サビニ人の王。ロームルスと戦ったのち、共同の王としてローマを治めた。
ティトゥス・タティウスとは何の神様か
ティトゥス・タティウスはローマがよその民を取り込む物語の要にあたる人物です。サビニ人の町クレースの王とされます。
きっかけはサビニの女たちの略奪でした。ローマ人が祭に招いたサビニ人から娘たちを奪ったため、タティウスが軍を起こします。
カピトリウムの砦は、守将の娘タルペーイアの裏切りで落ちました。しかし決戦の場に、奪われた女たちが割って入ります。
一方には父、一方には夫。どちらが倒れても、私たちは失う。
和議が結ばれ、二人の王による共同統治が始まりました。
5年ののち、タティウスはラーウィーニウムで祭のさなかに殺されます。ロームルスは仇を討たなかったと伝えられます。
ローマは、初めから二つの民の合わさった国として自らを語りました。
ティトゥス・タティウスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ティトゥス・タティウス」で定着しています。「タティウス」と短く呼ばれることもあります。
神ではなく人です。ローマの伝えでも、死後に神になったとはされていません。
ローマの三つの部族の一つに、この王の名が残りました。
ラムネース・ティティエーンセース・ルケレースという三つの部族のうち、ティティエーンセースがこの王の名によるとされます。
サビニ人はローマの北東の山地に住んだ民です。ラテン人とは別の言葉を話しました。ローマの祭祀には、この民から来たとされるものが数多くあります。
Titus Tatius(ティトゥス・タティウス)
ラテン語の形。ティトゥスが個人名、タティウスが氏族の名にあたる。
Sabini(サビーニー)
ローマ北東の山地に住んだ民。この王の民にあたる。
Titienses(ティティエーンセース)
ロームルスが定めた三つの部族の一つ。この王の名によるとされる。
ティトゥス・タティウスの物語
女たちの略奪 ─ 戦の始まり
ロームルスの町には男ばかりが集まり、女がいませんでした。
近隣の町に縁組を申し入れても、どこも断ります。寄せ集めの新しい町を、どこも相手にしませんでした。
そこでロームルスは、コーンススの祭を催して近隣の人々を招きます。
宴の最中に合図が出て、若者たちが娘を担いで走った。
サビニ人がもっとも多く来ていました。奪われた娘の数は、伝えによって三十人から数百人まで幅があります。
近隣の町がまず個別に攻めてきて、いずれも敗れました。最後に来たのがタティウスの軍です。
ローマ人はこの一件を、恥ずべき行いとしては語りませんでした。 縁組を断られたことのほうを問題にし、力で解決したことを建国の必要として説明しています。
タルペーイアの裏切り ─ 砦が落ちる
タティウスの軍はローマに迫り、カピトリウムの砦を囲みました。
砦の守将はスプリウス・タルペーイウスです。その娘が水を汲みに外へ出たとき、敵と通じました。
求めた報酬は、こう伝えられます。
左の腕につけているものをください。
望んだのは金の腕輪でした。 ところがサビニ人は左腕に構えた楯を投げつけ、娘はその下で押しつぶされます。
砦は落ち、両軍はフォルム・ロマーヌムの低地で向き合いました。
ローマ軍は一度崩れています。 ロームルスがユーピテル・スタトル(引き留める者)に誓いを立てて踏みとどまったとされ、この誓いから神殿が生まれました。
タティウスの側にとって、この裏切りは勝利の手立てでした。それでも彼は、娘を助けていません。
共同統治 ─ 二人の王がいた時代
最期 ─ 仇を討たれなかった王
タティウスの縁者が、ラーウィーニウムから来た使節を襲って略奪しました。
使節は訴え出ますが、タティウスは身内をかばいました。
その後、ラーウィーニウムで祭を行っていたとき、彼はその地の人々に殺されます。
ロームルスは、仇を討たなかった。
リウィウスは、この一点をわざわざ書き留めています。同僚の王の死を、ロームルスがどう受け取ったかを読者に考えさせる書き方です。
ロームルスが関わっていたのではないかという疑いも、古代から語られてきました。
タティウスはローマの外に葬られたとされます。アウェンティーノの丘のラウレントゥムの森に墓があったという伝えがあり、そこで毎年の供養が行われていたと書かれています。位置は特定されていません。
ティトゥス・タティウスの家系図と家族
ティトゥス・タティウスの性格と人物像
ティトゥス・タティウスは、敵として現れ、同僚として消える王です。
はっきりした人物像は書かれていません。伝えられるのは、軍を起こしたこと、和議に応じたこと、身内をかばったことの三つです。
身内をかばったことが、そのまま死につながりました。
この筋は、公の務めより縁者を優先した王という読み方を許します。ロームルスとの対比になっています。
実在したかどうかは確かめられていません。三つの部族の名の由来を説明するため、後から作られた人物とみる研究者が多くいます。
一方で、ローマの祭祀にサビニ系の要素が多く含まれることは、言葉の面から裏づけられています。二つの民が合わさったという自己像そのものは、根拠のない作り話ではありません。
ティトゥス・タティウスゆかりの地と遺跡
ティトゥス・タティウスを祀った神殿は、記録に残っていません。
神ではなく王として語られた人物です。ここに挙げたのは、いずれも物語の舞台にあたります。
墓はローマの外にあったとされます。
アウェンティーノの丘に近いラウレントゥムの森に葬られ、そこで毎年の供養が行われていたという伝えがあります。位置は特定されていません。
なお、この王が持ち込んだとされる祭壇(ソール、ルーナ、オプスなど)は、それぞれ別の神のものです。この王自身が祀られた場所ではありません。
カピトリーノの丘(Capitolinus Mons)
タティウスが居を構えたとされる丘
カピトリーノの丘の住所: イタリア ローマ カピトリーノの丘(北緯41.8926 東経12.4822)
カピトリーノの丘の祀られた神: (この王を祀る施設は無い)
カピトリーノの丘に残るもの: ユーピテル神殿の基礎など
カピトリーノの丘のご利益: (祀る施設は無い)
サビニ人が奪い、タティウスが居を構えたとされる丘です。共同統治のあいだ、二人の王は別々の丘に住みました。
丘の上にはのちにユーピテル・ユーノー・ミネルウァの神殿が建ちます。
砦のあった側の崖がタルペーイアの岩と呼ばれるようになりました。この王の物語と直結する場所です。
カンピドリオ広場からカピトリーニ美術館へ入ると、丘の構造がわかる。
トレディチ・アルターリ(Tredici Altari)
タティウスが殺されたとされるラーウィーニウムの聖域
トレディチ・アルターリの住所: イタリア ラツィオ州 プラティカ・ディ・マーレ(北緯41.6568 東経12.4778)
トレディチ・アルターリの祀られた神: ラテン諸都市の神々
トレディチ・アルターリに残るもの: 前6世紀から前2世紀の祭壇の列
トレディチ・アルターリのご利益: (祀る施設は無い)
ラーウィーニウムにある祭壇の列です。十三基が並んで見つかっています。
ラテン諸都市が共同で祭を行った場とみられています。タティウスが祭のさなかに殺されたのは、この町でのことでした。
すぐそばには、アエネーアースのものとされる英雄廟もあります。ローマの物語の重要な場面が、この小さな一帯に集まっています。
ローマ南西の海岸近く。見学には事前の連絡が要る場合がある。
ティトゥス・タティウスが現代に残した痕跡
タティウスの名は、部族の名と氏族の名として残りました。
ティティエーンセース: ロームルスが定めた三つの部族の一つ。この王の名によるとされる。
クィリーテース: ローマ市民を指す呼び名。サビニ人の町クレースの名によるとする説がある。
サビニの女たちの略奪: この王の戦の発端となった場面。近世の絵画と彫刻で繰り返し扱われた。
タルペーイアの岩: この王の軍が砦を奪った際の物語から、反逆者を投げ落とす場所の名になった。
ティトゥス・タティウスが司るもの
民の合流
ローマ人とサビニ人が一つになった記憶を担う王とされた。
祭祀の持ち込み
ソールやオプスなど、サビニ由来とされる祭壇の起こりに置かれた。
共同統治
二人の王が並び立った時代の例として、後世に引かれた。
ティトゥス・タティウスが登場するゲーム・アニメ
作品でのタティウスは、単独で主役になることがありません。
サビニの女たちの物語の一部として扱われ、和解の場面で名が出ます。
描かれるのは、王より女たちのほうです。
近世の絵画では、両軍を分けて立つ女たちが中心に置かれ、王たちは背景に退きます。
ティトゥス・タティウスが登場するゲーム
歴史をあつかう戦略ゲーム
初期ローマの隣国の指導者として現れることがあります。
ローマを舞台にした物語作品
ロームルスと対立し、のち和解する役で扱われます。
ティトゥス・タティウスが登場する絵画・彫刻
サビニの女たちの仲裁
ダヴィッドの大作が名高く、両軍のあいだに女たちが立つ場面を描いています。
タルペーイアの浮き彫り
フォロ・ロマーノのバシリカ・アエミリアから、この場面の断片が出ています。
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ティトゥス・タティウスについてよくある質問
ティトゥス・タティウスは実在した人物ですか。
確かめられていません。ローマの三つの部族の一つティティエーンセースの名の由来を説明するため、後から作られた人物とみる研究者が多くいます。
なぜロームルスと共同で王になったのですか。
サビニの女たちの略奪をきっかけに戦になり、決戦の場に女たちが割って入って和議が結ばれたためです。二つの民が一つになり、二人の王が並び立ちました。
タティウスはどうやって死にましたか。
縁者がラーウィーニウムの使節を襲った件で身内をかばい、その後ラーウィーニウムで祭のさなかに殺されたと伝えられます。ロームルスは仇を討ちませんでした。
サビニ人とはどういう民ですか。
ローマ北東の山地に住んだ民で、ラテン人とは別の言葉を話しました。ローマの祭祀にはこの民から来たとされるものが数多くあります。