王子に辱められて自ら死を選び、王政を終わらせた女性。
ルクレティアとは何の神様か
ルクレティアはローマの王政を終わらせたとされる女性です。コッラーティーヌスの妻でした。
戦陣で若者たちが妻の品定めを始め、夜中に馬を飛ばして各家を見て回ります。ほかの妻が宴に興じるなか、彼女だけが灯のもとで羊毛を紡いでいました。
その姿を見た王子セクストゥス・タルクィニウスが、数日後に彼女の家を訪ね、刃を突きつけて辱めます。
翌朝、彼女は父と夫を呼び、報復の誓いを立てさせてから自ら胸を刺しました。
罰を受けずに済ませる女に、私はなりません。
この死を掲げてブルートゥスが民を動かし、前509年に王家は追われます。
共和政の始まりが、一人の女性の死から語り起こされています。
ルクレティアのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ルクレティア」で定着しています。英語では「ルークリース」に近い読みになります。
神ではなく人です。祀られた記録もありません。
名は、ルクレティウス氏族の女性を指す形です。
ローマの女性は氏族名を女性形にしたものを名としました。個人名がほとんど伝わらないのはそのためです。
近世の絵画では画題として「ルクレティア」と記されることが多く、短剣を胸にあてた女性の像を指す言葉としても通じます。
Lucretia(ルクレティア)
ラテン語の主格。ルクレティウス氏族の女性を指す形でもある。
Sp. Lucretius Tricipitinus(スプリウス・ルクレティウス)
父の名。共和政最初の年に執政官を務めたとされる。
L. Tarquinius Collatinus(コッラーティーヌス)
夫の名。コッラーティアの町の名を負う。ブルートゥスとともに最初の執政官になった。
ルクレティアの物語
妻くらべ ─ 夜中の抜け駆け
ローマ軍がアルデアの町を囲んでいたときのことです。
長引く陣中で、若者たちが酒を飲みながら自分の妻を自慢し始めました。
言い合っても決まらない。見に行けばよい。
コッラーティーヌスの言い出しで、一同は馬を飛ばしてローマへ向かいます。
王家の嫁たちは、いずれも宴に興じていました。
そこからさらにコッラーティアまで走ると、夜更けにもかかわらず、ルクレティアは侍女たちと羊毛を紡いでいました。
勝負は決まりました。 彼女は夫と客をもてなします。
このとき同行していたのが、王の子セクストゥス・タルクィニウスでした。自慢が、そのまま災いを呼び込みます。
辱め ─ 刃と、もう一つの脅し
数日後、セクストゥスは供を連れず、ひそかにコッラーティアへ向かいました。
客として迎えられ、寝所に通されます。
夜半、彼は剣を抜いてルクレティアの寝床に立ちました。
脅しても、彼女は動じません。死をもって拒みます。
そこで彼は、もう一つの脅しを口にしました。
お前を殺し、奴隷を一人殺して、その裸をお前のかたわらに置く。
不義の現場で討たれたことにするという脅しです。
彼女は屈しました。リウィウスは、この一点を丁寧に書いています。命ではなく、名を守るために屈したという筋になっています。
セクストゥスは去り、彼女は父と夫に使いを出しました。
死 ─ 誓いを立てさせてから
父スプリウス・ルクレティウスと夫コッラーティーヌスが駆けつけます。
父は友人を、夫はルキウス・ユニウス・ブルートゥスを連れていました。
彼女は起きたことを語り、報復の誓いを求めます。
四人は誓いました。罪は心にはない、身にあるのだと言って慰めます。
彼女はこう答えたと伝えられます。
私は自分を許しますが、罰は受けます。
そして、衣の下に隠していた刃で自らの胸を刺しました。
許しを受け取ってから、あえて死ぬ。 この順序が、この場面の要です。
ブルートゥスは刃を抜き取り、血のついたまま掲げて誓いを叫びました。それまで愚か者を装っていた男が、ここで正体を現します。
王政の終わり ─ 遺体を掲げて
一行は遺体をコッラーティアの広場へ運び、人々を集めました。
そこからローマへ移し、フォルムで同じことを行います。
ブルートゥスは、王家の行いを一つずつ数え上げた。
ルクレティアの一件だけでなく、王が元老院に諮らずに統治したこと、民を土木工事に酷使したことが並べられました。
民会は王家の追放を決議します。軍もこれに同調しました。
アルデアの陣にいた王タルクィニウス・スペルブスは、ローマの門を閉ざされます。前509年のこととされます。
セクストゥスは逃れた先で殺されました。
ブルートゥスとコッラーティーヌスが最初の執政官になります。ただしコッラーティーヌスは王家の姓を持つという理由で、まもなく職を退かされました。
ルクレティアの家系図と家族
ルクレティアの性格と人物像
ルクレティアは、ローマ人が「あるべき妻」として作り上げた像です。
夜更けに羊毛を紡ぐ姿は、ローマの墓碑によく刻まれた言葉と重なります。「家を守り、羊毛を紡いだ」という定型の讃辞です。
讃辞の言葉が、そのまま場面になっています。
彼女の行動には、一貫した筋があります。名を守るために屈し、名を守るために死ぬ。
後世、この死をめぐって議論が起きました。アウグスティヌスは『神の国』で、罪が無いなら死ぬ必要はなかったと論じています。無実の者が自らを殺すことの是非を問う議論です。
近代以降は、語られてこなかった彼女自身の意志を主題にする書き直しが繰り返されました。
実在したかどうかは確かめられていません。王政から共和政への転換を説明するために組み立てられたとみる説が有力です。
ルクレティアゆかりの地と遺跡
ルクレティアを祀った神殿や墓所は、記録に残っていません。
神ではなく、共和政の始まりを語る場面のなかの女性として伝えられました。
遺体はコッラーティアとローマの広場に掲げられたとされます。
そのあとどこに葬られたかは伝わっていません。
ここに挙げたのは、いずれも物語の舞台です。そのため、この節の見出しを「ゆかりの地」としています。
なお、ローマのフォルムに彼女の像があったという記録は見つかりません。共和政の記憶は、像ではなく物語として受け継がれました。
コッラーティア(Collatia)
ルクレティアの家があったとされる町
コッラーティアの住所: イタリア ローマ東郊 アニエーネ川沿い(北緯41.9252 東経12.6671)
コッラーティアの祀られた神: (この女性を祀る施設は無い)
コッラーティアに残るもの: 町の跡。中世の塔(カステッラッチョ)が建つ
コッラーティアのご利益: (祀る施設は無い)
夫コッラーティーヌスの名の由来となった町です。夜更けの妻くらべも、辱めも、死も、ここで起きたとされます。
ローマとガビイのあいだ、アニエーネ川沿いにありました。アルバ・ロンガの植民市とされる古い町です。
タルクィニウスの時代にローマに従い、共和政期には衰えました。いま古代の町の姿はほとんど残っていません。
ローマ東郊。丘の上に中世の塔が残り、そこから川筋を見渡せる。
アルデア(Ardea)
ローマ軍が囲んでいた町。妻くらべの発端の地
アルデアの住所: イタリア ラツィオ州 アルデア(北緯41.6094 東経12.5470)
アルデアの祀られた神: (この女性を祀る施設は無い)
アルデアに残るもの: 城塞の跡と、聖域の跡
アルデアのご利益: (祀る施設は無い)
ルトゥリ人の町で、王タルクィニウス・スペルブスが囲んでいた場所です。陣中の酒席から、すべてが始まりました。
王はこの陣にいたため、ローマで起きた事態に手が打てませんでした。戻ったときには門が閉ざされていました。
『アエネーイス』では、トゥルヌスの都として出てきます。ローマの物語の二つの場面が、同じ町を舞台にしています。
ローマ南西の海岸寄り。城塞のある丘に古代の層が残る。
ルクレティアが現代に残した痕跡
ルクレティアの名は、絵画と歌劇の題材として残りました。
短剣を持つ女性像: ティツィアーノ、レンブラント、クラーナハなど、胸に刃をあてる姿が繰り返し描かれた。
シェイクスピアの物語詩: 「ルークリースの凌辱」。長編の詩で、彼女の心の動きを内側から書いている。
ブリテンの歌劇: 「ルクレティアの陵辱」。20世紀の作品で、少人数で上演できる室内歌劇として知られる。
共和政の由来: 前509年の王家追放の直接のきっかけとして、ローマ史の区切りに置かれた。
ルクレティアが司るもの
貞節
ローマ人が理想とした妻の姿として、墓碑の讃辞と重ねて語られた。
共和政の始まり
この死をきっかけに王家が追われたとされ、自由の由来に置かれた。
家を守ること
夜更けに羊毛を紡ぐ姿が、家の務めを果たす女性の型となった。
ルクレティアが登場するゲーム・アニメ
作品でのルクレティアは、死の直前の姿で描かれることがほとんどです。
短剣を胸にあてた女性像は、近世の画題として定型になりました。
描かれるのは、決意の一瞬です。
20世紀以降は、彼女自身の言葉を中心に置く書き直しが増えています。シェイクスピアの物語詩とブリテンの歌劇が、その代表にあたります。
ルクレティアが登場するゲーム
ローマを舞台にした物語作品
王政の終わりを描く場面で登場します。
歴史をあつかう戦略ゲーム
共和政への移行を示す出来事として言及されます。
ルクレティアが登場する絵画・音楽
ティツィアーノの作品
寝所に踏み込まれる場面を、激しい動きとともに描いています。
レンブラントの作品
刃を胸にあてた直後の姿を、静かな光のなかに置いています。
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ルクレティアについてよくある質問
ルクレティアは実在した人物ですか。
確かめられていません。王政から共和政への転換を説明するために組み立てられた物語とみる説が有力です。ただし、王家追放そのものが前6世紀末に起きたことは他の資料からも支持されています。
なぜ自ら死を選んだのですか。
罪は心にはないと慰められたうえで、それでも罰は受けると答えて刃を用いたと伝えられます。許しを受け取ってからあえて死ぬ、という順序がこの場面の要になっています。
この一件で何が変わったのですか。
ブルートゥスが遺体を掲げて民を動かし、前509年に王家が追われました。王政が終わり、二人の執政官を毎年選ぶ共和政が始まったとされます。
ルクレティアを祀った場所はありますか。
ありません。神ではなく物語のなかの女性として伝えられました。葬られた場所も伝わっていません。