高志国の女神。オオクニヌシと歌を交わして結ばれた。
ヌナカワヒメとは何の神様か
沼河比売はひとことで言えば歌で答えた女神です。高志国(こしのくに)、いまの北陸に住み、オオクニヌシの妻となりました。
古事記の八千矛の段に登場します。オオクニヌシが八千矛の神という名で越へ求婚に行き、閉じた戸をはさんで二人が歌を交わす場面です。
古事記のなかで、女神が自分の歌でまとまった返事をする数少ない場面です。
名の「ヌナカワ」は玉の川を指すとされ、糸魚川の姫川一帯は硬玉ひすいの産地として知られます。
ヌナカワヒメの漢字表記と読み方
読みは「ぬなかわひめ」です。「ヌナ」は瓊(ぬ)、つまり玉を指すとされます。「カワ」は川です。
玉の川の女神。名がそのまま、ひすいを産する川を指しているという読み方です。
「ヌ」は玉や美しい石を表す古い言葉で、瓊瓊杵尊(ニニギ)の「瓊」や、瓊矛(ぬぼこ)の「瓊」と同じ字が当てられます。
古事記は沼河の字を当てますが、越後では奴奈川と書く形が広く使われます。
沼河比売(ぬなかわひめ)
古事記での表記。
奴奈川姫(ぬなかわひめ)
越後で用いられる表記。
奴奈宜波比売命(ぬなかわひめのみこと)
延喜式神名帳に見える表記。
ヌナカワヒメの物語
八千矛の神の求婚
古事記の上巻に、八千矛の神の名で語られる一段があります。八千矛の神はオオクニヌシの別名です。
その神が、遠い高志国に賢く麗しい女がいると聞き、自ら出かけて求婚します。
八千矛の 神の命は 八島国 妻枕きかねて 遠々し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 麗し女を 有りと聞こして
八島国、つまり自分の国では妻を得られず、遠い高志の国に賢い女、美しい女がいると聞いて、という歌い出しです。
国を治める神が、自分の足で越まで出向いている点にこの話の重さがあります。
出雲の神が、越の女神のもとへ通う。ここには国と国の結びつきが重ねられていると読まれてきました。
開かない戸ごしの歌
八千矛の神は、沼河比売の家の板戸を押し、引き、揺さぶります。しかし戸は開きません。
沼河比売は戸の内から歌で答えます。自分は取るに足りない女で、心は浦の渚の鳥のようだ、と述べたうえで、こう続けます。
青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ
青い山に日が沈んだなら、夜になったら出てまいりましょう、という意味です。その夜ではなく、明日の夜にという返事でした。
古事記は続けて、こう記します。
故、其の夜は合はさずして、明くる日の夜、御合したまひき。
その夜は結ばれず、翌日の夜に結ばれた。女神の言葉どおりに事が運んだわけです。
押しかけた神が待たされ、待たされた側の言い分が通る。求婚の話でありながら、決めているのは沼河比売のほうです。
玉の川という名
高志国は、いまの福井から新潟にかけての一帯を指す古い呼び名です。沼河比売の名は、そのなかのぬなかわという地に結びつけられてきました。
新潟県糸魚川市を流れる姫川の流域は、硬玉ひすいを産する土地として知られます。天津神?社・奴奈川神社は、この地で奴奈川姫命と八千矛命をあわせて祀ります。
奴奈川神社では、奴奈川姫命と八千矛命をお祀りしています。
玉を意味する「ヌ」と、ひすいを産する川。名と土地が重なります。
古代において、玉は祭りに欠かせない品でした。玉を産する土地の女神と、国を治める神が結ばれるという筋立ては、物と物の行き来を神話の形で語ったものとも読まれます。
諏訪へつながる伝え
沼河比売については、タケミナカタの母とする伝えが諏訪と越後に残ります。
オオクニヌシ ─ 父
沼河比売 ─ 母とする伝え
タケミナカタ ─ 国譲り?に抗い、諏訪へ退いた神
ただし古事記も日本書紀も、タケミナカタの母を記していません。
これは記紀ではなく、諏訪と越後に伝わる話です。糸魚川から姫川をさかのぼると信濃へ抜ける道があり、古くから人と物が行き来していました。その道筋が、母子の伝えの背景にあると見られています。
また古事記は、沼河比売の一段のあと、正妻スセリビメが嫉妬する場面を続けます。八千矛の神が越へ発とうとするのを引き留め、二柱が歌を交わして仲を結び直します。
沼河比売の話は、その前置きとしても置かれているわけです。
ヌナカワヒメの家系図と家族
ヌナカワヒメの性格と人物像
沼河比売は、待たせた女神です。
国を治める神が遠くから訪ねてきても、その夜に戸を開けることはしませんでした。歌で自分の言い分を述べ、日を改めさせています。
古事記の女神のなかで、自分の言葉で交渉した数少ない一柱です。
イザナミが黄泉で夫を追い、スセリビメが嫉妬を歌に託したのに対し、沼河比売は相手の求めに、条件をつけて応じました。
歌のなかで自分を「ぬえ草の女」とへりくだりながら、結末は自分の言ったとおりになっています。控えめな言葉づかいと、通した意志。この落差が、この女神の輪郭です。
ヌナカワヒメを祀る神社
沼河比売を祀る社は、新潟県の西部に集まっています。
糸魚川から上越にかけて、この女神の名を冠する社が点在します。姫川の流域と、そこから信濃へ抜ける道すじに重なる分布です。
祀られる範囲が、玉の産地とほぼ一致します。
出雲との結びつきから、大国主命とあわせて祀る形が多く見られます。居多神社のように、夫と子とされる三柱をそろえて祀る社もあります。
ヌナカワヒメが現代に残した痕跡
沼河比売の名は、土地と石に残りました。
姫川: 新潟県糸魚川市を流れる川。硬玉ひすいを産することで知られる。
ひすい: 古代の祭りに用いられた玉。この女神の名の「ヌ」は玉を指すとされる。
高志国: 福井から新潟にかけての古い呼び名。沼河比売が住んだ地とされる。
八千矛の歌: 古事記の歌謡。求婚と返歌が続けて載る珍しい一段。
ヌナカワヒメのご利益
縁結び
歌を交わして結ばれた話による。
安産
子をなした女神として祀られることによる。
産業繁栄
玉を産する土地の女神とされることによる。
ヌナカワヒメについてよくある質問
沼河比売とはどんな神様ですか。
高志国、いまの北陸に住んだ女神です。オオクニヌシが八千矛の神の名で求婚し、歌を交わして結ばれました。
なぜその夜に会わなかったのですか。
沼河比売が歌で、日が沈んで夜になったら出てまいりましょうと答えたためです。古事記は、その夜は結ばれず翌日の夜に結ばれたと記します。
タケミナカタの母というのは本当ですか。
諏訪と越後に伝わる話です。古事記も日本書紀も、タケミナカタの母を記していません。
どこで祀られていますか。
新潟県糸魚川市の天津神社・奴奈川神社、上越市の居多神社などが祀ります。
ヌナカワヒメと併せて覚えたい言葉・用語
天津神(あまつかみ)
高天原に生まれた、あるいは高天原から降りてきた神々。
国譲り(くにゆずり)
オオクニヌシが葦原中国の統治権を天津神に明け渡した出来事。