山と岩場のニンフ。アルテミスに従い、山羊の脚の神に追いかけられる。
オレイアスとは何の神様か
オレイアスはひとことで言えば山の声です。
山・谷・洞窟・岩場に住むニンフ?で、名は「山」を意味する語から作られました。狩りの女神アルテミスの従者として、山を駆ける一団に数えられます。
もっとも有名な一柱がエコーです。ヘラの怒りを買って自分から話す力を失い、
最後に聞いた言葉を、返すことしかできなくなった。
ナルキッソスに恋しても、思いを伝えられません。やせ細って声だけが残り、いまも山に響いていると語られます。
山羊の脚の神パーンに追われる話も数多く伝わります。山で鳴る音のすべてに、この女神たちの名が与えられました。
岩に跳ね返る声も、風が谷を渡る音も、落石の響きも、ギリシャ人にとっては山の乙女の返事でした。
オレイアスのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ὀρειάδες。単数形はオレイアスです。日本語では「オレイアス」「オレアス」「オレアド」と書かれます。
語源は「山」を意味する語です。名前がそのまま住む場所を指しています。 ニンフの呼び分けは、どれもこの方式です。海のネレイス、真水のナイアス、木のドリュアス、山のオレイアス。
『イリアス』にはオレスティアデスという古い呼び名が現れ、こちらも山のニンフを意味します。呼び名が複数あるのは、地方ごとに言い方が違ったためと考えられています。
地質学では、山ができる働きを指す学術語がこの語根から作られました。山脈の形成を指す言葉として、いまも使われています。
近代の文学では、山を歩く孤独な乙女の姿としてこの名が用いられました。イギリスの詩人が同じ題で詩を書いています。
Ὀρειάδες(オレイアデス)
古代ギリシャ語の複数形の表記。「山」を意味する語オロスから作られた。単数形はオレイアス。
オレアス(オレアス)
日本語での別の書き方。事典によって「オレイアス」と「オレアス」に分かれる。
オレスティアデス(オレスティアデス)
同じく山のニンフを指す古い呼び名。『イリアス』に現れる。
Oreades(オレアデス)
ローマでの綴り。ラテン語の詩でも山のニンフを指す語として用いられた。
オレイアスの物語
エコー ─ 声だけになった山のニンフ
オウィディウス『変身物語』第3巻が、この話をもっとも詳しく書いています。
エコーはよく喋る山のニンフでした。ゼウスが他の女神と会っているあいだ、ヘラを長話で引き止める役目をしていたといいます。
企みに気づいたヘラは、罰を下しました。
これからは、その舌を短くしか使えないようにする。
自分から話すことができず、最後に聞いた言葉を繰り返すだけになります。
そのエコーが、美しい少年ナルキッソスに恋をしました。近づきたくても、話しかけられません。少年が森で仲間を探して叫んだとき、
「誰かいるのか」 「いるのか」
「こっちへ来い」 「来い」
言葉を返せたことに勇気を得て、エコーは飛び出します。しかし少年は身をかわしました。
触れさせるくらいなら、死んだほうがましだ。
拒まれた言葉を、エコーはそのまま繰り返すしかありませんでした。
やせ細り、骨は岩になり、声だけが残ります。ナルキッソスのほうも、泉に映る自分に恋して死にました。エコーはその最期の言葉を、山に返し続けています。
パーンに追われる ─ 笛と葦の由来
山のニンフは、牧神パーンに追われる話を数多く持っています。
山羊の角と脚を持つこの神は、山と洞窟に住み、ニンフを追い回しました。
もっともよく知られるのが、シュリンクスの話です。追い詰められた彼女は川辺で祈り、
葦の茂みに姿を変えた。
つかんだ腕のなかには葦だけが残ります。パーンがため息をつくと、葦が震えて音を立てました。
その音を惜しんで、神は葦を切りそろえて笛にした。
牧神の笛の由来です。逃げた乙女が、そのまま楽器になっています。
エコーも、伝えによってはパーンに追われた一人とされます。声だけの存在になったのは、この神から逃れるためだったという筋です。
ギリシャの変身譚では、逃げた者はたいてい自然物になります。 葦、樹、泉、岩、鳥。人の姿を捨てることが、唯一の逃げ道でした。
パーンには、もうひとつ有名な性質があります。昼寝を邪魔されると恐ろしい叫び声を上げ、聞いた者を錯乱させる。恐慌を意味する言葉は、この神の名から作られました。
山の静けさと、山の恐ろしさ。両方がこの一帯の神々に割り当てられています。
山で聞こえる音 ─ 名前を与えるということ
オレイアスの物語には、共通する構造があります。山で起きる説明のつかない現象に、名前を与えているという点です。
こだまが返る。風が谷で鳴る。誰もいないのに足音がする。岩が落ちる。霧が急に立ち込める。
それは、山の乙女たちがそこにいるからである。
現象を人格として語ることは、それを理解可能なものにすることでした。
ギリシャの山は険しく、道は少なく、遭難は珍しくありませんでした。羊飼いは何日も山にこもります。ひとりで山にいる時間の長さが、この信仰を支えていました。
古代の羊飼いは、山の泉や洞窟に小さな像や器を奉納しました。アッティカ地方をはじめ、各地の洞窟から実際に奉納品が見つかっています。神殿ではなく、洞窟が祈りの場所でした。
近代のギリシャの民間伝承にも、山や泉に現れる女の精霊の話が残っています。名は変わりましたが、性格は古代のニンフを引き継いでいるとみられます。
二千年以上、山にいるものの名前は変わっていません。
オレイアスの家系図と家族
オレイアスの性格と人物像
オレイアスは、姿を見せない神々です。
ドリュアスは樹に、ナイアスは泉にいます。居場所がはっきりしています。山のニンフは違います。山そのものが広すぎて、どこにいるとも言えません。
そのため、この女神たちは音として現れます。 こだま、風の唸り、聞こえるはずのない足音。
性格として書かれているのは、アルテミスに従って走ることと、追われて逃げることの二つです。
弓を持ち、裾を短くして山を巡る。
狩りの女神の一団は、この姿で描かれます。純潔を守り、男を近づけず、獣を追います。
そこへパーンやサテュロスが現れ、追いかける。逃げ切った者は自然物になり、逃げ切れなかった者は物語から消えます。
エコーの場合は、逃げも追いもしませんでした。 恋をして、拒まれ、消えていきます。声だけを残した点で、山のニンフのなかでもっとも山らしい終わり方をしています。
返事はするが、姿は見せない。 この一点が、オレイアスという神格の性格そのものです。
オレイアスゆかりの地と遺跡
オレイアスを祀った神殿は確かめられませんでした。 山のニンフへの祭祀は、建物を建てる形をとりません。
祈りの場所は、洞窟です。水の湧く洞や、風の抜ける岩の割れ目に、小さな像や器を奉納する習わしがありました。アッティカ地方をはじめ、ギリシャ各地の洞窟から実際に奉納品が見つかっています。
ただし、そこに祀られた相手の名を特定できる例は限られます。 多くは「ニンフたちに」とだけ刻まれ、個別の名が記されていません。
奉納したのは、羊飼いと旅人でした。山に入る前、あるいは無事に降りたあとに、器や像を置いていきます。豪華なものはほとんどなく、素焼きの小像が中心です。
建物を持たない、もっとも身近な信仰だったと言えます。伝承の舞台としては、アルカディア地方の山々やヘリコン山が語られますが、この女神たち専用の場所として指し示せるものはありません。
オレイアスが現代に残した痕跡
オレイアスの名は、地質学の言葉と文学の主題として現代に残りました。
山脈形成を指す学術語: 大地が押し上げられて山ができる働きを指す地質学の語が、山を意味する同じ語根から作られている。
こだまを指す語: 山のニンフエコーの名は、そのまま反響を意味する言葉としてヨーロッパ各国語に残った。
「山のニンフ」という詩の題: 近代の詩人が同じ題で作品を書き、山を歩く孤独な姿として描いた。
ニンフの洞窟の奉納品: ギリシャ各地の洞窟から素焼きの小像や器が見つかっており、羊飼いや旅人が置いていったものと考えられている。
オレイアスが司るもの
山の守り
山と谷と洞窟に住み、そこを通る者を見ているとされた。
登山安全
山に入る者は、洞窟や泉に小さな供え物をしてから進んだ。
狩りと森
アルテミスに従い、山を駆けて獣を追う一団に数えられる。
言葉の力
エコーの話に見られるように、声と返事そのものを担う神格である。
純潔
狩りの女神に従い、追う者から逃げ続ける存在として語られる。
オレイアスについてよくある質問
オレイアスとはどんな存在ですか。
山・谷・洞窟・岩場に住むニンフです。名は「山」を意味する語から作られました。狩りの女神アルテミスに従って山を駆ける一団に数えられます。
エコーはオレイアスですか。
そうです。よく喋る山のニンフでしたが、ヘラの怒りを買って自分から話す力を失い、最後に聞いた言葉を返すだけになりました。ナルキッソスに恋して拒まれ、声だけの存在になったと語られます。
オレイアスとドリュアスの違いは何ですか。
住む場所が違います。オレイアスは山と岩場、ドリュアスは森と樹です。ニンフの呼び分けはすべてこの方式で、海のネレイス、真水のナイアスも同じように住む場所で分けられます。
なぜパーンに追われる話が多いのですか。
パーンは山と洞窟に住む神で、生活の場が同じだからです。追われたニンフは葦や樹に姿を変えて逃げ、その葦から牧神の笛が作られたと語られます。
オレイアスを祀った神殿はありますか。
確かめられませんでした。祈りの場所は洞窟で、羊飼いや旅人が素焼きの小像や器を奉納しました。多くは「ニンフたちに」とだけ刻まれ、個別の名は記されていません。
オレイアスと併せて覚えたい言葉・用語
ニンフ(Νύμφη)
山・森・泉・木に宿る若い女神たち。神ではあるが不死ではなく、宿る木や泉が滅べば死ぬとされた。ギリシャ神話で最も数の多い存在。