ロームルスが神になったと民の前で証言した人物。
ユリウス・プロクルスとは何の神様か
ユリウス・プロクルスはひとことで言えば建国の王を神にした証言者です。
ロームルスが演習中の嵐に紛れて姿を消したとき、ローマの民は納得しませんでした。元老院議員が王を殺し、衣の下に切り分けて運び出したという噂が流れます。
王は、消えたのか、消されたのか。
騒ぎのただ中に進み出たのが、この人物でした。アルバ・ロンガの出とされ、農夫とも元老院議員とも伝えられます。
彼は集会でこう述べました。今朝、道の途中でロームルスに会った。ローマは世界の頭になる、武を修めよ、と告げられた。
この一言で騒ぎは収まり、王は神クゥイリーヌスとして祀られることになります。
伝えられる事績は、この一場面だけです。 生まれも死も、家族も、何ひとつ語られていません。
それでいて、ローマの国家祭祀の起点にあたる証言をした人物として、歴史書と詩の両方に名が残りました。
ユリウス・プロクルスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ユリウス・プロクルス」と書かれます。「ユーリウス・プロクルス」と長音を入れる表記もありますが、どちらも同じ人物です。
古い書き手は、プロクルス・ユリウスの順で記します。ローマ人の名は個人の名・氏族の名・添え名の順に並ぶのが普通ですが、古い時代の人物では並びが定まっていません。
名の並びが揺れること自体が、伝えの古さを示すとも言われます。
ユリウスは氏族の名です。アルバ・ロンガに起こりを持ち、女神ウェヌスの血を引くと称した家で、のちにカエサルとアウグストゥスを出します。
プロクルスは、遠く離れた地で生まれた子を指す語に結びつける説明があります。ただし確かなことはわかっていません。
この名を、ローマ神話のプロクルスという別の人物と混同しないよう注意が要ります。
Iulius Proculus(ユリウス・プロクルス)
ラテン語の主格。氏族名ユリウスに、個人を示すプロクルスが続く形になっている。
Proculus Iulius(プロクルス・ユリウス)
前後を入れ替えた形。古い書き手はこちらの順で記すことが多く、リウィウスもこの並びを用いる。
gens Iulia(ゲンス・ユリア)
ユリウス氏族を指す語。アルバ・ロンガに起こりを持つとされ、のちにカエサルを出す家となる。
ユリウス・プロクルスの物語
消えた王 ─ 疑いの立ち込める集会
ロームルスは在位37年目に、カプラエの沼で軍の閲兵をしていました。
にわかに空が暗くなり、雷雨が丘を包みます。雲が晴れたとき、王の座は空でした。
居合わせた元老院議員たちは、王は神々のもとへ迎えられたと告げ、ひざまずいて祈りを捧げます。兵たちも従いました。
しかし市に帰った民のあいだで、別の話が広がります。
議員が王を殺し、衣の下に切り分けて運び出したのだ。
建国の物語のいちばん重い場面に、殺人の疑いが立ち込めています。 ローマ人はこの噂を、消さずに書き残しました。
元老院にとって、これは深刻でした。王を失ったうえに、殺したと疑われている。民の怒りが向く先は、そのまま議員たちです。
集会は荒れました。この場をおさめたのが、ユリウス・プロクルスの証言です。
道での出会い ─ 証言の言葉
彼は集会の中央に進み出て、こう述べたと伝えられます。
今朝がた、道の途中でロームルスに会った。
そして、王から託された言葉を続けます。ローマは世界の頭になる、だから武を修めよ、いかなる人の力もローマの武に抗しえないと知らせよ、と。
言い終えると、王は空高く去ったと述べました。
民はこれを信じました。 集会は静まり、王は神となったと受け入れられます。
リウィウスは、この証言を伝えたあとに一行だけ添えています。ひとりの男の言葉に、これほど信が置かれたのは驚くべきことだ、という趣旨です。古代の書き手自身が、話のできすぎを感じていました。
オウィディウスの『祭暦』第2巻では、場面がやや違います。プロクルスがアルバから夜道を歩いていると、突然あたりが光り、王が現れて名を呼ぶ。恐れて口がきけない彼に、王が語りかけるという形です。
歴史書は集会の証言として、詩は夜道の出会いとして描きました。
クゥイリーヌスの誕生 ─ 証言が生んだ祭祀
この証言によって、ロームルスはクゥイリーヌスという名の神になりました。
クゥイリーヌスは、もともとサビニ人の系統の古い神とみられています。クィリナーレの丘に祭壇があり、専属の神官フラーメン・クィリナーリスが置かれ、2月17日にクィリナーリアという祭がありました。
つまり神が先にいて、そこへ王が重ねられた形です。
消えた王の行き先として、すでにあった神の名が用意されました。
ローマ人はこの神を、ユーピテル・マールスと並ぶ古い三柱の一柱として数えます。武装した市民の姿を司るとされました。
前293年には、クィリナーレの丘にクゥイリーヌス神殿が建てられます。76本の円柱が並ぶ大きな建物だったと伝えられ、アウグストゥスが建て直しました。
ひとりの男の証言が、国家の祭祀の由来として語り継がれたことになります。 現在この一帯はクィリナーレ宮殿の敷地にあたり、古代の建物は地上に残っていません。
なぜ記録が少ないのか ─ 名が語ること
この人物について、伝えられるのは一場面だけです。生年も没年も、家族も、ほかの事績も記されていません。
理由は、彼が証言のためだけに置かれた人物だからだとみられています。
古くから注目されてきたのは、その氏族名です。ユリウス氏族はアルバ・ロンガに起こりを持ち、のちにカエサルとアウグストゥスを出しました。
建国の王を神にしたのは、ユリウス家の人であった。
この形は、ユリウス家にとって願ってもない由緒になります。カエサルが神とされ、アウグストゥスが神の子を名乗る流れと、そのまま重なるからです。
そのため、この話はユリウス家の権威づけのために後から作られた、あるいは古い話に氏族名が後から足されたとみる説があります。
証言者の名は、証言の中身より重い意味を持たされてきました。
ただし、話そのものはカエサルの時代よりずっと古いとする見方もあり、どちらとも決まっていません。
ユリウス・プロクルスの家系図と家族
ユリウス・プロクルスの性格と人物像
ユリウス・プロクルスには、性格らしい性格が書かれていません。言葉だけが残った人物です。
彼が語ったのは、王が神になったという知らせと、ローマは世界の頭になるという予告でした。後者は、書かれた時点ではすでに実現しています。
予言の形をとった、事実の確認です。
歴史書のなかで、この人物は騒ぎを鎮める装置として働きます。元老院への疑いを消し、王の消失を神格化に置き換え、国の物語を先へ進めます。
一方で、ローマ人はこの証言を無条件で受け入れたわけではありません。リウィウスは、民がこれほど信じたことに驚きを表しています。疑いを書き残したうえで、話を進める。この書き方こそがローマの歴史叙述の特徴です。
実在したかどうかは、確かめようがありません。 前8世紀のローマにユリウス氏族が存在したという証拠は無く、名そのものが後の時代のものである可能性が指摘されています。
ユリウス・プロクルスゆかりの地と遺跡
ユリウス・プロクルスを祀った場所は、記録に残っていません。 神とされたのは証言された側であって、証言した側ではないからです。
ここに挙げたのは、この人物に関わる場所です。ひとつは証言によって生まれた祭祀の神殿、もうひとつは出身地とされる町の跡です。
祈られた場所ではなく、関わった場所です。
そのため、この節の見出しを「ゆかりの地」としています。
証言の舞台となった集会の場は、のちのフォルム・ロマーヌムのコミティウムにあたるとみられますが、この人物と結びつけて確かめられた地点はありません。
クゥイリーヌス神殿(Templum Quirini)
神となったロームルスを祀った神殿
クゥイリーヌス神殿の住所: イタリア ローマ クィリナーレの丘(北緯41.9000 東経12.4833)
クゥイリーヌス神殿の祀られた神: クゥイリーヌス
クゥイリーヌス神殿に残るもの: 地上に残っていない
クゥイリーヌス神殿のご利益: 国の守り
この人物の証言によって神とされたクゥイリーヌスを祀る神殿です。前293年にルキウス・パピリウス・クルソルが建てました。
76本の円柱が並ぶ大きな建物だったと伝えられ、アウグストゥスが前16年に建て直しています。
ここで祀られたのは証言者ではなく、証言された神です。 丘には神殿より古い祭壇があったとされ、神そのものは建国の王より古いとみられています。
いまはクィリナーレ宮殿の一帯にあたり、古代の建物は地上に残っていません。
クィリナーレ広場の周辺。神殿そのものは見学できない。
アルバ・ロンガ(Alba Longa)
ラテン人の母市とされた古い都市の跡
アルバ・ロンガの住所: イタリア ラツィオ州 アルバーノ丘陵(北緯41.7445 東経12.6497)
アルバ・ロンガの祀られた神: (この人物を祀る場ではない)
アルバ・ロンガに残るもの: 正確な市域は特定されていない
アルバ・ロンガのご利益: (この人物を祀る場ではない)
この人物の出身地とされる町です。ユリウス氏族の起こりの地でもあります。
伝えでは、アエネーアースの子アスカニウスが建て、ロームルスの母レア・シルウィアもここの王女でした。ローマが破壊したのちは再建されず、住民はローマへ移されたと伝えられます。
町の正確な位置は特定されていません。 アルバヌス湖の東岸にあたる一帯とされ、湖畔で前9世紀からの墓地が見つかっていますが、市街そのものは確かめられていません。
カステル・ガンドルフォ周辺。湖を見下ろす道から一帯を見渡せる。
ユリウス・プロクルスが現代に残した痕跡
この人物の名は、ユリウス氏族の由緒として残りました。
ユリウス氏族の由緒: アルバ・ロンガに起こりを持つ家が、建国の場面に名を残した例として引かれ続けた。
クィリナーリアの祭: 2月17日に行われたクゥイリーヌスの祭。証言によって生まれた祭祀の一部にあたる。
神格化の型: 死後に姿を見た者が証言し、その人物が神とされる形。カエサル以降の皇帝の神格化にも受け継がれた。
祭暦の一節: オウィディウスが2月の章で夜道の出会いとして描いた場面。詩としての形が広く読まれた。
ユリウス・プロクルスが司るもの
言葉の力
ひとつの証言が国の騒ぎを鎮めた例として語られた。
神格化の起こり
ロームルスをクゥイリーヌスとする祭祀の由来を語る役を担った。
家の由緒
ユリウス氏族が建国の場面に名を残す根拠として用いられた。
ユリウス・プロクルスが登場するゲーム・アニメ
この人物が単独で作品の主役になることは、ほとんどありません。 ロームルスの最期を語る場面の一部として現れます。
王が消える場面と、証言の場面は、いつも一組で語られます。
美術では、天へ昇るロームルスを描いた図のなかに、見上げる人物として置かれることがあります。ただし名を明記した作品は多くありません。
日本では、ローマ建国伝説を紹介する本のなかで、王の神格化のくだりに名が出る程度です。単独で取り上げられる機会は限られています。
ユリウス・プロクルスが登場する古典の記述
ローマ建国以来の歴史
第1巻16章。集会での証言として、短くまとめて記されています。
祭暦
第2巻。夜道で光に包まれ、王に語りかけられる場面として描かれます。
ユリウス・プロクルスが登場する絵画・創作
ロームルスの神格化を描いた図
天へ昇る王と、見上げる人物という構図で描かれることがあります。
建国期を扱う読み物
王の消失をめぐる謎解きの場面で、証言者として登場します。
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ユリウス・プロクルスについてよくある質問
ユリウス・プロクルスは何をした人ですか。
ロームルスが姿を消したのち、民の集会で王に会ったと証言した人物です。ローマは世界の頭になる、武を修めよと告げられたと述べ、これによって王は神クゥイリーヌスとして祀られることになりました。
この証言はどこに書かれていますか。
リウィウスの第1巻16章と、オウィディウスの祭暦第2巻に見えます。歴史書は集会での証言として、詩は夜道での出会いとして描いており、場面の描き方が異なります。
なぜユリウスという名なのですか。
ユリウス氏族はアルバ・ロンガに起こりを持つ家で、のちにカエサルとアウグストゥスを出します。建国の王を神にしたのがこの家の人だという形は、後世の権威づけとして都合がよく、そのために作られた話とみる説があります。
実在した人物ですか。
わかっていません。前8世紀のローマにユリウス氏族がいたという証拠は無く、名そのものが後の時代のものである可能性が指摘されています。ただし話自体はカエサルの時代より古いとする見方もあります。
この人物を祀った場所はありますか。
ありません。神とされたのは証言されたロームルスのほうで、証言した側を祀った記録は残っていません。関わる場所として、クゥイリーヌス神殿と出身地アルバ・ロンガが挙げられます。