ローマの太陽神。帝政後期には打ち負かされない太陽として国家の神になった。
ソールとは何の神様か
ソールはひとことで言えばローマの暦のなかにいた太陽です。物語の神ではなく、祭壇と祭日を持った神でした。
古い形はソール・インディゲスと呼ばれます。クィリナーレの丘に祭壇があり、祭日は8月9日と12月11日とされました。
太陽は毎日のぼる。だから物語にならない。
ローマ人がこの神について語ったのは、いつ祭を行い、どこに祭壇を置くかという話でした。
戦車競走の場キルクス・マクシムスには、ソールとルーナの神殿がありました。競走に出る四つの組は、いずれもこの神に結びつけて説明されます。
帝政後期になると姿が変わります。ソール・インウィクトゥス、すなわち「打ち負かされない太陽」が、国家の神として立てられました。
274年12月25日、アウレリアヌス帝が神殿を奉献します。財源はパルミュラから得た戦利品でした。
ローマの太陽は、物語ではなく、暦と国家の側から大きくなった神です。
ソールのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ソール」と長音で書く形と、「ソル」と短く書く形の両方が使われます。ラテン語の母音は長いため、ここでは長音の形をとっています。
ソール・インウィクトゥスは、日本語で「無敵の太陽」と訳されることが多い呼び名です。ただしインウィクトゥスは「打ち負かされたことがない」という意味で、「無敵」よりも「打ち負かされない」のほうが原語に近くなります。
もう一つの呼び名ソール・インディゲスのインディゲスは、外から来たのではない、その土地に元からいる神を指すとされます。ただし語の由来ははっきりしていません。
なお、ローマの太陽祭祀とギリシャの太陽神は、同一視こそされましたが、別々に育った信仰です。ローマ側で問われたのは、いつ祭を行い、どこに祭壇を置くかでした。
Sol(ソール)
ラテン語の主格で、属格はソーリスとなる。太陽そのものを指す普通名詞でもあり、神の名と天体の名を同じ語で表していた。
Sol Indiges(ソール・インディゲス)
古い形の祭神名。インディゲスは土地に根ざした神を指す語とされるが、意味は確定していない。クィリナーレの丘に祭壇があった。
Sol Invictus(ソール・インウィクトゥス)
打ち負かされない太陽の意。帝政後期の国家祭祀での祭神名で、貨幣や碑文にきわめて多く残っている。
ソールの物語
- ソール・インディゲス ─ クィリナーレの丘の古い祭壇
- 競走場の太陽 ─ キルクス・マクシムスと四つの組
- 打ち負かされない太陽 ─ 274年12月25日の奉献
- 12月25日をめぐって ─ 決着していないこと
ソール・インディゲス ─ クィリナーレの丘の古い祭壇
ローマの太陽神には、二つの層があります。
古いほうがソール・インディゲスです。クィリナーレの丘に祭壇があり、祭日は8月9日と12月11日の二日とされました。
ウァロは、この祭壇をサビニ王ティトゥス・タティウスが持ち込んだものの一つに数えた。
同じ数えかたのなかに、ルーナやオプスの祭壇も並んでいます。ローマ人は、古い祭壇の起こりをこの王に帰す言い方をよくしました。
そのため、サビニ由来という説明そのものが、後から作られた由来話である可能性も残ります。
はっきりしているのは、帝政より前から、ローマに太陽の祭壇があったことです。神話が語られるより前に、暦のなかに場所がありました。
もう一つ、ローマ市外のラウレントゥムの一帯にも、ソール・インディゲスの祭祀があったと伝えられます。ただし場所は特定されていません。
競走場の太陽 ─ キルクス・マクシムスと四つの組
ローマ人が太陽をもっとも身近に感じたのは、戦車競走の場でした。
キルクス・マクシムスにはソールとルーナの神殿があり、競走場が大きくなるにつれて、観客席の側に取り込まれていきました。
競走に出る組は四つあり、それぞれ色で分かれていました。この四つを、太陽の運行や季節に結びつけて説明する書き方が古代からあります。
競走場そのものを、天の運行の模型と見る読み方です。
長い直線を往復するかたちも、中央に立てられた標識も、太陽の一年になぞらえられました。
ただし、こうした説明は後の時代の書き手によるものです。 競走がはじめからそういう意味を持っていたかは、わかっていません。
はっきりしているのは、ローマでもっとも人が集まる場所に、太陽の神殿があったことです。数万人の観客が、太陽と月の建物を見ながら競走を見ていました。
打ち負かされない太陽 ─ 274年12月25日の奉献
3世紀のローマは、皇帝が次々に倒れる時代でした。
アウレリアヌス帝は東方のパルミュラを平定し、その戦利品を持ち帰ります。
274年12月25日、太陽の神殿が奉献された。
建てられた場所はカンプス・アグリッパエと伝えられます。財源はパルミュラから得た戦利品でした。
この神殿の神がソール・インウィクトゥスです。皇帝はこの神を国家の神として押し出し、専属の神官団を置いたとされます。
ばらばらになりかけた帝国を、一つの神でまとめ直そうとしたという読み方がされます。太陽はどの属州からも見えるからです。
古い土地の神ソール・インディゲスと、この国家の神を、どこまで同じ神とみるかは決着していません。 祭壇の由来も祭日も別で、あいだが空いています。
神殿は地上に残っていません。
12月25日をめぐって ─ 決着していないこと
ソールの話でいちばん多く引かれるのが、12月25日です。
この日はソール・インウィクトゥスの祭日でした。同じ日が、のちにキリスト降誕の日と定められています。
だから降誕祭は太陽の祭を引き継いだのだ。
そう説明されることがよくあります。ただし、これは確定していません。
降誕の日を12月25日とする記述と、太陽の祭日を12月25日とする記述のどちらが先か、資料の年代が近すぎて順序を決められないためです。逆に、キリスト教側の日付が先にあったとする説も出されています。
わかっているのはここまでです。 二つの祭日が同じ日にあり、どちらが先かは決められない。
こう書くと物足りなく見えますが、両方の説を知っておくほうが、断定された説明より役に立ちます。
なお、コンスタンティヌス帝の貨幣には、放射冠をかぶった太陽の姿が長く刻まれ続けました。
ソールの家系図と家族
ソールのきょうだい: ルーナキルクス・マクシムスに並んで祀られる
ソールの性格と人物像
ソールには、人としての性格がほとんど描かれていません。
恋も争いも語られず、伝わっているのは祭壇の場所と祭日と、神殿を建てた皇帝の名です。
物語の神ではなく、制度の神でした。
図像の目印ははっきりしています。放射状の冠、すなわち頭からまっすぐ光線が伸びる冠です。この冠は皇帝の肖像にも使われるようになりました。
研究上の位置づけとしては、古い土地の神と、帝政後期の国家の神を、同じ名で呼んでよいかが長く論点になってきました。祭壇の由来も祭日も違い、あいだの記録が薄いためです。
一つの名のもとに、少なくとも二つの信仰があった。 そう考えたほうが、伝わっている記録には合います。
ソールを祀った神殿と遺跡
ソールの祭祀の場は、少なくとも三つ伝えられています。
一つめがクィリナーレの丘のソール・インディゲスの祭壇。二つめがキルクス・マクシムスのソールとルーナの神殿。三つめが、ここに挙げたアウレリアヌス帝の神殿です。
このうち位置を確かめられたのは、三つめだけです。
古い祭壇と競走場の神殿は、記録に名は残るものの、いまのところ場所を特定できていません。 そのため欄には入れず、本文で触れるにとどめました。
なお、ローマ市外のラウレントゥムの一帯にも祭祀があったと伝えられますが、こちらも場所は特定されていません。
ソールの神殿(Templum Solis)
ソール・インウィクトゥスを祀った国家の神殿
ソールの神殿の住所: イタリア ローマ(北緯41.8918 東経12.4861)
ソールの神殿の祀られた神: ソール・インウィクトゥス
ソールの神殿に残るもの: 地上に残っていない
ソールの神殿のご利益: 国の守り・勝利
アウレリアヌス帝が274年12月25日に奉献した神殿です。財源はパルミュラから得た戦利品でした。
建てられた場所はカンプス・アグリッパエと伝えられます。大きな囲いの中に建物が置かれた形だったとされ、後世の記録には壮麗さを伝える記述が残ります。
近世まで壁体の一部が見えていたという記録がありますが、いま地上に古代の建物は残っていません。
この神殿の奉献をもって、太陽はローマ国家の神になりました。
古代の建物は残っていないため、位置をたどるだけの見学になる。
ソールが現代に残した痕跡
ソールの名は、太陽そのものを指す語として、いまも広く残っています。
太陽を指す語: ラテン語のソールが、イタリア語・スペイン語・フランス語の太陽の意味の語になっている。
日曜日: ヨーロッパの諸言語で、日曜日の名が太陽の日という言い方から来ている。
放射状の冠: 頭から光線が伸びる冠は、帝政期の貨幣や像で皇帝の肖像にも用いられた。
自由の女神像の冠: 光線の伸びる冠という形そのものが、後世の記念像にも受け継がれている。
ソールが司るもの
国の守り
帝政後期に国家の神として立てられ、皇帝の権威を支える神とされた。
勝利
打ち負かされない太陽という呼び名のとおり、負けないことを願う神とされた。
暦の巡り
一年の折り返しを告げる神として、冬至のころの祭日が置かれた。
ソールが登場するゲーム・アニメ
作品でのソールは、ギリシャの太陽神と区別されないまま描かれることがほとんどです。
放射状の冠と四頭立ての車という図像が強いため、名前だけが入れ替わって使われます。
ローマ側の特徴は、絵よりも歴史の記述に出てきます。
アウレリアヌス帝の神殿や12月25日をめぐる議論は、絵画よりも歴史書や解説番組で扱われる主題です。
ソールが登場するゲーム
ローマを扱う歴史戦略ゲーム
後期ローマを扱う作品で、太陽の神殿や祭日が要素として現れます。
神話を扱う対戦型ゲーム
太陽の神として、放射冠の姿で描かれることがあります。
ソールが登場する絵画・彫刻
放射冠の太陽神を刻んだ貨幣
3世紀から4世紀の貨幣に、光線の冠をかぶる太陽の姿が繰り返し打たれています。
四頭立ての車を駆る太陽
後世の絵画や天井画で、光線の冠と車が組み合わされて描かれます。
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ソールについてよくある質問
ソールとギリシャの太陽神は同じ神ですか。
同一視はされましたが、育ちが違います。ローマのソールは祭壇と祭日を持つ暦のなかの神で、物語をほとんど持ちません。神殿の奉献や祭日の日付を追うのが、ローマ側のソールの見方になります。
ソール・インウィクトゥスとは何ですか。
打ち負かされない太陽という意味の祭神名です。3世紀のアウレリアヌス帝が国家の神として立てました。274年12月25日に神殿が奉献され、財源はパルミュラから得た戦利品でした。
12月25日はソールの祭日だったのですか。
ソール・インウィクトゥスの祭日として12月25日が記録されています。キリスト降誕の日を同じ日に定めたこととの関係については説がありますが、資料の年代が近く、どちらが先かは確定していません。
ソールの神殿はいま見られますか。
アウレリアヌス帝の神殿は地上に残っていません。クィリナーレの丘の古い祭壇と、キルクス・マクシムスのソールとルーナの神殿も、いまのところ位置が特定されていません。
なぜ戦車競走とソールが結びつくのですか。
キルクス・マクシムスにソールとルーナの神殿があり、競走に出る四つの組が太陽に結びつけて説明されたためです。ただしこの説明は後の時代の書き手によるもので、はじめからの意味かはわかっていません。