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ローマ神話

コンコルディアとは何の神様か|家系図・物語・祀った神殿

Concordia  / コンコルディア

大地 抽象概念の神

心を合わせることの女神。内乱が収まるたびに神殿が建て直された。

コンコルディアとは何の神様か

コンコルディアはひとことで言えば内輪もめが収まったことを祝うための女神です。

名は「心をともにする」という意味の語によります。国どうしの和ではなく、同じ共同体のなかでの和を指します。

外の和がパークス、内の和がコンコルディアです。

フォロ・ロマーノの神殿は、前367年にカミッルスが誓ったと伝えられます。貴族と平民の争いがリキニウス法で決着したことを記念したものです。

前121年、グラックス派を武力で倒した執政官オピミウスが建て直しました。前304年には按察官グナエウス・フラウィウスが青銅の小祠を建てた記録も残ります。

7年から10年にかけてティベリウスが建て直し、コンコルディア・アウグスタとして奉献しました。

祭日は7月22日この神殿は、内乱のたびに建て直されました。 建て直された年を並べると、そのままローマの内輪もめの年表になります。

コンコルディアのローマ名・ギリシャ名と読み方

日本語では「コンコルディア」でほぼ定着しています。長音を入れた「コンコールディア」も見られますが、多くありません。

名は「ともに」を意味する語と「心」を意味する語を組み合わせたものです。心をひとつに合わせることを指します。

相手と仲がよいことではなく、割れていた側どうしが一つになることです。

このため、この女神が出てくる場面には、直前にかならず割れていた事実があります。神殿が誓われた前367年、建て直された前121年、そして帝政の初め。いずれもローマが内部で激しく争ったあとです。

なお、ギリシャ側にも同じはたらきの女神がいますが、この記事はローマでの祀られ方を扱います。神殿の建て直しの年と、そこで開かれた元老院の会議が中心になります。

Concordia(コンコルディア)

ラテン語の主格。「ともに」と「心」を組み合わせた語で、心をひとつにすることを意味する。属格はコンコルディアエとなる。

Concordia Augusta(コンコルディア・アウグスタ)

ティベリウスが建て直したときの正式な祭神名。皇帝の家のなかの和と、国の和を重ねて示す形になっている。

Aedes Concordiae(アエデース・コンコルディアエ)

コンコルディアの神殿を指す言い方。フォロ・ロマーノの西端、タブラリウムの手前に基壇が残っている。

コンコルディアの物語

  1. 前367年の誓い ─ 身分闘争の決着
  2. 前121年の建て直し ─ 落書きの伝え
  3. 元老院の会議場として ─ キケロの弾劾
  4. コンコルディア・アウグスタ ─ 皇帝の家の和

前367年の誓い ─ 身分闘争の決着

フォロ・ロマーノの神殿は、前367年にカミッルスが誓ったと伝えられます。

この年、貴族と平民の長い争いに一区切りがつきました。リキニウス法によって、二人の執政官のうち一人を平民から選べるようになったのです。

割れていた身分が、ひとつの職を分け合うことになりました。

その決着を記念して、和合の女神に神殿が誓われました。神殿はフォロ・ロマーノの西端、カピトリーノの丘の下に置かれます。

この場所の選び方に意味があります。 神殿は広場を見下ろす位置にあり、集まった市民から見える正面を持っていました。

前304年には、按察官グナエウス・フラウィウスが同じ一帯に青銅の小祠を建てた記録も残ります。この人物は書記の出で、それまで神官が握っていた訴訟の日取りを公表した人物として知られます。身分の壁を崩した者が、和合の神に祠を建てました。

前121年の建て直し ─ 落書きの伝え

前121年、ローマは血を流しました。改革を進めたガイウス・グラックスとその一派が、元老院側の武力によって倒されたのです。

このあと、執政官オピミウスがコンコルディアの神殿を建て直しました。

勝った側が、和合の神殿を建てました。

これに対して、次のような意味の落書きがされたと伝えられます。

不和の作品が、和合の神殿を建てた。

ローマ人自身が、この建て直しの矛盾を見ていたということです。この一文が伝えられていること自体が、当時の空気を伝えています。

オピミウスの神殿は、それまでのものより大きく作られました。基壇の一部と、内部の広い部屋の跡が、いまも残っています。

前121年の一件は、ローマの内乱の始まりとしてしばしば数えられます。改革をめぐる争いが、はじめて市中での殺し合いになった年だからです。

和合の神殿が、和合を壊した側の手で建てられる。この形は、このあとも繰り返されました。

元老院の会議場として ─ キケロの弾劾

コンコルディアの神殿には、祈りの場とは別の役目がありました。元老院の会議場です。

ローマの元老院は決まった建物だけで開かれたわけではなく、正式に清められた建物であれば会議を行えました。この神殿はその一つでした。

前63年12月5日、キケロがここで演説しました。

カティリーナの陰謀にかかわった者をどう処分するかを決める会議で、カティリーナ弾劾の第4演説が行われた場所とされます。

和合の神殿で、市民を処刑するかどうかが議論されました。 この取り合わせは、後世の読み手がしばしば指摘するところです。

会議場として使われたことは、この建物が広い内部空間を持っていたことも示しています。オピミウスが建て直したとき、横に長い部屋が作られたためです。

神殿はまた、多くの美術品を収めていました。ギリシャから運ばれた彫刻が並び、事実上の展示場としても知られていました。

コンコルディア・アウグスタ ─ 皇帝の家の和

帝政に入ると、この女神の意味が少し変わります。

7年から10年にかけて、ティベリウスが神殿を建て直しました。奉献されたのはコンコルディア・アウグスタ、すなわち皇帝の和合としてです。

国の和と、皇帝の家の和が重ねられました。

背景には、皇帝一族のなかの緊張がありました。誰が跡を継ぐのかをめぐって、家のなかでも人が入れ替わっています。家が割れていないことを示す必要があったわけです。

ティベリウスの神殿は、幅の広い正面を持つ独特の形をしています。奥行きより横幅が大きく、これは狭い敷地に合わせたためとみられています。

内部は色の違う大理石で飾られ、多くの彫刻が置かれました。この時期の建物としても質の高いものだったと伝えられます。

いま見えるのは基壇の部分です。フォロ・ロマーノの西端、タブラリウムの手前にある大きな基壇が、その跡にあたります。

コンコルディアの家系図と家族

コンコルディアのきょうだい: パークス内と外の和として対にされるスペース望みと和として貨幣に並べられる

コンコルディアの性格と人物像

コンコルディアには、物語も血縁もありません。神殿の建て直しの記録だけがある女神です。

けれども、その記録が雄弁です。前367年、前121年、そして帝政の初め。建て直された年は、いずれもローマが内部で激しく争ったあとにあたります。

和合の神殿が建つのは、和合が壊れた直後です。

研究の上では、この女神は政治の言葉がどう神格化されたかを見る材料として扱われます。誰が建てたかを追うと、その時期に誰が勝ったかがわかるためです。

貨幣では、座って豊穣の角と皿を持つ姿が多く見られます。ときには二つの右手を握り合わせた図が添えられ、フィデースの図像と重なります。

元老院の会議場として使われた点も見落とせません。祈りの場と議論の場が、同じ建物のなかにありました。 ローマでは、神殿が実務の建物を兼ねることが珍しくありませんでした。

和は、それを必要とする者が掲げるものでした。 この女神の記録は、そのことをそのまま残しています。

コンコルディアを祀った神殿と遺跡

コンコルディアを祀った場所として住所を確かめられたのは、フォロ・ロマーノの神殿と、そのそばの青銅の小祠です。

どちらも同じ一帯にあります。神殿は基壇が残っていますが、小祠は地上に何も残っていません。

建て直しの年を並べると、ローマの内輪もめの年表になります。

前367年に誓われ、前121年に建て直され、帝政の初めにもう一度建て直された。和合の神殿は、和合が壊れるたびに新しくなりました。

なお、この一帯には他の神々の施設も密集しており、遺構だけを見て神殿を見分けるのは容易ではありません。

コンコルディア神殿(Aedes Concordiae)

和合を祀った国家の神殿

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コンコルディア神殿の住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ西端(北緯41.8929 東経12.4842)

コンコルディア神殿の祀られた神: コンコルディア・アウグスタ

コンコルディア神殿に残るもの: 基壇と舗床の一部(フォロ・ロマーノの見学路から見える)

コンコルディア神殿のご利益: 仲直り

前367年にカミッルスが誓ったと伝えられる神殿です。貴族と平民の争いが決着したことを記念したものとされます。

前121年に執政官オピミウスが建て直し、7年から10年にかけてティベリウスコンコルディア・アウグスタとして奉献しました。

元老院の会議場としても使われ、キケロがカティリーナ弾劾の第4演説を行った場所とされます。いま見えるのは、横に広い独特の基壇です。

フォロ・ロマーノ西端。タブラリウムの手前、セウェルス帝の凱旋門の北西にあたる。

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コンコルディアの小祠(Aedicula Concordiae)

按察官が建てた青銅の小祠

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コンコルディアの小祠の住所: イタリア ローマ フォロ・ロマーノ西端 グラエコスタシス付近(北緯41.8929 東経12.4842)

コンコルディアの小祠の祀られた神: コンコルディア

コンコルディアの小祠に残るもの: 地上に残っていない

コンコルディアの小祠のご利益: 合議の成立

前304年、按察官グナエウス・フラウィウスが建てたと伝えられる青銅の小祠です。

この人物は書記の出身で、それまで神官が握っていた訴訟の日取りを公表したことで知られます。身分の壁をひとつ崩した人物が、和合の神に祠を建てたことになります。

置かれた場所は、外国の使節が元老院の返事を待ったグラエコスタシスの近くと伝えられます。建物そのものは残っていません。

コンコルディア神殿のすぐそば。地上に遺構は無く、位置の伝えだけが残る。

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コンコルディアが現代に残した痕跡

コンコルディアの名は、握り合う右手の図像として残りました。

フォロ・ロマーノの基壇: 横に広い独特の形をした基壇が西端に残り、ティベリウスが建て直したときの姿を伝えている。

握り合う右手の図: 二つの右手を結ぶ図像が和合の合図として使われ、後世の紋章や記念貨幣にも受け継がれた。

不和の作品という言葉: 前121年の落書きとして伝えられる一文が、権力と和解の関係を語るときに引かれ続けている。

カティリーナ弾劾の第4演説: キケロがこの神殿で行ったとされる演説。ラテン語の教材として長く読まれてきた。

コンコルディアが司るもの

仲直り

割れていた者どうしが一つになることを司るとされた女神。

家のなかの和

帝政期には皇帝一族の結束を示す名として貨幣に刻まれた。

合議の成立

元老院の会議場となり、議論が決着する場を担った。

コンコルディアが登場するゲーム・アニメ

作品でのコンコルディアは、和解の寓意像として登場します。

近世以降、市庁舎や公会堂の装飾に「和合」の像が置かれることがありますが、その多くはこの女神の図像を下敷きにしています。

角と皿、あるいは握り合う二つの右手。

古代ローマを扱う歴史の記述では、神そのものより神殿の建て直しの年が引かれます。建てた人物の名が、そのまま内乱の勝者の名になっているためです。

コンコルディアが登場する絵画・彫刻

和合の寓意像

角と皿を持つ女性像として、近世の市庁舎や公会堂の装飾に用いられます。

握手の図像

二つの右手を結ぶ図が、和解と同盟を示す紋章として使われました。

コンコルディアが登場する文学・演説

キケロの弾劾演説

この神殿で行われたとされる第4演説が、いまも読まれています。

古代ローマ史の記述

神殿の建て直しが、内乱の節目を示す出来事として語られます。

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コンコルディアについてよくある質問

コンコルディアはどんな神ですか。

心を合わせることを神としたローマの女神です。国どうしの和ではなく、同じ共同体のなかでの和を指します。フォロ・ロマーノの神殿で祀られ、祭日は7月22日でした。

なぜ神殿が何度も建て直されたのですか。

内輪もめが起きるたびに、収まったことを示すために建て直されたためです。前367年の身分闘争の決着、前121年のグラックス派の敗北、帝政の初めと、節目ごとに新しくなりました。

不和の作品が和合の神殿を建てたとは何ですか。

前121年、グラックス派を武力で倒した執政官オピミウスが神殿を建て直したときに書かれたと伝えられる落書きです。ローマ人自身がこの建て直しの矛盾を見ていたことがわかります。

いま神殿は見られますか。

フォロ・ロマーノの西端に基壇が残っています。奥行きより横幅の大きい独特の形をしており、タブラリウムの手前、セウェルス帝の凱旋門の北西にあたります。