オオモノヌシの子孫。疫病を鎮めるため探し出された人物。
大田田根子とは何の神様か
オオタタネコはひとことで言えば疫病を止めた人です。崇神天皇の代、国じゅうに疫病が流行り、人口の半分が死んだといいます。
天皇の夢にオオモノヌシが現れ、「我が子オオタタネコに我を祀らせよ」と告げました。探し出されたこの人物が三輪山の神を祀ると、疫病はやみました。
神を祀るには、その神の血を引く者でなければならない。その考えがはっきり示された場面です。
大田田根子の漢字表記と読み方
読みは「おおたたねこ」です。
「オオタ」は大田、「タネ」は種、「コ」は子とする読みがあります。田の種の子、つまり農耕に関わる名と解されます。
一方、名に「タタ」を含むことから、ヒメタタライスズヒメと同じく製鉄の「タタラ」に結びつける説もあります。
どちらの説も、三輪山の神が土地と生業に結びついていたことを示します。
大田田根子(おおたたねこ)
日本書紀での表記。
意富多多泥古(おおたたねこ)
古事記での表記。
大田田根子の物語
人口の半分が死ぬ
崇神天皇の代、疫病が流行りました。
民の死ぬこと、半ばに過ぎたり。
人口の半分以上が死んだ、と日本書紀は記します。天皇は朝夕に神へ祈りましたが、やみません。
そこで神託を求めました。
天皇の夢に神が現れ、こう名乗ります。
我は大物主神なり。
三輪山の神でした。
探し出される
オオモノヌシは告げました。
我が子、意富多多泥古を以ちて、我が御魂を祭らしめば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ。
国じゅうを探させると、河内の美努村(みぬのむら)でその人物が見つかりました。
天皇が「誰の子か」と問うと、こう答えます。
オオモノヌシが、陶津耳命の娘活玉依毘売を娶って生まれた子の、その子孫です。
血筋が確かめられ、この人物が三輪山の神主に任じられました。
苧環(おだまき)の話
オオタタネコの祖先について、こんな話が伝わります。
活玉依毘売のもとへ、夜ごと立派な男が通ってきました。誰か分からないまま、姫は身ごもります。
親が言いました。
糸を通した針を、その男の衣の裾に刺しておきなさい。
朝、糸をたどると戸の鍵穴を抜けて三輪山へ続いていました。残った糸は三巻(みわ)でした。
「三輪」という地名の由来として語られます。男の正体はオオモノヌシでした。
祀る資格ということ
この物語が示しているのは、祭祀には資格がいるという考えです。
天皇が祈っても、やまない。
血を引く者が祀ると、やむ。
天皇であっても、他人の神は祀れない。
三輪山の神は、その子孫でなければ鎮められませんでした。
大神神社の神主は、いまも大神(おおみわ)氏が務めます。オオタタネコの子孫とされる家系です。2000年近く同じ一族が祀り続けていることになります。
大田田根子の家系図と家族
大田田根子の性格と人物像
オオタタネコは、探し出された人です。
自分から名乗り出たのではありません。疫病を止めるために国じゅうを探され、河内で見つかりました。
その時点では、ただの村人でした。血筋が確かめられて、はじめて神主になります。
何をしたかではなく、誰の子孫かで選ばれた人物です。古代の祭祀が血統に強く結びついていたことを、この一点が示しています。
大田田根子を祀る神社
オオタタネコを祀るのは、大神神社の摂社である若宮社などです。
大神神社は本殿を持たず、三輪山そのものを神体とします。拝殿の奥は山です。社殿より前の、古い祭祀の形を残しています。
神主は代々、この人物の子孫とされる大神(おおみわ)氏が務めてきました。
大田田根子が現代に残した痕跡
オオタタネコの物語は、地名の由来に残りました。
三輪: 糸が三巻(みわ)残ったことによるという地名の由来。
苧環(おだまき): 糸を巻いたもの。この話にちなみ、花の名にもなった。
三輪素麺: 大神神社の周辺で作られる素麺。糸の伝承と結びつけて語られる。
大田田根子のご利益
疫病除け
疫病を鎮めたという伝えによる。
病気平癒
同上。大神神社の信仰の中心。
家業繁栄
神主の家系の祖とされることによる。
大田田根子についてよくある質問
オオタタネコとはどんな人物ですか。
オオモノヌシの子孫とされる人物です。崇神天皇の代に疫病が流行った際、神託によって探し出され、三輪山の神を祀って疫病を鎮めました。
なぜ天皇が祈っても止まらなかったのですか。
その神の血を引く者でなければ祀れないという考えによります。三輪山の神は、子孫であるオオタタネコが祀ってはじめて鎮まりました。
三輪という地名の由来は何ですか。
祖先の話で、通ってくる男の衣に刺した糸をたどったところ、残った糸が三巻だったことによると古事記が伝えています。