タケミナカタの子。守屋山の南麓に坐す神とされる。
カタクラベとは何の神様か
カタクラベの漢字表記と読み方
読みは「かたくらべ」です。「カタ」は片、「クラ」は倉または座、「ベ」は辺を指すと考えられます。
片方の倉のあたりという、場所を表す名に読めます。
守屋山の南麓に片倉という地があり、そこに坐す神とされます。
佐久郡の旧入片倉村にも鎮座するとされ、神陵は佐久郡にあると伝えられます。
片倉辺命(かたくらべのみこと)
一般に用いられる表記。
片倉辺神(かたくらべのかみ)
別の表記。
御倉辺命(みくらべのみこと)
類似した神名。同神かどうかは不明。
カタクラベの物語
守屋山の南
この神の居場所は、はっきり伝えられています。
守屋山の南麓、片倉。
守屋山の名は、洩矢神に由来するとする説があります。物部守屋に結びつける説もあり、決着していません。
標高一六五〇メートル。諏訪盆地の南にそびえ、上社の神体山とする説もあります。
その山の南に、タケミナカタの子が坐す。進入した側の神が、土着の神と結びつけられる山のふもとにいるという配置になります。
諏訪の神々の位置は、しばしばこうした緊張を含んでいます。
子が守矢氏を継ぐ
この神の重要さは、子にあります。
神長守矢氏系譜には、こう記されます。
児玉彦命、大神の御子片倉辺命の御子なり。大神の御言の随に、千鹿頭神の跡を継ぎて祭政を主る。
チカトの跡を継いだのが、この神の子コダマヒコでした。
チカトは洩矢神の孫です。三代目までは洩矢の血、四代目からはタケミナカタの血になります。
その切り替わりを生んだのが、この神の子です。父であるこの神自身には、事績が伝えられていません。
三柱の御子神
この神には、三柱の子が伝えられます。
コダマヒコ(児玉彦命) ─ 守矢氏の四代目となる。
上津御玉神
下津御玉神
三柱とも、名に「玉」を含みます。
上津と下津は、上と下の対です。川の上流と下流、あるいは山の上と麓を指すのかもしれません。
后神が誰であるかは、伝えられていません。
諏訪氏系図続編では、この神が片倉氏の祖神とされます。
祀る社は御子神とともに
この神を祀る社は、御子神をまとめて祀る形が中心です。
諏訪大社上社前宮 若御子社 ─ 長野県茅野市宮川。
諏訪大社下社春宮 若宮社、下社秋宮 若宮社 ─ 長野県諏訪郡下諏訪町。
十五社神社 ─ 長野県茅野市豊平、岡谷市本町。
十五社神社という名は、十五柱をまとめて祀ることによります。
諏訪の御子神は数が多く、個別に社を建てるより、まとめて祀る形が広がりました。
そのため、一柱ごとの性格が薄れていったという面もあります。
カタクラベの家系図と家族
カタクラベの性格と人物像
カタクラベは、位置で語られる神です。
事績はありません。物語もありません。あるのは、守屋山の南麓に坐すという一点と、子が守矢氏を継いだという事実だけです。
しかしその子の代で、諏訪の祭祀の血筋が入れ替わりました。
何もしていない神が、系譜のうえでは決定的な位置にいます。歴史の転換点は、しばしば静かな名の背後にあります。
カタクラベを祀る神社
この神を祀る社は、御子神をまとめて祀る形が中心です。
諏訪大社上社前宮の若御子社、下社春宮・秋宮の若宮社、茅野市と岡谷市の十五社神社などです。
神陵は佐久郡にあると伝えられます。
佐久郡の旧入片倉村にも鎮座するとされ、諏訪から佐久へ名が広がっていることが分かります。
カタクラベが現代に残した痕跡
カタクラベの名は、片倉という地名に残りました。
片倉: 守屋山の南麓の地。この神が坐すとされる。
十五社神社: 諏訪の御子神十五柱をまとめて祀る社。長野県内に複数ある。
片倉氏: 諏訪氏系図続編で、この神を祖神とする一族。
カタクラベのご利益
土地守護
守屋山の南麓に坐す神とされることによる。
子孫繁栄
子が守矢氏の祭政を継いだことによる。
カタクラベについてよくある質問
カタクラベとはどんな神様ですか。
タケミナカタとヤサカトメの子で、守屋山の南麓に坐す神とされます。子のコダマヒコが守矢氏の四代目となりました。
なぜ重要なのですか。
この神の子コダマヒコが千鹿頭神の跡を継いだことで、守矢氏の血筋が洩矢神の子孫からタケミナカタの子孫へ切り替わりました。
御倉辺命と同じですか。
名が似ていますが、同じ神かどうかは分かっていません。