スキュッラ号の艦長。船競走に勝ち、クルエンティウス氏族の祖とされた。
クロアントスとは何の神様か
クロアントスはひとことで言えば祈って勝った男です。
アエネーアースの船団の一隻、スキュッラの艦長でした。
『アエネーイス』第5巻の船競走に出て、四隻のうち一位になります。
勝負が決まったのは、最後の直線でした。追い上げの途中、彼は海の神々に向かって誓いを立てます。
勝たせてくれるなら、岸で白い牛を捧げ、海に酒を注ごう。
願いは聞き届けられ、船は押されるように先頭へ出ました。
褒美は金の縁取りをした外套です。詩はその模様を細かく描いています。
ローマのクルエンティウス氏族が、この人物を祖と称しました。
第5巻の競走は、腕比べではなく祈りの正しさを描く場面として組まれています。 勝つのは、いちばん強い者ではありません。
クロアントスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「クロアントス」「クロアントゥス」が使われます。ギリシャ語寄りに読むかラテン語寄りに読むかの違いです。
名は、氏族名クルエンティウスと結びつけられました。
ウェルギリウスは第5巻で、クルエンティウス家がこの人物から名を得たと書いています。ただし語形はそれほど似ておらず、説明としてはやや無理があります。
実際の順序は逆で、氏族名が先にあり、そこから叙事詩の人物が作られたと考えられています。似ていない名を無理に結びつけたこと自体が、詩人の意図を示しています。
指揮した船の名スキュッラは、船を襲う海の怪物の名です。その名の船が勝つという配置も、詩人の遊びとみられています。
Cloanthus(クロアントス)
ラテン語の主格。クルエンティウス氏族の名祖として詩のなかで明示される。
Scylla(スキュッラ)
指揮した船の名。海の怪物の名を掲げた船として描かれる。
gens Cluentia(ゲンス・クルエンティア)
クルエンティウス氏族。この人物を祖と称したローマの家。
クロアントスの物語
船競走の展開 ─ 四隻の争い
第5巻の船競走は、四隻で行われました。
序盤に飛び出したのはギュアースのキマエラです。しかし折り返しの岩で、舵取りが慎重に大回りしたことに腹を立て、舵取りを海へ投げ込んでしまいます。 船は失速しました。
ムネーステウスのプリーストリスが乗員を叱咤して追い上げます。
セルゲストゥスのケントーレは、近道をしようとして岩に乗り上げました。
そしてクロアントスのスキュッラが、最後に伸びます。
残りは二隻。並んで岸へ向かった。
ムネーステウスが先行し、あと少しで勝つところでした。勝敗を分けたのは、櫂の力ではありませんでした。
四人の艦長は、それぞれ違う失敗と成功の型を担っています。乱暴に振る舞った者、叱咤した者、焦った者、祈った者。 競走そのものが、指揮の善し悪しを並べて見せる仕掛けです。
海の神々への誓い ─ 勝敗を決めたもの
追い上げの途中、クロアントスは両手を海へ差し出しました。
呼びかけたのは、海を支配する神々です。
勝たせてくれるなら、岸で白い牛を捧げ、はらわたを波に投げ、酒を注ごう。
この誓いを、海の底で妖精たちが聞きつけます。詩は、彼女たち全員がその声を聞いたと書きました。
そしてポルトゥーヌスが、大きな手で船を押します。船は矢よりも速く岸へ滑り込みました。
勝ったのは、誓いを立てた者です。
ローマの祭祀には、願をかけて果たすという基本の形があります。神に何かを頼むとき、成就したら何を捧げるかを先に約束する。この場面は、その手続きをそのまま描いています。
ローマ人にとって、これは物語であると同時に、正しい祈り方の見本でした。
競技の場面に祭祀の型を埋め込む。ウェルギリウスが繰り返し使った方法です。
金の縁取りの外套 ─ 褒美の描写
勝者に渡された褒美は、金の縁取りをした外套でした。
詩はこの一枚を、細かく描写します。
二重の帯が縫い取られ、少年をさらう鷲の姿が織り出されていた。
図柄は、鷲が少年をさらう場面です。トロイアの王子ガニュメーデースの物語にあたります。
トロイアの人々にとって、これは自分たちの土地の記憶です。 勝者に与えられる品が、失った故郷を映しています。
叙事詩には、こうした品物の描写がしばしば置かれます。武具や盾に彫られた図柄が、物語の外側の話題を持ち込む形です。
この外套も同じ働きをします。競走の褒美でありながら、そこに織られた図柄が別の時間を呼び込みます。
贈り物の描写が、場面を厚くする。 古代の詩の技法として、繰り返し論じられてきた箇所です。
二位以下にも、鎖かたびらや大鍋が配られました。全員が何かを持ち帰ります。
なぜ記録が少ないのか ─ 名祖という役目
クロアントスについてわかっていることは、この競走の場面と、第1巻・第6巻に名が挙がる程度です。
家族も、最期も伝えられていません。 『アエネーイス』以外の古い作品にも独立した話は残っていません。
理由は、この人物が氏族の名祖として置かれたからです。
ローマの名家は、自分の家の起こりを古い時代にさかのぼらせました。ウェルギリウスは、そうした家の名を叙事詩の人物として配置します。
詩を読むことが、家の由緒を確かめることになります。
興味深いのは、クロアントスとクルエンティウスの語形がそれほど似ていないことです。それでも詩人は、この人物を氏族の祖だと明記しました。
似ていない名を結びつけたのは、詩人の側の判断です。 どの家をどの人物に割り当てるかは、詩人が決めています。
資料が少ないのではなく、由緒以上の物語を必要としない人物として作られました。
しかも彼は勝者です。三人の名祖のうち、勝ちを与えられた家がどこかという点にも、意味が読み取られてきました。
クロアントスの家系図と家族
クロアントスの性格と人物像
クロアントスの性格は、祈る者という一点に集まります。
競走のあいだ、この人物は乱暴に振る舞いません。舵取りを投げ込むこともせず、無理な近道も選びません。
追い詰められたとき、彼がしたのは手を差し出すことでした。
ローマの祭祀では、願をかけるときに何を捧げるかを先に約束します。クロアントスの誓いは、その手順を正確に踏んでいます。捧げる相手、捧げる物、捧げる場所。 すべて言葉にしました。
研究では、この人物は正しい振る舞いの見本として置かれているとみられています。第5巻の競技会は、指揮者の資質を並べて見せる場です。
怒りにまかせた者は沈み、焦った者は座礁し、手続きを守った者が勝ちました。
一方で、人柄そのものはほとんど書かれていません。どんな顔か、何歳か、どこの生まれか。詩は触れません。
行動が性格の代わりを務めています。 脇役の書き方として、これはよく用いられた形です。
クロアントスゆかりの地と遺跡
クロアントスを祀った神殿や聖域は、確かめられませんでした。
祭祀の対象になった形跡がなく、碑文にも暦にも名は出てきません。ゆかりの地として位置を確かめられる場所もありません。
船競走の舞台はシチリアの海岸とされますが、地点は定まっていません。
古代の書き手はドレパヌム、現在のトラーパニのあたりを想定しましたが、折り返しの岩がどこかを示す根拠はありません。
祖と称したクルエンティウス氏族についても、家の聖所や墓所の位置は確かめられていません。
そのため、この節には場所を挙げていません。推測で土地を挙げるより、無いと書くほうが正確です。
クロアントスが現代に残した痕跡
クロアントスの名は、氏族の由緒として残りました。
クルエンティウス氏族: この人物を祖と称したローマの家。詩のなかで名の由来が明示されている。
スキュッラ号: 指揮した船の名。海の怪物の名を掲げた船が競走に勝つという配置になっている。
金の縁取りの外套: 勝者への褒美。鷲が少年をさらう図柄が織り出され、故郷トロイアの記憶を映す。
ポルトゥーヌスの一押し: 港の神が船を押して勝たせた場面。願かけと成就の型を示す例として引かれる。
クロアントスが司るもの
航海の勝利
船競走に勝ち、海の神々の助けを受けた者として語られる。
正しい祈り
捧げる物を先に約束する願かけの手順を、そのまま実行した。
家の由緒
クルエンティウス氏族の祖とされ、一族の起こりを示す名として用いられた。
クロアントスが登場するゲーム・アニメ
作品でのクロアントスは、勝者としての一場面に限られます。
人物として単独で扱われることはなく、競走の到着の場面に置かれるのが通例です。勝った者より、失敗した者のほうが絵になりやすいためです。
挿絵では、手を海へ差し出す姿が選ばれることがあります。
日本ではこの人物を単独で扱った作品は見当たりません。『アエネーイス』の訳書を通じて名が知られている状態です。
クロアントスが登場するゲーム
古代を舞台にした物語ゲーム
船団の指揮官の一人として、航海の場面に配されます。
競走を扱う歴史ゲーム
追悼の競技会が催しとして再現されることがあります。
クロアントスが登場する絵画・彫刻
アエネーイスの挿絵版画
第5巻の船競走で、先頭に立つ船として描かれます。
古代の浮彫に見る競漕
櫂を並べた船の浮彫が残り、この場面の理解に用いられてきました。
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クロアントスについてよくある質問
クロアントスはどんな人物ですか。
アエネーアースの船団の一隻スキュッラ号の艦長です。第5巻の船競走で、海の神々に犠牲を誓って勝利しました。褒美は金の縁取りをした外套です。
なぜ勝てたのですか。
追い上げの途中で海の神々に誓いを立てたためと語られます。願いは聞き届けられ、港の神ポルトゥーヌスが船を押しました。腕比べではなく祈りの正しさが勝敗を決める場面です。
クルエンティウス氏族との関係は何ですか。
ウェルギリウスは、この家がクロアントスから名を得たと詩のなかで明示しました。ただし語形はそれほど似ておらず、実際には氏族名が先にあり、そこから人物が作られたと考えられています。
褒美の外套にはどんな図柄がありましたか。
鷲が少年をさらう場面が織り出されていました。トロイアの王子ガニュメーデースの物語にあたり、失った故郷の記憶を映す品として描かれています。