カピトリウムの砦を敵に売った娘。処刑場となった岩に名を残した。
タルペーイアとは何の神様か
タルペーイアはローマ史でもっとも有名な裏切り者です。カピトリウムの砦を守る将スプリウス・タルペーイウスの娘とされます。
サビニ人と戦っていたとき、水を汲みに外へ出て敵と通じました。求めた報酬はこう伝えられます。
左の腕につけているものをください。
望んだのは金の腕輪でした。 ところがサビニ人は左腕に構えた楯を投げつけ、娘はその下で押しつぶされます。
別の伝えでは、彼女は敵の武器を取り上げるつもりで言ったのだといいます。裏切りではなく計略だったとする説です。
カピトリウムの南の崖はタルペーイアの岩と呼ばれ、反逆者を投げ落とす場所になりました。
丘の上に墓があり、献酒が行われていたという記録も残ります。 単なる悪役ではなかったことをうかがわせます。
タルペーイアのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「タルペーイア」「タルペイア」の両方が使われます。長音を書き分けない表記のほうが多く見られます。
丘の名と人物の名は、どちらが先かがわかっていません。
ウァロは、丘の古い名がモンス・タルペーイウスだったと伝えています。
この場合、地名が先にあり、そこから物語が作られたことになります。ローマにはこの形が数多くあります。
ラテン語では「タルペーイアの岩から投げ落とす」という言い回しが、そのまま極刑を指す表現として使われました。人物の名が刑の名になった珍しい例です。
Tarpeia(タルペーイア)
ラテン語の主格。長音を書き分けない「タルペイア」の形も使われる。
mons Tarpeius(モンス・タルペーイウス)
カピトリーノの丘の古い名。丘の名が先で、そこから人物の名が作られたとする説がある。
saxum Tarpeium(サクスム・タルペーイウム)
タルペーイアの岩。反逆者を投げ落とした崖を指す。
タルペーイアの物語
砦を売る ─ 左腕のもの
サビニ王ティトゥス・タティウスの軍が、カピトリウムの砦を囲みました。
守将はスプリウス・タルペーイウス。その娘が水を汲みに外へ出たとき、敵と通じます。
求めた報酬は、こう伝えられます。
左の腕につけているものをください。
サビニ人は、左腕に金の腕輪をはめ、宝石の指輪をしていました。娘が望んだのはそれです。
砦の門を開いたあと、彼女は報酬を求めました。
タティウスは、まず自分の楯を投げ与えます。楯もまた、左腕につけるものでした。
兵たちが次々に楯を投げ、娘はその下で死んだ。
約束は守られています。 言葉のとおりに与えたら殺した、という形です。ローマ人はこの筋書きを好みました。
もう一つの伝え ─ 計略だったとする説
ローマの著述家は、まったく別の形も書き残しています。
タルペーイアは、敵の武器を取り上げるつもりで「左腕のもの」と言った。楯を渡させて丸腰にし、ローマ軍に討たせる算段だった、という説です。
手はずが伝わらず、彼女だけが死んだ。
この形では、彼女は裏切り者ではなく失敗した内応者になります。
さらに別の形もあります。詩人プロペルティウスは、彼女が敵の王タティウスに恋をしたと書きました。報酬ではなく、恋のために門を開けたという筋です。
ローマ人は、これらを並べて伝えました。同じ人物について、正反対の説明が同時に残されています。
どれが古い形かは決められません。
岩の名になる ─ 刑罰の場所
カピトリーノの丘の南側は切り立った崖になっています。
ここがタルペーイアの岩と呼ばれました。
反逆者と、偽証した者を投げ落とす場所とされた。
共和政の時代を通じて、この刑は実際に行われています。前1世紀の記録にも執行の例が見えます。
丘の上は国家の最高神殿があった場所です。 その同じ丘の反対側に、処刑の崖がありました。
ローマ人にとって、ここはもっとも神聖な場所と、もっとも不名誉な死の場所が背中合わせになった丘でした。
いまカンピドリオ広場の南に「タルペーオ」の名を残す一角があり、崖を見ることができます。ただし古代の地形は削られており、当時の高さは残っていません。
なぜ供養されたのか ─ 悪役ではない面
タルペーイアには、裏切り者と呼ばれながら、供養を受けていたという面があります。
プルタルコス?は、ウァロの伝えとして、丘の上に彼女の墓があり毎年の献酒が行われていたと書き残しています。
裏切り者に酒を注ぐのは、筋が通らない。
ここから、もとは土地の女神だったのではないかという説が出されています。名が丘の名と同じである点も、その方向を指します。
その場合、物語のほうが後から作られたことになります。ローマにはこの形が数多くあります。
一方、ウェスタの巫女だったとする伝えもあります。国家の火を守る立場の者が門を開けたという筋で、罪の重さがさらに増します。
フォロ・ロマーノのバシリカ・アエミリアから、楯の下に埋もれる女性を彫った浮き彫りが出ています。前1世紀のもので、この物語が広く知られていたことを示します。
タルペーイアの家系図と家族
タルペーイアの性格と人物像
タルペーイアは、動機がはっきりしない人物として伝えられています。
金を望んだ強欲な娘、味方を助けようとした内応者、敵の王に恋した娘。三つの説明が並び立ったまま残されました。
ローマ人自身、この人物をどう扱うか決めかねていました。
裏切り者として名を刑罰の場所に残しながら、丘の上では供養が続いていた。この矛盾が、そのまま伝えの分かれ方に出ています。
近代の研究では、もとは丘に結びついた土地の女神であり、物語は後から作られたとみる説が有力です。名が丘の古い名と同じであること、供養が行われていたことが根拠になります。
裏切りの物語は、地名を説明するために組み立てられた。 そう考えると、伝えが割れている理由も説明がつきます。
タルペーイアゆかりの地と遺跡
タルペーイアを祀った神殿は、記録に残っていません。
ただし、丘の上に墓があり毎年の献酒が行われていたという記録は残ります。祭祀に近い扱いを受けていたことになります。
裏切り者としては、説明のつかない扱いです。
この点が、もとは土地の女神だったのではないかという説の根拠になっています。
ここに挙げたのは、いずれも物語と刑罰の場所です。そのため見出しを「ゆかりの地」としています。
なお、フォロ・ロマーノのバシリカ・アエミリアから、この場面を彫った浮き彫りの断片が出ています。前1世紀のものです。
タルペーイアの岩(Saxum Tarpeium)
反逆者を投げ落とした崖
タルペーイアの岩の住所: イタリア ローマ カピトリーノの丘 南側の崖(北緯41.8915 東経12.4823)
タルペーイアの岩の祀られた神: (この人物を祀る施設は無い)
タルペーイアの岩に残るもの: 崖と、その上の展望所
タルペーイアの岩のご利益: (祀る施設は無い)
カピトリーノの丘の南側の崖です。反逆者と偽証した者を投げ落とす刑が、ここで行われました。
共和政を通じて実際に執行されており、前1世紀の記録にも例が見えます。
いまカンピドリオ広場の南に「タルペーオ」の名を残す一角があり、崖を見ることができます。ただし古代の地形は削られており、当時の高さは残っていません。
カンピドリオ広場の南側から回り込むと、崖と眺めを見ることができる。
カピトリーノの丘(Capitolinus Mons)
タルペーイアの墓があったと伝えられる丘
カピトリーノの丘の住所: イタリア ローマ カピトリーノの丘(北緯41.8926 東経12.4822)
カピトリーノの丘の祀られた神: ユーピテル・ユーノー・ミネルウァ
カピトリーノの丘に残るもの: ユーピテル神殿の基礎など
カピトリーノの丘のご利益: (祀る施設は無い)
ローマ国家の最高神殿があった丘です。古い名をモンス・タルペーイウスといいました。
プルタルコスは、ウァロの伝えとして、この丘の上にタルペーイアの墓があり毎年の献酒が行われていたと書いています。
裏切り者に酒を注ぐのは筋が通りません。 ここから、もとは土地の女神だったのではないかという説が出されています。
カピトリーニ美術館の地下から、丘の基礎を見ることができる。
タルペーイアが現代に残した痕跡
タルペーイアの名は、極刑を指す言い回しとして残りました。
タルペーイアの岩: カピトリーノの丘の南の崖。ここから投げ落とすことが、そのまま極刑を指す言い回しになった。
バシリカ・アエミリアの浮き彫り: 楯の下に埋もれる女性を彫った断片。前1世紀のもので、この物語が広く知られていたことを示す。
カピトリーノとタルペーイア: 最高神殿と処刑の崖が同じ丘の表と裏にある。この対比が繰り返し語られてきた。
プロペルティウスの詩: 敵の王への恋を動機とする形を書いた。第4巻の一篇で、恋愛詩として読み直している。
タルペーイアが司るもの
丘の守り
もとはカピトリーノの丘に結びついた土地の女神だったとする説がある。
戒め
裏切りの報いを語る例として、ローマの子どもに語り継がれた。
約束の言葉
言葉どおりに与えて殺すという筋から、言葉の取り扱いの戒めとして引かれた。
タルペーイアが登場するゲーム・アニメ
作品でのタルペーイアは、裏切りの見本として扱われます。
三つの伝えのうち、金を望んだ形がもっとも広く知られています。
恋を動機とする形は、詩の世界に残りました。
近代の研究が土地の女神説を出して以降、単純な悪役として扱わない書き方も増えています。
タルペーイアが登場するゲーム
ローマを舞台にした物語作品
裏切りの場面として名が現れることがあります。
歴史をあつかう戦略ゲーム
サビニ戦の出来事として言及されます。
タルペーイアが登場する絵画・彫刻
バシリカ・アエミリアの浮き彫り
楯の下に埋もれる場面を彫った古代の作例です。
近世の歴史画
楯を投げつけられる場面が、教訓画として描かれています。
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タルペーイアについてよくある質問
タルペーイアはなぜ砦を売ったのですか。
伝えが三つに分かれます。金の腕輪を望んだ強欲によるとする形、敵の武器を取り上げる計略だったとする形、敵の王タティウスに恋したとする形です。どれが古いかは決められません。
タルペーイアの岩はいまも見られますか。
カンピドリオ広場の南側に「タルペーオ」の名を残す一角があり、崖を見ることができます。ただし古代の地形は削られており、当時の高さは残っていません。
なぜ裏切り者なのに供養されていたのですか。
プルタルコスが、ウァロの伝えとして、丘の上に墓があり毎年の献酒が行われていたと書いています。この矛盾から、もとは丘に結びついた土地の女神で、裏切りの物語は後から作られたとする説が出されています。
タルペーイアの岩からの刑は実際に行われたのですか。
行われました。反逆者と偽証した者を投げ落とす刑で、共和政を通じて執行の記録が残ります。
タルペーイアと併せて覚えたい言葉・用語
プルタルコス(Plutarch)
ギリシャの著述家。『イシスとオシリスについて』を書いた。オシリス神話が一続きの物語として読めるのはこの書だけだが、ギリシャ語で、神話の成立から二千年以上あとの記録である点に注意が要る。