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ローマ神話

ラーウィーニアとは何の神様か|家系図・物語・ゆかりの地

Lavinia  / ラーウィーニア

大地 アエネーイスの人々

ラティーヌスの娘。アエネーアースの妻となり、町の名に残った。

ラーウィーニアとは何の神様か

ラーウィーニアはひとことで言えば戦の原因になりながら、一言も語らない王女です。

ラティウムの王ラティーヌスと妃アマータのひとり娘。跡取りの男子がいないため、この娘と結ぶ者が土地を継ぐことになります。

婚約者は、ルトゥリの王トゥルヌスでした。ところが父が神託を受けます。娘を土地の者に嫁がせてはならない、外から来る者と結べ、と。

祭壇の前で、娘の髪に火が移りました。

冠と髪飾りが燃え上がり、それでいて身は焼けません。占い師は、娘は輝かしい名を得るが、民には大きな戦が来ると読みました。

そのとおりになります。 トロイアから来たアエネーアースと婚約者トゥルヌスのあいだで、『アエネーイス』後半の戦がすべて起こりました。

彼女には、作中で一言もせりふが与えられていません。 顔を赤らめ、涙を流す場面があるだけです。

夫となった男は、この妻の名を取って町をラーウィーニウムと名づけました。

ラーウィーニアのローマ名・ギリシャ名と読み方

日本語では「ラーウィーニア」「ラウィニア」「ラヴィニア」と、表記が三通りほどに分かれます。長音とヴの書き方の違いによるもので、いずれも同じ人物です。

英語圏の小説や歌劇を紹介するときには「ラヴィニア」の形が多く使われます。

名と町の名が、同じ語幹でつながっています。

アエネーアースが妻の名から町をラーウィーニウムと名づけたと詩は語りますが、実際には町の名が先で、そこから王女の名が作られたとみるほうが自然です。地名から人名を作る語り方は、ローマの伝えに繰り返し現れます。

なお、シェイクスピアの戯曲に同じ名の登場人物がいますが、別人です。こちらはローマを舞台とする創作の人物で、この王女とは関係がありません。検索の際は取り違えに注意が要ります。

Lavinia(ラーウィーニア)

ラテン語の主格。町の名ラーウィーニウムと同じ語幹を持ち、どちらが先かは決まっていない。

Lavinium(ラーウィーニウム)

アエネーアースが妻の名から付けたとされる町。ローマの祭祀にとって重い意味を持ち続けた。

Amata(アマータ)

母の名。娘を婚約者トゥルヌスに嫁がせようとして、この縁組に最後まで反対した。

ラーウィーニアの物語

  1. 婚約と神託 ─ 二人の男のあいだで
  2. 燃える髪 ─ 祭壇の前の前兆
  3. せりふのない人 ─ 叙事詩での置かれ方
  4. ラーウィーニウム ─ 町の名と、後世の語り直し

婚約と神託 ─ 二人の男のあいだで

ラティーヌス王には、跡を継ぐ男子がいませんでした。 一人だけいた息子は幼くして死んだと語られます。

そのため、この娘と結ぶ者が土地を継ぐことになります。求婚者はラティウム中から集まりました。

もっとも有力だったのがトゥルヌスです。ルトゥリ人の王であり、母アマータの甥にあたります。母は、この縁組を強く望みました。

母の望みと、父の受けた神託が、正面からぶつかります。

ファウヌスの神託は、娘を土地の者に嫁がせてはならない、外から来る者と結べ、その血から世界を治める子孫が出る、と告げました。

そこへアエネーアースの一行が着きます。王は使者を迎え、娘と土地を約束しました。

本人の意向は、どこにも書かれていません。 婚約も、破棄も、新しい約束も、すべて周囲が決めています。

この置かれ方が、後の世の読み手をずっと引っかからせてきました。

燃える髪 ─ 祭壇の前の前兆

戦の前に、いくつもの前兆が起こります。そのうち二つが、この娘に関わるものでした。

ひとつは蜜蜂です。宮殿の中庭の月桂樹に、大群が飛来して枝にぶら下がりました。占い師は、外から来た者がこの城の主になると読みます。

もうひとつが、髪の火です。

祭壇に火を灯していたとき、娘の長い髪に炎が移った。

冠が燃え、宝石の髪飾りが焼け、頭のまわりを火が包みました。それでいて、身は焼けません。

占い師はこう読みました。娘自身には輝かしい名と運命が待つ。しかし民には、大きな戦が来る。

この場面は、火が二つの意味を同時に持つ点で知られます。栄えの光であり、戦の火でもある。

ローマの詩には、頭が光る前兆がほかにも出てきます。ロームルスの祖の子アスカニウスの髪にも、同じように火がともりました。

前兆は、人ではなく国の行く末を告げています。 娘は火に包まれながら、何も言いません。

せりふのない人 ─ 叙事詩での置かれ方

『アエネーイス』全12巻を通じて、この娘に与えられたせりふは一言もありません。

描かれるのは、髪が燃える場面、母に連れられて山へ走る場面、そして顔を赤らめる場面です。

第12巻、一騎討ちが決まったとき、トゥルヌスが彼女を見ます。娘は涙を流し、頬が赤く染まりました。詩人はこれを、白い象牙に紅を差したような色、庭の白百合のあいだに紅の薔薇が混じった色と書きます。

何に対して赤らめたのかは、書かれていません。

婚約者への同情なのか、恥じらいなのか、恐れなのか。古代の注釈者から現代の研究者まで、この一行の解釈は分かれ続けています。

沈黙は、叙事詩のなかで意図的なものとみられています。彼女は個人ではなく、土地そのものを表す存在として置かれている、という読み方です。

土地は語りません。誰が支配するかを決められもしません。語らない人物であることが、この王女の役割そのものでした。

近代の書き手が彼女に惹かれるのは、この空白があるためです。

ラーウィーニウム ─ 町の名と、後世の語り直し

戦が終わり、彼女はアエネーアースの妻になりました。夫は妻の名を取って、新しい町をラーウィーニウムと名づけます。

この町は、ローマにとって特別な場所であり続けました。ローマの執政官と法務官は、就任の際にここへ出向いて祭を行う決まりだったと伝えられます。トロイアから運ばれた家の守り神が、この町に置かれていたためです。

ローマの祭祀は、この町を親のように扱いました。

夫の先妻の子アスカニウスにとっては継母にあたります。後の伝えでは、夫の死後にこの継子を恐れて森に隠れ、そこで子を産んだともされます。その子シルウィウスからアルバ・ロンガの王家が続き、やがてロームルスに至るという系図が組まれました。

近年では、彼女の側から物語を語り直す試みが続いています。ル=グウィンの小説は、詩人に語られなかった女性が自ら語り始めるという形で書かれました。

空白があるからこそ、後の世が書き込める余地がありました。 歌劇や舞台でも、同じ理由でこの人物が選ばれています。

ラーウィーニアの家系図と家族

ラーウィーニアの親: ラティーヌスアマータ

ラーウィーニアの妻・夫: トゥルヌス婚約していた相手

ラーウィーニアの性格と人物像

ラーウィーニアは、性格を語る材料が意図的に消された人物です。

語らず、選ばず、抗いません。婚約も破棄も、母の企ても、父の決断も、すべて彼女の外側で進みます。

それでいて、物語の中心にいます。

戦の原因は彼女であり、勝者が得るのも彼女です。役割の大きさと、描写の薄さが、極端に釣り合っていません。

古い読み方では、これは女性を土地の象徴として扱う型として説明されてきました。土地は語らず、勝った者のものになる。詩の構図としては、たしかにそう働いています。

一方、近代以降の読み手は別の見方をします。この沈黙は、書かれなかったのではなく、書かれないことによって示されている という読み方です。

火に包まれても、母に連れ去られても、婚約者が死んでも、彼女は何も言いません。その連なりが、かえって強い印象を残します。

この人物の像は、読み手の側が作るように置かれています。

ラーウィーニアゆかりの地と遺跡

ラーウィーニアを祀った神殿は、記録に残っていません。 名を残した町はありますが、そこで祀られたのは彼女ではありません。

ここに挙げたのは、名の由来となった町の遺構です。夫を祀ったとされる廟と、ラテン諸都市が共同で祭を行った祭壇群です。

祈られた場所ではなく、名が残った土地です。

そのため、この節の見出しを「ゆかりの地」としています。

ラーウィーニウムには、トロイアから運ばれたとされる家の守り神が置かれ、ローマの執政官と法務官が就任の際に出向いて祭を行う決まりだったと伝えられます。ローマの祭祀は、この町を起こりの場として扱い続けました。

現在の地名はプラティカ・ディ・マーレ。海に近い平野の一角にあたります。

ラーウィーニウムの英雄廟(Heroon Aeneae)

英雄を祀る廟とされた墳丘

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ラーウィーニウムの英雄廟の住所: イタリア ラツィオ州 ラーウィーニウム(北緯41.6565 東経12.4792)

ラーウィーニウムの英雄廟の祀られた神: (祭神は特定されていない)

ラーウィーニウムの英雄廟に残るもの: 前7世紀の墳丘墓と、その上に置かれた前4世紀の建物

ラーウィーニウムの英雄廟のご利益: (この王女を祀る場ではない)

前7世紀の墳丘墓の上に、前4世紀になってから建物が置かれた遺構です。夫アエネーアースを祀る廟として整えられたと考えられています。

もとの墓が作られたころには、まだこの物語は成立していません。後の時代の人々が、古い墓を英雄の墓として見立てたとみられます。

遺構と伝えの年代が、数百年ずれています。

この町がローマの祭祀にとって重い場所であり続けたことを示す遺構です。彼女自身を祀った施設は、確かめられていません。

プラティカ・ディ・マーレの集落の近く。囲われた区画として外から見学できる。

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ラツィオの現地ツアーや入場券を探せます。

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トレディチ・アルターリ(Tredici Altari)

ラテン諸都市が共同で祭を行った祭壇群

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トレディチ・アルターリの住所: イタリア ラツィオ州 ラーウィーニウム(北緯41.6568 東経12.4778)

トレディチ・アルターリの祀られた神: (祭神は特定されていない)

トレディチ・アルターリに残るもの: 横一列に並ぶ石造の祭壇(現在は十三基が確認されている)

トレディチ・アルターリのご利益: (この王女を祀る場ではない)

町の外に、石の祭壇が横一列に並んで見つかりました。前6世紀から前4世紀にかけて使われたとみられ、順に建て増されたと考えられています。

ラテン諸都市が共同で祭を行った場とされ、この町が広い範囲の祭祀の中心だったことを示します。

近くからは、ギリシャ語の献辞を刻んだ銅板も出土しています。名の由来となった王女の縁組が語られる土地に、実際に古い祭祀の跡が重なっている形です。

プラティカ・ディ・マーレの集落の近く。英雄廟から歩いて行ける距離にある。

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ラーウィーニアが現代に残した痕跡

この王女の名は、町の名と、後世の語り直しとして残りました。

ラーウィーニウム: 名の由来とされる町。ローマの執政官が就任の際に祭を行う決まりだったと伝えられ、祭祀の起点とされた。

燃える髪の前兆: 祭壇の前で髪に火が移った場面。栄えと戦の二つを同時に告げるしるしとして読まれた。

せりふのない登場人物: 叙事詩を通じて一言も語らない点が、文学研究で繰り返し取り上げられている。

ラウィニア: ル=グウィンの小説。詩に語られなかった王女が自ら語り出すという形で書かれている。

ラーウィーニアが司るもの

縁結び

外から来た者と結ばれた縁組が、国の始まりとして語られた。

町の名

ラーウィーニウムの名の由来として、ローマの祭祀に長く関わった。

継承

その血がアルバ・ロンガの王家に続き、ロームルスに至る系図が組まれた。

ラーウィーニアが登場するゲーム・アニメ

この王女が単独で描かれることは、古典の時代にはほとんどありませんでした。 せりふが無く、場面も少ないためです。

空白が注目されるのは、近代に入ってからです。

二十世紀以降、語られなかった女性の側から神話を書き直す試みが広がり、この人物はその中心のひとつになりました。ル=グウィンの小説はその代表です。

絵画では、婚約の場面や前兆の場面に置かれます。単独の肖像はほとんど残っていません。

日本では、ル=グウィンの小説の翻訳を通じて名が知られるようになった読者も多く、『アエネーイス』の登場人物としてよりも、そちらから入る道が開けています。

ラーウィーニアが登場する古典の記述

アエネーイス

第7巻で前兆に包まれ、第12巻で顔を赤らめる場面が描かれます。

ローマ建国以来の歴史

第1巻の冒頭で、町の名の由来となった妻として記されます。

ラーウィーニアが登場する小説・舞台

ラウィニア

ル=グウィンの小説。王女の一人称で物語が語り直されます。

アエネーアースを題材とする舞台作品

婚約者を失う王女として、終幕に置かれることがあります。

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ラーウィーニアについてよくある質問

ラーウィーニアはどんな人物ですか。

ラティウムの王ラティーヌスと妃アマータのひとり娘です。トゥルヌスと婚約していましたが、神託によりアエネーアースの妻となりました。アエネーイス全12巻を通じて、一言もせりふが与えられていません。

髪が燃えた話とは何ですか。

祭壇の前に立ったとき、長い髪に炎が移り、冠と髪飾りが燃え上がったという前兆です。それでいて身は焼けませんでした。占い師は、娘は輝かしい名を得るが民には大きな戦が来るしるしと読みました。

なぜ一言も話さないのですか。

わかっていません。詩人の意図とみる読み方が有力で、彼女が個人ではなく土地そのものを表す存在として置かれているためと説明されます。この空白が、後世に語り直しの余地を残しました。

ラーウィーニウムとはどんな町ですか。

夫アエネーアースが妻の名を取って名づけたとされる町です。トロイアから運ばれた家の守り神が置かれ、ローマの執政官と法務官が就任の際に祭を行う決まりだったと伝えられます。現在のプラティカ・ディ・マーレにあたります。

この王女を祀った場所はありますか。

ありません。ラーウィーニウムには夫を祀ったとされる英雄廟や、ラテン諸都市が共同で祭を行った祭壇群が残りますが、彼女自身を祀った施設は確かめられていません。