ローマ第二代の王。神官の職と祭りの暦を定めた、祭祀の創始者とされる。
ヌマ・ポンピリウスとは何の神様か
ヌマ・ポンピリウスはローマの祭祀をひととおり作った王として語られる人物です。第二代の王で、サビニ人の町クレースの出身とされます。
ロームルスが姿を消したあと、元老院はサビニ人から王を迎えました。戦で国を広げた王のあとに、祭りを定める王が置かれる。 ローマ人はこの順序を強く意識して語りました。
在位は前715年から前673年まで、43年と伝えられます。
この治世のあいだ、一度も戦が無かった。
ヤーヌスの門は在位中ずっと閉じられていたとされます。門が閉じるのは、ローマ全土で戦が無いときだけです。
助言者は泉の妖精エーゲリアでした。夜ごと森で会い、教わったことを民に伝えたとされます。
ローマ人は、自分たちの宗教のほとんどをこの王に帰しました。
ヌマ・ポンピリウスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「ヌマ・ポンピリウス」で定着しています。短く「ヌマ」とも呼ばれます。
神ではなく人です。ローマの伝えでも、死後に神になったとはされていません。
神になったのは、ロームルスだけです。
それでも、ローマの祭祀にこの王の名が繰り返し出てきます。神官の職・祭りの日取り・暦の組み立て。制度の起こりを説明する必要があるとき、ローマ人はヌマの名を出しました。
サビニ人の出とされる点も重要です。ローマは初めからよその土地の人を王に迎えているという自己像を持っていました。
Numa Pompilius(ヌマ・ポンピリウス)
ラテン語の形。ヌマが個人名、ポンピリウスが氏族の名にあたる。
Numa(ヌマ)
短く呼ぶ形。ローマの著述家もこちらを多く使う。
rex sacrorum(レークス・サクロールム)
祭祀の王。王政が終わったあと、王の祭祀の役だけを引き継いだ職の名。
ヌマ・ポンピリウスの物語
祭祀の組み立て ─ 神官の職を置く
ヌマが定めたとされるものは、ローマの祭祀のほぼ全体にわたります。
神祇官(ポンティフェクス)は祭祀全体を監督する職です。この職はやがて最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)を頂点とする組織になり、カエサルもアウグストゥスもこの職に就きました。
専属神官(フラーメン)は、特定の神だけに仕える職です。ユーピテル・マールス・クゥイリーヌスの三つが上位で、なかでもユーピテルの神官は禁忌に縛られました。
馬に乗ってはならない。結び目のあるものを身に着けてはならない。
ウェスタの巫女も、この王が定めたとされます。国家の火を守る六人の女性です。
サリイは3月に楯を打ち鳴らして踊る神官団、フェーティアーレースは条約と宣戦を司る神官団です。
いずれも共和政・帝政を通じて存続しました。物語の細部が、目の前の制度と噛み合っていた点が重要です。
暦を作る ─ 一年を十二か月にする
ロームルスの暦は十か月だったと伝えられます。3月に始まり、12月で終わる形です。
いまも9月から12月の名が「7番目」から「10番目」を意味するのは、その名残とされます。
ヌマはここにヤーヌアーリウス(1月)とフェブルアーリウス(2月)を加えました。
年の始まりが、戦の月から門の神の月に移った。
さらに、日をファストゥス(公の用を行ってよい日)とネファストゥス(行ってはならない日)に分けました。この区別は暦に書き込まれ、どの日に裁判を開けるかを決めました。
長く神官だけがこの暦を握っていました。前304年に書記グナエウス・フラウィウスが写しを公表し、誰でも見られるようになったと伝えられます。
祭りの日取りを握ることが、そのまま国を動かす力でした。
エーゲリアとの対話 ─ 権威をどこに置くか
ヌマがこれらを定められたのは、泉の妖精エーゲリアに教わったからだとされます。
会う場所はカペーナ門の外のカメーナエの森でした。夜ごと通ったと伝えられます。
私が定めたのではない。教わったことを伝えているだけだ。
この形をとることで、王は定めの根拠を自分の外に置きました。逆らう者は、王ではなく神に逆らうことになります。
オウィディウスの『祭暦』には、ヌマがユーピテルを呼び出す場面があります。ピークスとファウヌスを縛って教えを引き出し、雷を避ける方法を神と交渉する話です。
神が「頭を」と言うと王は「玉ねぎの頭を」と返し、「人の」と言うと「髪の毛を」と返す。言葉のやり取りで、人身の犠牲を避けたという筋になっています。
ユーピテルは笑って認めたとされます。
死と、掘り出された書物
ヌマは老いて静かに死に、ヤニクルムの丘に葬られたと伝えられます。
書物とともに葬られました。 祭祀の定めを記した巻物です。
前181年、その墓が偶然に掘り当てられた。
石の櫃が二つ出て、一方は空、もう一方に巻物が入っていたと伝えられます。読んだ法務官は、内容が当時の祭祀を揺るがすものと判断しました。
元老院の決議で、巻物は民会の広場で焼かれます。
何が書かれていたのかはわかっていません。 後世の偽作だったとする見方が有力ですが、確かめようがありません。
ヌマが実在したかどうかも確かめられていません。ただし、サビニ系の要素がローマの祭祀に多く含まれることは言葉の面から裏づけられており、物語の骨格に古い記憶が含まれている可能性は残ります。
ヌマ・ポンピリウスの家系図と家族
ヌマ・ポンピリウスの妻・夫: エーゲリア夜ごと森で会い祭祀を授かる
ヌマ・ポンピリウスの性格と人物像
ヌマは、ローマの王のなかで唯一「戦わない王」として描かれます。
ロームルスが力で国を立てたのに対し、ヌマは祭りと定めで民をまとめました。プルタルコス?は、この二人を並べて論じています。
荒々しい民を鎮めるには、神への畏れがもっともよく効いた。
そうした説明のしかたです。
慎み深く、飾らない人物として語られます。王位を勧められたときも一度は断り、鳥占いで神意を確かめてから受けたとされます。
後世、賢明な統治者の型として繰り返し引かれました。ルネサンス以降の政治論では、宗教を統治の道具として用いた最初の例として取り上げられています。
ただし、これらはいずれも後の時代がヌマに求めた姿です。実像はわかっていません。
ヌマ・ポンピリウスゆかりの地と遺跡
ヌマは神ではないため、この王を祀った神殿はありません。
ここに挙げたのは、いずれもヌマが定めたと伝えられる祭祀の場です。そのため見出しを「ゆかりの地」としています。
建てた人と、祀られた神は別です。
墓はヤニクルムの丘にあったとされますが、位置は特定されていません。 前181年に掘り当てられたという記録がありますが、その場所も伝わっていません。
なお、後世のローマ人が「ヌマの家」と呼んだ建物がフォロ・ロマーノにありました。これはウェスタの巫女の館にあたります。
レーギア(Regia)
王の祭祀の中心とされた建物
レーギアの住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ 聖なる道沿い(北緯41.8919 東経12.4864)
レーギアの祀られた神: マールス・オプス
レーギアに残るもの: 基礎と床の一部
レーギアのご利益: 祭祀の要
王の祭祀の拠点とされ、ヌマが建てたと伝えられる建物です。
王政が終わったあとは最高神祇官の役所になりました。カエサルもここを使っています。
内部にはマールスに捧げられた聖なる槍と、オプスの小部屋があったとされます。槍が動いたことが、戦の前兆として記録されました。
ウェスタ神殿のすぐ隣にあり、ローマの祭祀の中心が、この狭い一角に集まっていました。
フォロ・ロマーノの見学路から基礎を見ることができる。
エーゲリアの泉(Nymphaeum Egeriae)
ヌマがエーゲリアと会ったとされる場所
エーゲリアの泉の住所: イタリア ローマ カッファレッラ谷(北緯41.8592 東経12.5243)
エーゲリアの泉の祀られた神: エーゲリア
エーゲリアの泉に残るもの: 泉亭の建物(2世紀)
エーゲリアの泉のご利益: 知恵を授かること
ヌマが妖精エーゲリアと会ったとされる泉です。いまも水が湧いています。
ただし残る建物は2世紀のヘロデス・アッティクスの別荘に付属した泉亭で、王の時代のものではありません。
古代の書き手が伝えるカメーナエの森は、カペーナ門の外にありました。この谷とは別の場所です。 中世以降に呼び名が移ったとみられています。
カッファレッラ公園のなか。アッピア街道の入口から歩いて行ける。
ウェスタ神殿(Aedes Vestae)
国家の火を守った円形の神殿
ウェスタ神殿の住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ(北緯41.8917 東経12.4862)
ウェスタ神殿の祀られた神: ウェスタ
ウェスタ神殿に残るもの: 円形の基壇と復元された柱
ウェスタ神殿のご利益: 国家の安泰
ヌマが巫女の制度を定めたと伝えられる神殿です。国家の火がここで絶やさず守られました。
火が消えることは国の危機とみなされ、消した巫女は最高神祇官に鞭で打たれました。
円形の建物で、屋根に煙出しの穴が開いていました。古い時代の小屋の形を残したものと説明されます。
フォロ・ロマーノの見学路から基壇と柱を間近に見ることができる。
ヌマ・ポンピリウスが現代に残した痕跡
ヌマの名は、暦と制度の起源として残りました。
1月と2月: 一年に加えられた二つの月。9月から12月の名がずれているのは、古い十か月の暦の名残とされる。
最高神祇官: ヌマが定めたとされる職。皇帝が兼ね、のちにローマ教皇の称号にも受け継がれた。
ヤーヌスの門: 戦が無いときだけ閉じられる門。ヌマの治世に閉じられていたことが、平和の指標として引かれた。
ヌマの書物: 前181年に墓から出たとされ、元老院の決議で焼かれた。中身はわかっていない。
ヌマ・ポンピリウスが司るもの
祭祀の定め
神官の職と祭りの日取りを定めた王として、祭祀の起源に置かれた。
平和
在位中ヤーヌスの門が閉じられていたとされ、戦の無い時代の象徴となった。
暦
一年を十二か月とし、公の用を行ってよい日と行ってはならない日を分けた。
ヌマ・ポンピリウスが登場するゲーム・アニメ
作品でのヌマは、戦わない王として扱われます。
ロームルスとの対比が前に出るため、単独で主役になることはあまりありません。
対にすると、ローマの二つの顔がそろいます。
近世の政治論では、宗教を統治にどう用いるかという主題で繰り返し引かれてきました。
ヌマ・ポンピリウスが登場するゲーム
歴史をあつかう戦略ゲーム
文化や宗教を伸ばす指導者として配されることがあります。
ローマを舞台にした物語作品
賢王の型として、助言する立場で登場します。
ヌマ・ポンピリウスが登場する絵画・彫刻
ヌマとエーゲリア
森の泉で妖精から教えを受ける場面が、近世の絵画に描かれています。
ローマの貨幣
共和政期のポンポニウス氏族の貨幣に、この王の横顔が刻まれています。
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ヌマ・ポンピリウスについてよくある質問
ヌマ・ポンピリウスは実在した人物ですか。
確かめられていません。ただしローマの祭祀にサビニ系の要素が多く含まれることは言葉の面から裏づけられており、物語の骨格に古い記憶が含まれている可能性は残ります。
ヌマは何を定めたとされていますか。
神祇官・専属神官・ウェスタの巫女・サリイ・フェーティアーレースといった神官の職、祭りの日取り、そして一年を十二か月とする暦です。ローマ人は祭祀の起源をほぼこの王に帰しました。
エーゲリアとはどういう存在ですか。
泉の妖精です。ヌマに祭祀を教えたとされ、夜ごとカメーナエの森で会ったと伝えられます。王が定めの根拠を自分の外に置く形になっています。
ヌマの墓から出た書物はどうなりましたか。
前181年に掘り当てられ、内容が当時の祭祀を揺るがすと判断されて、元老院の決議で焼かれたと伝えられます。何が書かれていたかはわかっていません。
ヌマ・ポンピリウスと併せて覚えたい言葉・用語
プルタルコス(Plutarch)
ギリシャの著述家。『イシスとオシリスについて』を書いた。オシリス神話が一続きの物語として読めるのはこの書だけだが、ギリシャ語で、神話の成立から二千年以上あとの記録である点に注意が要る。