作り、葬送を担った一族の系統にあたります。

野見宿禰の子孫。

道真は学者の家に生まれ、実力で昇進しました。

遣唐使の廃止を建議したことで知られます。唐が衰えており、渡航の危険に見合わないという判断でした。

宇多天皇に重用され、右大臣にまで昇ります。学者出身としては異例の出世でした。

大宰府へ

藤原時平の讒言により、道真は大宰権帥(だざいのごんのそち)として九州へ左遷されます。

実質的な流罪でした。

出発のとき、庭の梅に別れを告げて詠んだとされる歌があります。

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

春風が吹いたら、香りを届けておくれ。主人がいないからといって、春を忘れるなという歌です。

道真は二年後、大宰府で亡くなりました。59歳でした。

清涼殿に雷が落ちる

道真の死後、京では異変が続きます。

讒言した藤原時平が39歳で急死。
皇太子が次々に死ぬ。
疫病と干ばつ。

そして延長8年(930年)、清涼殿に雷が落ちました

大納言ら複数が即死します。醍醐天皇はこれを見て体調を崩し、三か月後に亡くなりました。

道真の祟りである。

朝廷はそう断じました。雷神となった道真という理解が、ここで固まります。

なぜ学問の神になったのか

祟りを鎮めるため、北野の地に社が建てられました北野天満宮です。

恐ろしい神を、丁重に祀る。

日本の御霊信仰(ごりょうしんこう)の代表例です。

祟る霊を神として祀り、力を味方につけるという考え方です。

やがて時代が下ると、祟りの記憶が薄れます。代わりに、道真が優れた学者であったという側面が前に出ました。

江戸時代、寺子屋に道真の像が置かれ、学問の神として定着します。

菅原道真の家系図と家族

菅原道真の親: 野見宿禰土師氏から菅原氏へ

菅原道真のきょうだい: タケミカヅチともに雷の力を持つ神とされる

菅原道真の性格と人物像

菅原道真は、恐れられて、敬われた人です。

生前は学者であり、政治家でした。死後は祟る霊となり、そして学問の神になりました。

同じ人物への評価が、これほど変わった例はほかにありません。

日本には、強い恨みを持って死んだ者ほど強い神になるという考え方があります。平将門、崇徳上皇も同じ系統です。

恐れることと敬うことが、地続きになっている。日本の信仰の特徴がよく表れています。

古事記と日本書紀で菅原道真の記述が異なるところ

日本神話は一冊にまとまっていません。菅原道真についても、 古事記と日本書紀で記述が分かれる箇所が1件あります。 どちらか一方に決めず、両方を出典つきで載せています。

記述が分かれるところ

古事記712年

上巻・神生みの段

  • ライジン ─ 雷の神として並ぶ ─ タケミカヅチ
  • ホノイカヅチ ─ 八雷神の一柱にして総称 ─ ライジン

胸に生じた一柱を指す場合と、八柱の総称を指す場合がある。

社伝・縁起中世以降

北野天満宮の縁起

  • ライジン ─ 雷神となった霊 ─ 菅原道真

菅原道真の霊が雷神になったとする伝え。天神信仰の起点となった。

菅原道真を祀る神社

菅原道真を祀る天満宮・天神社は、全国に約12,000社あるとされます。

北野天満宮(京都)── 祟りを鎮めるために建てられた社。
太宰府天満宮(福岡)── 道真が亡くなった地に建つ。

どちらも総本社を称しており、由来が異なります。

が神紋とされます。道真が愛した木であり、飛梅の伝説によります。

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)

全国天満宮総本宮

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太宰府天満宮の住所: 福岡県太宰府市宰府4丁目7-1

太宰府天満宮の御祭神: 菅原道真公

太宰府天満宮のご利益: 学業成就

道真が亡くなった地に建つ。全国天満宮の総本宮を称する。

飛梅(とびうめ)の伝説で知られる。

周辺の宿をさがす

太宰府天満宮へ参拝するときの、福岡県太宰府市の宿を探せます。

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北野天満宮(きたのてんまんぐう)

二十二社

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北野天満宮の住所: 京都市上京区馬喰町

北野天満宮の御祭神: 菅原道真公

北野天満宮のご利益: 学業成就

祟りを鎮めるために建てられた社。天神信仰の発祥。

梅苑で知られる。

周辺の宿をさがす

北野天満宮へ参拝するときの、京都市上京区の宿を探せます。

広告を含みます

菅原道真が現代に残した痕跡

菅原道真は、受験の季節に残りました

飛梅: 道真を慕って京から大宰府へ飛んできたとされる梅。太宰府天満宮にある。

御霊信仰: 祟る霊を神として祀り、力を味方につける考え方。

天神さま: 道真の呼び名。もとは天の神を指す一般名詞だった。

菅原道真のご利益

学業成就

優れた学者であったことによる。

受験合格

同上。江戸時代の寺子屋を通じて定着した。

厄除け

祟りを鎮める御霊信仰による。

菅原道真についてよくある質問

菅原道真とはどんな人物ですか。

平安時代の学者・政治家(845〜903年)です。右大臣まで昇りましたが左遷され、大宰府で亡くなりました。死後、天神として祀られています。

なぜ神になったのですか。

死後、京で落雷や疫病が続き、道真の祟りと断じられたためです。祟りを鎮めるために神として祀られました。

なぜ学問の神なのですか。

時代が下って祟りの記憶が薄れ、優れた学者であった側面が前に出たためです。江戸時代の寺子屋を通じて定着しました。