諏訪の先住神。洩矢神と戦い、矢に当たって死んだ。
ヤツカオとは何の神様か
ヤツカオはひとことで言えば味方だったはずの相手と戦った神です。諏訪地方の先住神と伝わります。
タケミナカタに服従した洩矢神と戦い、矢に当たって命を落としたと言われています。
民話では蟹河原の長者と呼ばれ、馬に乗って狩りをし、遠国と交易する権力者として描かれます。
ヤツカオの漢字表記と読み方
読みは「やつかお」です。「ヤ」は矢、「ツカ」は塚または束、「オ」は男を指します。
矢の塚の男とも、八束の男とも読めます。
八束(やつか)は、長さの単位でもあります。ヤツカミズオミツノの「ヤツカ」も同じ語です。
矢に当たって死んだという伝えと、名の「矢」は響き合います。
矢塚男命(やつかおのみこと)
一般に用いられる表記。
蟹河原長者(がにがわらちょうじゃ)
民話での呼び名。
ヤツカオの物語
天白七五三社の由緒
この神を伝えるのは、天白七五三社の由緒です。
永明村天白七五三社由緒ニ、字宮渡祭神矢塚男命此地ニ穴居ス。
健御名方命此国ニ到リシ時、洩矢神ト弓矢を以テ戦フ。
矢塚男其矢ニ中リテ死セントシ、建御名方命ニ云フ。
我ハ大神ニ随フベシ、一女アリ献ラムト言ヒ終テ死ス。
死のうとするときに、タケミナカタに従うと言い、娘を献じたという筋です。
洩矢神と戦って敗れた側が、勝った側ではなくその主君に服従を誓っています。
穴居していたという記述も注目されます。
蟹河原の長者
民話では、この神はまったく違う姿で描かれます。
蟹河原(がにがわら)の長者。
野馬を飼い馴らし、馬に乗って山へ狩りに出かける。
遠い国の市場で物を交換する。
洩矢神さえ、時には一歩を譲らなければいけないほどの権力者でした。
外来のタケミナカタに降服した洩矢神を腰抜けとみなし、手下たちに罵倒させました。
洩矢神は最初、馬耳東風と受け流します。しかし宣戦布告の合図として赤い矢がタケミナカタの居館に射ち込まれると、タケミナカタと洩矢神はついに軍を起こしました。
流れ矢に当たる
戦いは、あっけなく終わります。
挑戦に応じたタケミナカタと洩矢神が、軍勢を率いて蟹河原長者の陣営を攻撃した。
油断していた長者はすっかり攻め立てられ、ついには流れ矢に当たってしまう。
狙われた矢ではなく、流れ矢です。
死ぬ間際に洩矢神へ謝罪し、大切な娘をタケミナカタに差し上げました。
タケミナカタはこの娘を、家臣のヒコサシリに嫁がせます。二柱は蟹河原の領地に永住したといいます。
娘を通じて、土地は勝者の手に渡りました。
天白の総社
この神を祀る社は、茅野市横内に集まります。
天白七五三社(天白〆社) ─ この神の旧地と伝わる。諏訪二十八天白の総社と言われる。
達屋酢蔵神社 ─ 諏訪大社上社の摂社、達屋社と酢蔵社の合併神社。
大天白社 ─ 横内の大矢嶋一族の祝神。
大天白社の祭神は、矢嶋祖神・天白神・池生神・白鳥神・牛頭天王です。
本殿は立川和四郎富昌によるもので、一八五〇年(嘉永三年)の建造。二〇〇一年に茅野市有形文化財に指定されました。
この神は、茅野市横内の大矢嶋氏の祖先神とされます。
ヤツカオの家系図と家族
ヤツカオの性格と人物像
ヤツカオは、降服を拒んだ神です。
洩矢神はタケミナカタに敗れ、仕える側に回りました。しかしこの神は、それを腰抜けと罵り、戦いを続けました。
そして、流れ矢に当たって死にました。
最後にはタケミナカタへの服従を誓い、娘を献じています。あくまで抗い、あくまで負けた神です。諏訪の伝承が、服従した神だけでなく、拒んだ神も記憶していることには意味があります。
ヤツカオを祀る神社
この神を祀る社は、長野県茅野市横内に集まります。
天白七五三社はこの神の旧地と伝わり、諏訪二十八天白の総社と言われます。
大天白社は、横内の大矢嶋一族の祝神です。
本殿は立川和四郎富昌の作で、嘉永三年の建造。二〇〇一年に茅野市有形文化財に指定されました。諏訪大社上社の摂社である達屋社と酢蔵社を合わせた達屋酢蔵神社もあります。
ヤツカオが現代に残した痕跡
ヤツカオの名は、天白の社に残りました。
蟹河原: この神が長者として治めたとされる地。
天白信仰: 東海から信濃にかけて分布する信仰。この神の社が総社とされる。
大矢嶋氏: 茅野市横内の一族。この神を祖先神とする。
ヤツカオのご利益
武運長久
最後まで抗った伝えによる。
厄除け
天白信仰の総社に祀られることによる。
ヤツカオについてよくある質問
ヤツカオとはどんな神様ですか。
諏訪地方の先住神と伝わる神です。タケミナカタに服従した洩矢神と戦い、矢に当たって命を落としたとされます。
蟹河原の長者とは何ですか。
民話でのこの神の呼び名です。野馬を飼い馴らし、馬で狩りをし、遠国と交易する権力者として描かれます。
娘はどうなりましたか。
死ぬ間際にタケミナカタへ献じられ、家臣のヒコサシリに嫁がされました。二柱は蟹河原の領地に永住したと伝えられます。