サビニの女たちを率いて戦を止めた女性。死後にホーラ・クゥイリーニとして祀られた。
ヘルシリアとは何の神様か
ヘルシリアはローマの物語で、戦を言葉によって止めた女性です。
略奪されたサビニの女たちのうち、ただ一人の既婚者だったと伝えられます。娘たちに交じって連れて来られたのは手違いだったという説明もあります。
ローマ人とサビニ人が向き合ったとき、髪をふり乱し、子を抱いて戦列のあいだへ走り込んだのが彼女たちでした。
一方には父、一方には夫。どちらが倒れても、私たちは失う。
この訴えで戦が止まったとされます。
ロームルスの妻とする伝えと、ホスティウス・ホスティーリウスの妻とする伝えの二つがあり、古い書き手のあいだで一致していません。
ロームルスが姿を消したのち、彼女は星となって天に昇り、ホーラ・クゥイリーニという名で祀られました。
ヘルシリアのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ヘルシリア」で定着しています。表記の揺れはほとんどありません。
神になってからの名ホーラ・クゥイリーニは、「クゥイリーヌスのホーラ」という形です。
ホーラという語の意味は、はっきりしていません。
「意志」「若さ」を意味するとする説明がありますが、確かめられていません。ただし、この名が古い祈りの文句と暦に実際に出てくることは確かです。
つまり、ヘルシリアという人物の実在は疑われても、ホーラ・クゥイリーニという祭祀そのものは行われていました。 人と神の関係が、ふつうとは逆向きに結ばれた例です。
Hersilia(ヘルシリア)
ラテン語の主格。長音を書き分けない表記が一般的。
Hora Quirini(ホーラ・クゥイリーニ)
神になったのちの名。神となったロームルス(クゥイリーヌス)の妃を意味する。
Horta(ホルタ)
ホーラの別の形とされる名。碑文や古い暦に見える。
ヘルシリアの物語
略奪された女たち ─ ただ一人の既婚者
コーンススの祭に招かれたサビニ人から、ローマの若者たちが娘を奪いました。
奪われたのは未婚の娘たちだったとされます。 そのなかにヘルシリアが交じっていたのは手違いだった、という説明が伝わります。
娘に付き添って来ていたのだ、と書く者がいる。
彼女は年長であり、既に子を持っていました。そのことが、のちの場面で重みを持ちます。
ローマ人は奪った娘たちに、正式な婚姻の待遇を与えたとされます。家の仕事だけを負わせ、外の労働はさせないという約束です。
これは後から加えられた説明とみられています。 略奪という行いを、婚姻の始まりとして語り直す必要があったためです。
ヘルシリアは、奪われた女たちのまとめ役になりました。
戦を止める ─ 戦列に走り込む
数年後、サビニ王ティトゥス・タティウスの軍がローマに迫りました。
カピトリウムの砦が落ち、両軍はフォルム・ロマーヌムの低地で向き合います。
そのとき、女たちが動きました。
髪をふり乱し、子を抱いて、槍のあいだへ走り込んだ。
リウィウスは、この場面をローマ史のなかでも力を込めて書いています。
訴えの中身は、どちらが勝っても自分たちが失うというものでした。父を失うか、夫を失うか。
それならば、私たちを先に殺してください。
戦は止まり、和議が結ばれました。ローマの物語で、戦の流れを言葉で変えたのは、この場面だけです。
二つの民は一つになり、二人の王による共同統治が始まります。
誰の妻だったのか ─ 割れる伝え
ヘルシリアが誰の妻だったかは、古代の書き手のあいだで割れています。
リウィウスとディオニュシオスは、ホスティウス・ホスティーリウスの妻とします。サビニ戦で討ち死にした勇士で、第三代の王トゥッルス・ホスティーリウスの祖父にあたる人物です。
一方、プルタルコス?とオウィディウスはロームルスの妻とします。
二人の子の名まで伝えられている。
娘プリーマと、息子アウィッリウスあるいはアウッローの名が挙がります。
どちらが古い形かは決められません。 ただし、神になったのちの名がホーラ・クゥイリーニ、つまり「クゥイリーヌスの妃」である点は、ロームルスの妻とする形と噛み合っています。
祭祀のほうから逆にたどると、ロームルスの妻とする形が本筋だったとみることもできます。
神になる ─ ホーラ・クゥイリーニ
ロームルスが嵐のなかで姿を消したあと、ヘルシリアは夫を探して嘆きました。
オウィディウス『変身物語』第14巻の場面です。
ユーノーが虹の女神イーリスを遣わし、クゥイリーヌスの丘へ導かせます。
そこに星が落ちてきて、彼女の髪に触れた。
彼女の身は星とともに昇り、神となったロームルスと並びました。そのとき与えられた名がホーラ・クゥイリーニです。
この名は、オウィディウスの創作ではありません。古い祈りの文句と暦に、実際に出てきます。
ローマの祭祀には、「クゥイリーヌスとホーラ」のように、神と対になる女性の名を並べて呼ぶ形がいくつもありました。マールスとネリオーも同じ形です。
ヘルシリアの物語は、その祭祀の名を説明するために組み立てられたとみる見方があります。
ヘルシリアの家系図と家族
ヘルシリアの妻・夫: ロームルス夫婦とする伝えがある・クゥイリーヌスホーラ・クゥイリーニとして並んで呼ばれる・ホスティウス・ホスティーリウス夫婦とする伝えがある
ヘルシリアの性格と人物像
ヘルシリアは、ローマの物語で数少ない「自分から動く女性」です。
奪われた側でありながら、まとめ役になり、両軍のあいだへ走り込み、訴えて戦を止める。受け身の場面がほとんどありません。
略奪の物語のなかで、彼女だけが言葉を持っています。
ローマの著述家は、この場面を国のまとまりの原点として語りました。力で始まった国が、女たちの言葉で一つになったという筋書きです。
ただし、実在したかどうかは確かめられていません。ホーラ・クゥイリーニという祭祀の名を説明するために組み立てられた人物とみる説があります。
祭祀の名が先にあり、そこから人物が生まれた。 ローマにはこの形が数多くあります。
ヘルシリアゆかりの地と遺跡
ヘルシリア個人を祀った神殿は、記録に残っていません。
神になってからの名ホーラ・クゥイリーニは、クゥイリーヌスと対にして唱えられました。独立した神殿や祭日は伝わっていません。
名が呼ばれたのは、夫とされた神の祭祀のなかです。
そのため、この節の見出しを「ゆかりの地」としています。
なお、ローマの祭祀には「クゥイリーヌスとホーラ」「マールスとネリオー」のように、神と対になる女性の名を並べる形がいくつもあります。それぞれに神殿があったわけではありません。
クゥイリーヌス神殿(Templum Quirini)
ホーラ・クゥイリーニの名が唱えられた神殿
クゥイリーヌス神殿の住所: イタリア ローマ クィリナーレの丘(北緯41.9000 東経12.4833)
クゥイリーヌス神殿の祀られた神: クゥイリーヌス・ホーラ
クゥイリーヌス神殿に残るもの: 地上に残っていない
クゥイリーヌス神殿のご利益: 国のまとまり
神となったロームルスを祀った神殿です。ホーラ・クゥイリーニの名は、この神と対にして唱えられました。
前293年に建てられ、アウグストゥスが前16年に建て直しています。76本の円柱が並ぶ大きな建物だったと伝えられます。
ヘルシリアのための独立した神殿は記録に残っていません。名が唱えられたのは、夫とされた神の祭祀のなかでした。
クィリナーレ広場の周辺。神殿そのものは見学できない。
フォルム・ロマーヌム(Forum Romanum)
女たちが戦列に割って入ったとされる場所
フォルム・ロマーヌムの住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ(北緯41.8925 東経12.4854)
フォルム・ロマーヌムの祀られた神: (この女性を祀る施設は無い)
フォルム・ロマーヌムに残るもの: 広場と各時代の建物の跡
フォルム・ロマーヌムのご利益: (祀る施設は無い)
ローマ人とサビニ人が向き合ったとされる低地です。当時は沼がちの窪地でした。
のちにローマの中心の広場になります。カピトリーノの丘とパラティウムの丘に挟まれた場所です。
ここにはラクス・クルティウスという窪みがあり、サビニ戦の場面と結びつけて語られました。ヘルシリアを祀る施設はありません。
フォロ・ロマーノの見学路から一帯を歩ける。
ヘルシリアが現代に残した痕跡
ヘルシリアの名は、和解の場面として残りました。
サビニの女たちの仲裁: ダヴィッドの大作をはじめ、両軍のあいだに立つ女たちの場面が繰り返し描かれた。
ホーラ・クゥイリーニ: 古い祈りの文句と暦に残る神の名。人物の実在とは別に、祭祀としては行われていた。
婚姻の作法: サビニの女たちに与えられた待遇が、ローマの婚姻の由来として語られた。
小惑星の名: 19世紀に発見された小惑星の一つに、この女性の名が付けられている。
ヘルシリアが司るもの
和解
戦を止めた女性として、争いを収める場面で引かれた。
婚姻
サビニの女たちの婚姻の由来と結びつけられ、既婚の女性の守りとされた。
国のまとまり
ホーラ・クゥイリーニとして、市民の共同体を守る神に数えられた。
ヘルシリアが登場するゲーム・アニメ
作品でのヘルシリアは、名前より場面のほうが知られています。
「サビニの女たちの仲裁」として描かれる中心の女性が、多くの場合この人物にあたります。
名が画題に出ることは、あまりありません。
近代の歌劇や小説では、彼女に語らせる形でこの場面を書き直す試みがあります。
ヘルシリアが登場するゲーム
ローマを舞台にした物語作品
和解を導く役として登場することがあります。
歴史をあつかう戦略ゲーム
サビニとの合流を示す出来事として名が現れます。
ヘルシリアが登場する絵画・彫刻
ダヴィッドの「サビニの女たちの仲裁」
両軍のあいだに立ち、子を抱いて訴える女性が中心に置かれています。
ルーベンスの作品
略奪と和解の両方の場面を、大きな群像として描いています。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
ヘルシリアについてよくある質問
ヘルシリアは誰の妻ですか。
伝えが割れています。リウィウスとディオニュシオスはホスティウス・ホスティーリウスの妻とし、プルタルコスとオウィディウスはロームルスの妻とします。どちらが古い形かは決められません。
ホーラ・クゥイリーニとは何ですか。
ヘルシリアが神になったのちの名です。神となったロームルス(クゥイリーヌス)の妃を意味します。古い祈りの文句と暦に実際に出てくる名です。
ヘルシリアは実在した人物ですか。
確かめられていません。ホーラ・クゥイリーニという祭祀の名を説明するために組み立てられた人物とみる説があります。ローマには、祭祀の名から人物が生まれた例が数多くあります。
なぜ既婚者だったことが重要なのですか。
奪われたのは未婚の娘たちとされるため、既婚の彼女は例外でした。年長で子を持っていたことが、戦を止める場面で女たちのまとめ役になった理由として語られます。
ヘルシリアと併せて覚えたい言葉・用語
プルタルコス(Plutarch)
ギリシャの著述家。『イシスとオシリスについて』を書いた。オシリス神話が一続きの物語として読めるのはこの書だけだが、ギリシャ語で、神話の成立から二千年以上あとの記録である点に注意が要る。