ユーノーが風の王への報酬として与えると約束した、もっとも美しい妖精。
デーイオペーアとは何の神様か
デーイオペーアはひとことで言えば叙事詩を動かす取引の代金です。
ユーノーに仕える十四人の妖精のうち、「もっとも姿の美しい者」とされました。
『アエネーイス』第1巻で、ユーノーは風の王アエオルスの島を訪ね、トロイアの船団に嵐を起こすよう頼みます。そのときの言葉がこうです。
すぐれた姿の者を十四人持っている。そのうちもっとも美しい者を、確かな婚姻で結びつけよう。
アエオルスは承知し、洞に閉じ込めた風を槍で突いて解き放ちます。この嵐が、物語の始まりです。
ところが、登場はこの一場面だけです。 婚礼が行われたかどうかも、その後どうなったかも書かれていません。
ウェルギリウス『農耕詩』第4巻にも同じ名の水の妖精が現れます。名は「神の姿の」を意味するギリシャ語に由来するという説があります。
デーイオペーアのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「デーイオペーア」「デイオペア」「デイオペイア」が使われます。母音が続く名のため、訳書ごとに書き方が分かれます。
名は二つの語の組み合わせと説明されます。
神を意味する語と、姿を意味する語をつないだ形で、「神のような姿の者」と読む説があります。姿の美しさが取引の材料になる場面と合うため、名前そのものが役目を説明しているとみる読み方です。
ただし、この解き方が正しいと確かめられているわけではありません。わかっていません。
『農耕詩』第4巻には、水の妖精たちの名が並ぶ一節があり、そこにも同じ名が見えます。同じ人物を指すのか、名を使い回しただけなのかは決まっていません。
Deiopea(デーイオペーア)
ラテン語の綴り。母音が四つ続くため、訳書によって長音の位置が変わる。
Deiopeia(デーイオペイア)
写本によって見られる別の綴り。『農耕詩』第4巻の水の妖精はこの形で伝わる。
Nymphae Iunonis(ニュンパエ・ユーノーニス)
ユーノーに仕える妖精たちの意。十四人いたとされ、その筆頭が彼女とされる。
デーイオペーアの物語
第1巻の一場面 ─ 嵐の取引
『アエネーイス』は、トロイアの船団が海を渡る場面から始まります。
ユーノーはこの一行を憎み、イタリアに着かせまいとしていました。
女神は風の王アエオルスの島へ向かった。
アエオルスは、洞に閉じ込めた風を支配する王です。ユーノーは頼み事とともに報酬を示します。それが十四人の妖精のうち、もっとも美しい者でした。
アエオルスは答えます。望みを言うのはあなたの役目、それを果たすのは私の役目だ、と。そして槍で山の横腹を突きました。
風が一斉に吹き出し、船団は散らされます。アエネーアースがカルタゴに流れ着くのは、この嵐のためです。
叙事詩全体の出来事が、この一つの取引から始まります。
そして、代金として名を挙げられた妖精は、この場面のあと二度と出てきません。
なぜ記録が少ないのか ─ 名前だけの役
デーイオペーアについてわかっていることは、名前と、美しいとされたことだけです。
親も、住む場所も、性格も伝えられていません。 承知したのか拒んだのかも書かれていません。
これは資料が失われたためではありません。はじめから、それだけの人物として置かれています。
叙事詩では、神々のあいだの取引に具体的な代金が要ります。抽象的な約束では場面が成り立ちません。
そこで、名前のある一人が差し出されます。
名を与えることで、約束は具体的なものになります。その一点のために名が必要でした。
古代の注釈家も、この人物について多くを書いていません。系譜を伝える書物にも名は見えません。
似た例は叙事詩のなかにいくつもあります。一行だけ名が挙がり、以後出てこない人物です。名前を持ちながら物語を持たない者が、詩には少なからずいます。
女神が女を与えるという形 ─ 場面の読まれ方
この場面は、近代以降にしばしば論じられてきました。
ユーノーは婚姻を守る女神です。その女神が、仕える者を報酬として差し出します。
守る側の神が、守るはずのものを取引に使う。
この矛盾が読みどころとされます。
ユーノーの言葉は「確かな婚姻で結びつけよう」という形をとっており、単なる譲渡ではなく正式な結婚として示されます。それでも本人の意思は書かれません。
古代の読者がこの場面をどう受け取ったかは、わかっていません。 注釈にその論点は出てきません。
近代の研究では、ユーノーの怒りの深さを示す場面として読まれます。目的のためなら、自分の司る領分すら使う。 女神の執念の描写として置かれている、という読み方です。
叙事詩の冒頭で、ユーノーがどこまでやる神なのかを読者に示す。その役目を、一人の名前が引き受けています。
同じ名の水の妖精 ─ 農耕詩とのつながり
ウェルギリウスは、別の作品でも同じ名を使っています。
『農耕詩』第4巻に、水の妖精たちが糸を紡ぎながら話を聞く場面があります。そこに並ぶ名の一つがデーイオペーアです。
川の底の広間で、妖精たちが並んで座っていた。
この場面は蜜蜂の話の途中に置かれ、養蜂家アリスタイオスが母を訪ねる筋の一部です。
同じ人物なのか、名を使い回しただけなのかは決まっていません。 ウェルギリウスは妖精の名を並べるとき、ギリシャの詩から借りることがありました。
一つ言えるのは、この詩人にとってこの名が水と風の場面に結びついていたことです。
『アエネーイス』では風の王への贈り物として、『農耕詩』では川底の妖精として。どちらも人の世から離れた場所にいます。
名の響きが場面に合っていたのだろう、という以上のことはわかっていません。
デーイオペーアの家系図と家族
デーイオペーアの性格と人物像
デーイオペーアには、性格が一つも書かれていません。
わかるのは「もっとも姿の美しい者」という一語だけです。それも本人の言葉ではなく、取引を持ちかける側の値踏みとして出てきます。
語られるのは価値であって、人柄ではありません。
登場する場面で、彼女は口をききません。その場にいたのかどうかさえ書かれていません。話題として言及されるだけです。
研究では、この人物は叙事詩の道具立てとして扱われます。神々の取引に具体性を与えるために名が要り、そこに置かれた、という理解です。
一方で、この空白は近代の読み手を引きつけました。何も言わない登場人物が、何を思っていたか。 そこを起点にした読み直しがいくつも書かれています。
名前しか持たない人物が、かえって考える余地を残しました。 詩が書かなかった部分が、後世の関心の的になっています。
デーイオペーアゆかりの地と遺跡
デーイオペーアを祀った神殿や聖域は、確かめられませんでした。
祭祀の対象になった形跡がなく、碑文にも暦にも名が出てきません。ゆかりの地として位置を確かめられる場所もありません。
風の王アエオルスの島も、どこを指すかが定まっていません。
古代の書き手はリパリ諸島のあたりとしますが、特定の島に確かな根拠があるわけではありません。
そのため、この節には場所を挙げていません。推測で地名を挙げるより、無いと書くほうが正確です。
『農耕詩』の水の妖精としての場面も、川の底という詩のなかの場所であり、実在の土地を指しません。
デーイオペーアが現代に残した痕跡
デーイオペーアの名は、詩の一行として残りました。
アエネーイス第1巻の一節: ユーノーがアエオルスに報酬を示す場面。ラテン語教材で構文の例として取り上げられることがある。
農耕詩の妖精の名: 第4巻に並ぶ水の妖精の一人として同じ名が見える。同一の存在かどうかは決まっていない。
十四人の妖精: ユーノーに仕える妖精の数として、この場面だけに出てくる数字。
嵐の場面の図像: アエオルスが風を放つ絵画で、女神の背後に控える妖精として描かれることがある。
デーイオペーアが司るもの
美しさ
十四人の妖精のうちもっとも姿が美しいとされ、その一点だけが記された。
風と海の場面
嵐を呼ぶ取引の代金として、物語の始まりに置かれた。
婚姻の約束
確かな婚姻として結ばれると約束されたが、その後は語られない。
デーイオペーアが登場するゲーム・アニメ
デーイオペーアを主題にした作品は、ほとんどありません。
登場が一場面にとどまり、姿も行動も書かれていないためです。描くための手がかりが、詩のなかにありません。
絵に描かれるとしても、名を書き添えなければ誰とわかりません。
近年になって、詩が書かなかった人物の側から場面を語り直す試みが文学のなかに現れています。この妖精もその対象に挙げられることがあります。
デーイオペーアが登場するゲーム
神話を題材にした探索ゲーム
風を司る勢力に関わる存在として、名が引かれることがあります。
古代を舞台にした物語ゲーム
嵐の発端を語る場面で、取引の相手として言及されます。
デーイオペーアが登場する絵画・彫刻
アエオルスと風を描いた絵画
洞から風が放たれる場面に、女神と付き添う妖精が配されています。
アエネーイスの挿絵版画
第1巻の冒頭を表す図で、取引の場面が選ばれることがあります。
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デーイオペーアについてよくある質問
デーイオペーアはどんな存在ですか。
ユーノーに仕える十四人の妖精のうち、もっとも姿が美しいとされた一人です。風の王アエオルスに嵐を起こさせる報酬として、妻に与えると約束されました。
その後どうなりましたか。
書かれていません。登場は第1巻のこの一場面だけで、婚礼が行われたかどうかも語られません。以後まったく出てきません。
農耕詩に出てくる同じ名の妖精は同一人物ですか。
決まっていません。『農耕詩』第4巻には水の妖精の一人として同じ名が見えますが、同一の存在なのか名を使い回しただけなのかはわかっていません。
デーイオペーアを祀った場所はありますか。
ありません。祭祀の対象になった形跡がなく、碑文にも暦にも名は出てきません。ゆかりの地として位置を確かめられる場所も見つかりませんでした。