平和の女神。アウグストゥスの祭壇とウェスパシアヌスの神殿で祀られた。
パークスとは何の神様か
パークスはひとことで言えば平和という言葉がそのまま女神になったものです。
ローマには、物語を持つ神とはべつに、徳や状態をそのまま神として祀る流れがありました。平和・希望・誠実・自由。いずれもラテン語では女性名詞なので、女神の姿で表されます。
パークスに神話はありません。あるのは、祭壇と神殿と貨幣です。
この女神が前に出るのは、いつも内乱が終わったあとです。アウグストゥスは前13年に元老院にアラ・パキス・アウグスタエ(アウグストゥスの平和の祭壇)を誓わせ、前9年に奉献しました。
75年には皇帝ウェスパシアヌスが平和の神殿を建てます。ユダヤ戦争のあとでした。
祭日は1月3日と1月30日。貨幣では、オリーブの枝と豊穣の角を手にした姿で表されます。
ローマ人にとっての平和は、戦が無いことではなく、勝って戦が止まった状態を指す言葉でした。
そのため、この女神が現れる場面には、たいてい直前の戦がついています。
パークスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「パクス」「パックス」「パークス」が使われます。もっとも広く通じるのは「パクス」で、「パクス・ロマーナ」という言い方の形で知られています。
名は「取り決めを結ぶ」という意味の語から作られました。戦をやめる合意そのものを指す語です。
心のおだやかさを指す語ではありません。
日本語の「平和」が心の状態まで含むのに対し、ラテン語のこの語は手続きとしての和議に近いところにあります。この違いは、貨幣の図像を読むときに効いてきます。
ギリシャ側にも平和を司る女神がいますが、この記事ではローマでの祀られ方を扱います。アラ・パキス・アウグスタエという祭壇の名も、この女神の名の対格の形からできています。
Pax(パークス)
ラテン語の主格。属格はパーキスとなる。もとは「取り決めを結ぶ」を意味する語から作られた名で、条約や和議と同じ根を持つ。
Pax Augusta(パークス・アウグスタ)
皇帝の平和という意味。前9年に奉献された祭壇の正式な名にこの形が使われ、貨幣にも同じ組み合わせで刻まれた。平和を皇帝の功績として示す言い方。
Templum Pacis(テンプルム・パーキス)
平和の神殿を指す言い方。75年にウェスパシアヌスが建てた建物で、のちに市の記録と大理石の市街図を収める場所になった。
パークスの物語
アラ・パキス ─ 行列を彫った祭壇
アウグストゥスがガリアとヒスパニアから戻った前13年、元老院はその帰還を祝って祭壇を誓いました。奉献されたのは前9年です。
建てられたのはマルスの野の一角、いまのアウグストゥス廟のそばです。
神殿ではなく、祭壇でした。
四方を壁で囲み、そのなかに階段つきの祭壇を据えた形をしています。読みどころは外壁の浮き彫りです。
南北の壁には、奉献の日の行列が彫られています。皇帝一族、神官、元老院議員、そして子どもたち。ローマの浮き彫りに実在の子どもがこれだけ出てくるのは、この祭壇が最初です。
東西の壁には、豊かな実りに囲まれた女神と、ローマの始まりにかかわる場面が並びます。
祭壇は時代とともに地中に埋もれ、16世紀から断片が掘り出されました。まとまった発掘は1937年から1938年にかけて行われ、集められた断片が組み直されています。現在は専用の建物のなかで見学できます。
平和の神殿 ─ 戦利品で建った建物
75年、皇帝ウェスパシアヌスが平和の神殿を奉献しました。
財源はユダヤ戦争の戦利品です。エルサレムの神殿から運ばれた器が、この建物に納められたと伝えられます。
戦の分捕り品で、平和の神殿が建ちました。
ローマ人はこの取り合わせを、とくにおかしいとは考えていません。平和とは、勝って戦が止まった状態だからです。
建物は列柱に囲まれた広い庭を持ち、そのなかに神殿が据えられていました。ギリシャから運ばれた美術品も置かれ、事実上の美術の展示場として機能していたと伝えられます。
さらにこの神殿は、市の記録の保管所になりました。ネルウァ帝より後の時代には、壁にフォルマ・ウルビスと呼ばれる大理石の市街図が掛けられています。ローマ市の建物を線で刻んだ巨大な平面図で、いまも断片が残り、古代の市街を知る手がかりになっています。
貨幣と祭日 ─ 平和はどう示されたか
パークスの姿は、貨幣を通じて広く知られていました。
手に持つのはオリーブの枝と豊穣の角です。オリーブは和議の合図、角は戦のあとに戻る豊かさを示します。
燃える松明で武具の山に火をつける図もあります。
武器を焼く姿は、戦が終わったことを目に見える形にしたものです。
祭日は1月3日と1月30日の二つが伝えられています。1月30日は祭壇が奉献された日にあたります。
内乱を終えた皇帝ほど、この女神を貨幣に刻みました。平和を告げることは、そのまま自分の正しさを告げることでした。
なお、ヤーヌスの門が閉じられることも、戦が無い状態の合図とされました。アウグストゥスは自らの事績を記した文章のなかで、この門を三度閉じたと述べています。パークスの祭壇と門の開閉は、同じことを別のやり方で示したものです。
ローマの平和 ─ 何を指す言い方だったのか
「ローマの平和」という言い方は、いまでも歴史の本によく出てきます。おおむね、アウグストゥスから2世紀の終わりごろまでの、大きな戦の少なかった時期を指します。
ただし、この言い方には言う側の立場が入っています。
荒れ野を作っておいて、それを平和と呼ぶ。
タキトゥスは、ローマに征服された側の指導者の言葉として、こうした趣旨の批判を書き残しました。ローマ人自身が、この言い方の危うさを記録に残している点は見落とせません。
境の外では戦が続いていましたし、内乱もありました。それでも地中海のほぼ全域が一つの統治のもとに置かれ、人と物が動きやすくなったことは確かです。
パークスという女神は、この状態を保証する存在として立てられました。神殿と祭壇と貨幣だけを持ち、物語をいっさい持たない神が、帝国のいちばん大きな看板になっていました。
パークスの家系図と家族
パークスの性格と人物像
パークスには性格がありません。 怒りも嫉妬も、恋の相手もいません。
抽象概念の神とは、そういうものです。人の姿を借りていますが、中身は言葉です。
語られる物語がない代わりに、建てられた日付がわかります。
前13年に誓われ、前9年に奉献された。75年に神殿が建った。この具体性が、この種の神を読むときの手がかりになります。
研究の上では、パークスは帝政の広報がどう組み立てられたかを見るための材料として扱われます。誰が、どの戦のあとに、どの言葉を神にしたのか。そこに当時の政治の必要が透けて見えるためです。
貨幣の図像も、この見方を裏づけます。オリーブの枝を持つ姿と並んで、武具の山に松明で火をつける姿が刻まれました。武器を焼くところまで見せなければ、平和は伝わらなかったということです。
一方で、共和政の時代にこの女神を祀った記録はほとんどありません。ローマが平和を神にしたのは、内乱をひととおり経験したあとでした。
パークスを祀った神殿と遺跡
パークスを祀った場所として住所を確かめられたのは、アラ・パキスと平和の神殿の二つです。
この二つは性格が違います。前者は前9年の祭壇、後者は75年の神殿で、あいだに八十年以上の開きがあります。
祭壇が先、神殿が後です。
共和政の時代に、この女神を祀った施設の記録はほとんど残っていません。ローマが平和を神殿に据えたのは、内乱を終えた帝政に入ってからでした。
なお、平和の神殿は中世以降に一部が教会や道路の下に入り、地上に残るのは基礎と舗床の一部です。
アラ・パキス・アウグスタエ(Ara Pacis Augustae)
アウグストゥスの平和を祝う国家の祭壇
アラ・パキス・アウグスタエの住所: イタリア ローマ ルンゴテーヴェレ・イン・アウグスタ(北緯41.9028 東経12.4791)
アラ・パキス・アウグスタエの祀られた神: パークス・アウグスタ
アラ・パキス・アウグスタエに残るもの: 祭壇と囲壁(断片を組み直したもの。専用の建物のなかで見学できる)
アラ・パキス・アウグスタエのご利益: 戦の終わり
前13年に元老院が誓い、前9年に奉献された祭壇です。神殿ではなく、壁で囲んだなかに祭壇を据えた形をしています。
読みどころは外壁の浮き彫りです。奉献の日の行列が彫られ、皇帝一族と神官、そして子どもたちが並びます。
16世紀から断片が掘り出され、1930年代の発掘でまとまった部分が出ました。いまある姿は、集めた断片を組み直したものです。
テヴェレ川沿いの専用の建物のなかにある。浮き彫りを間近で一周して見られる。
平和の神殿(Templum Pacis)
ウェスパシアヌスが建てた神殿と広場
平和の神殿の住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ東側(北緯41.8926 東経12.4873)
平和の神殿の祀られた神: パークス
平和の神殿に残るもの: 基礎と舗床の一部(フォロ・ロマーノの見学路から見える)
平和の神殿のご利益: 国の安泰
75年に皇帝ウェスパシアヌスが奉献しました。財源はユダヤ戦争の戦利品で、エルサレムの神殿から運ばれた器が納められたと伝えられます。
列柱に囲まれた広い庭を持ち、ギリシャから運ばれた美術品も置かれていました。
のちに市の記録の保管所となり、壁には大理石の市街図フォルマ・ウルビスが掛けられました。断片がいまも残り、古代ローマの市街を知る手がかりになっています。
フォロ・ロマーノの東寄り。マクセンティウスのバシリカの南に基礎が広がる。
パークスが現代に残した痕跡
パークスの名は、時代の呼び名と祭壇そのものとして残りました。
ローマの平和という言い方: アウグストゥスから2世紀末までの、大きな戦の少なかった時期を指す語として歴史の本で使われている。
アラ・パキスの浮き彫り: 奉献の日の行列を彫った壁面。実在の人物と子どもを並べた点で、ローマの浮き彫りの転換点とされる。
フォルマ・ウルビス: 平和の神殿の壁に掛けられていた大理石の市街図。断片が残り、古代の街路や建物の位置を知る手がかりになっている。
平和の象徴としてのオリーブ: この女神が手にした枝の図像が、和議を示す絵柄として後世まで受け継がれた。
パークスが司るもの
戦の終わり
和議が結ばれ、武器が置かれることを司るとされた女神。
実りと豊かさ
戦が止んだあとに戻る収穫を、豊穣の角の図像で示した。
国の安泰
皇帝の統治が続くことの保証として、貨幣に繰り返し刻まれた。
パークスが登場するゲーム・アニメ
作品でのパークスは、女神としてよりも寓意像として登場します。
オリーブの枝を持つ女性、あるいは武器を焼く女性という形が定型になり、近世以降の絵画や公共の彫刻に受け継がれました。
名前が出てこないまま、図像だけが残った例です。
古代ローマを扱う映像作品では、アラ・パキスの浮き彫りが背景として使われることがあります。神そのものが主役になることは、ほとんどありません。
パークスが登場する建築・遺跡
アラ・パキスの展示館
2006年に開いた建物で、祭壇を屋内から一周して見られます。
フォロ・ロマーノの発掘
平和の神殿の基礎と舗床が、見学路から見える形で整えられています。
パークスが登場する絵画・彫刻
平和の寓意像
オリーブの枝を持つ女性像として、近世の絵画に繰り返し描かれます。
武具を焼く場面
松明で武器の山に火をつける図が、和議を示す構図になりました。
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パークスについてよくある質問
パークスはどんな神ですか。
ローマ人が平和という言葉をそのまま女神にしたものです。物語を持たず、祭壇と神殿と貨幣によって知られています。オリーブの枝と豊穣の角を手にした姿で表されました。
アラ・パキスはどこで見られますか。
ローマのテヴェレ川沿い、アウグストゥス廟のそばにある専用の建物のなかです。前9年に奉献された祭壇で、断片を組み直した姿を屋内から一周して見学できます。
平和の神殿は何のために建てられたのですか。
75年にウェスパシアヌスがユダヤ戦争の戦利品を財源として建てました。神殿であると同時に美術品の置き場となり、のちには市の記録と大理石の市街図を収める場所にもなりました。
ローマの平和とはどういう意味ですか。
アウグストゥスから2世紀末ごろまでの、大きな戦の少なかった時期を指す言い方です。ただし境の外では戦が続いており、当時から批判もありました。タキトゥスがその趣旨の言葉を書き残しています。