結婚と出産を司る女王。夫の浮気相手とその子を執拗に罰した。

「万民の神話事典」 1874年 / パブリックドメイン 出典
ヘラとは何の神様か
ヘラはひとことで言えば掟を守らせる女王です。結婚・出産・家庭を司ります。ゼウスの正妻であり、姉でもあります。
この女神は「嫉妬深い」と要約されがちですが、それでは半分しか説明できません。
ヘラが怒るのは、婚姻の掟を破られたときです。 そして罰する相手は、ほぼ常に夫ではなく、相手の女性とその子でした。
レトには出産の場所を与えず、イオは牛に変えられて虻に追われ、セメレは雷に焼かれ、ヘラクレスは生涯にわたって試練を課された。
ヘラクレスの名は皮肉にも「ヘラの栄光」を意味します。
ローマ名はユノー。六月(June)の語源であり、六月の花嫁という習慣はこの女神に由来します。
聖鳥は孔雀。その羽の目は、百眼の巨人アルゴスのものとされます。
ヘラのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἥρα。日本語では「ヘラ」で定着しています。
語源は定まっていません。 「季節(ホーラ)」と結び付けて「結婚適齢期の女性」とする説と、「英雄(ヘロース)」と同根で「女主人」とする説があります。
ローマ名ユノーは六月(June)の語源です。ローマでは六月が結婚に最も良い月とされました。六月の花嫁(ジューン・ブライド)という習慣は、この女神への信仰にさかのぼります。
Ἥρα(ヘラ)
古代ギリシャ語の表記。語源は「季節」「若い盛り」を意味する語とする説と、「女主人」とする説がある。
Iuno(ユノー)
ローマ名。英語では Juno。六月 June の語源。
Ἥρη(ヘレ)
ホメロスの用いた方言形。
ヘラの物語
- 呑まれ、吐き出される ─ 女王になるまで
- レトを追う ─ 産む場所を与えない
- イオを牛に変える ─ 百眼の番人
- ヘラクレスを苦しめる ─ 名前が皮肉になる
- パリスの審判 ─ 選ばれなかった女神
- ゼウスを縛る ─ 一度だけの反乱
呑まれ、吐き出される ─ 女王になるまで
レトを追う ─ 産む場所を与えない
ゼウスがティタンの娘レトを身ごもらせたとき、ヘラは直接手を下しませんでした。もっと確実な方法を取ります。
陽の当たるいかなる土地も、レトに産所を与えてはならない。
レトは臨月の体で各地をさまよいました。どの土地も、女神の怒りを恐れて受け入れません。
ようやく受け入れたのが、海に漂う小島デロスでした。まだ海底に固定されていない浮島だったため、「土地」に当たらないと解されたのです。
それでもヘラは、出産の女神エイレイテュイアを引き止めました。
レトは九日九夜、苦しみ続けた。
見かねた女神たちが虹の女神イリスを送り、黄金の首飾りでエイレイテュイアを誘い出します。ようやくアルテミスが生まれ、その姉が母を助けてアポロンが生まれました。
デロス島は以後、アポロンの聖地として栄えます。
イオを牛に変える ─ 百眼の番人
ゼウスが人間の娘イオに手を出したとき、妻の接近に気づいて彼女を白い雌牛に変えました。
ヘラは何食わぬ顔で言います。
その美しい牛を、私にくださいな。
断れば認めたことになります。ゼウスは渡すしかありませんでした。
ヘラは牛を百の目を持つ巨人アルゴスに見張らせます。アルゴスは五十の目ずつ交互に眠るため、決して見張りが途切れません。
ゼウスはヘルメスを送りました。ヘルメスは笛を吹き、長い話を聞かせ、すべての目を眠らせてからアルゴスを殺します。
ヘラはアルゴスの死を悼み、その目を孔雀の羽に移しました。 孔雀の羽の模様は、この目です。
さらにヘラは牛に虻を送りました。イオは刺され続け、狂ったように諸国をさまよいます。イオニア海とボスポラス(牛の渡し場)の名は、この放浪に由来します。
ヘラクレスを苦しめる ─ 名前が皮肉になる
ゼウスと人間アルクメネの子ヘラクレスに対する仕打ちは、生涯続きました。
出産のときには産婆を妨害し、赤子の揺りかごには二匹の蛇を送り込みます。赤子はそれを両手で締め殺しました。
成人後、ヘラはこの英雄を狂気に陥れます。 我を失ったヘラクレスは、自分の妻と子を殺してしまいました。
この罪を贖うために課されたのが、十二の難業です。
名前も皮肉です。ヘラクレスは「ヘラの栄光」を意味します。 女神の怒りを鎮めるために付けられたとも、彼の苦難がヘラの名を高めるという意味だとも解されます。
そして最後に、和解します。
ヘラクレスが神となってオリュンポスに迎えられたとき、ヘラは自らの娘ヘベを妻として与えた。
もっとも憎んだ相手を、最後には娘婿にした。 この女神は掟に従う神であり、義理の息子となった以上は認めたのです。
パリスの審判 ─ 選ばれなかった女神
ペレウスとテティスの婚礼に、争いの女神エリスだけが招かれませんでした。腹を立てた女神は宴席に黄金の林檎を投げ入れます。刻まれた言葉は「最も美しい女神へ」。
ヘラ、アテナ、アフロディーテが争いました。ゼウスは判定を避け、トロイアの王子パリスに委ねます。
三女神はそれぞれ約束をしました。
ヘラはアジア全土の支配権を。アテナはあらゆる戦での勝利を。アフロディーテは最も美しい女性を。
パリスが選んだのはアフロディーテでした。
この判定が、トロイア戦争?を引き起こします。約束された女性は、すでにスパルタ王の妃だったヘレネだったからです。
以後、ヘラは徹底してギリシャ側に立ちます。 『イリアス』でトロイア方に不利な状況を作り続けるのは、この判定への恨みです。
女王が、一度の判定を十年恨み続ける。 ギリシャの神々の人間らしさが、ここに出ています。
ゼウスを縛る ─ 一度だけの反乱
ヘラは、一度だけ夫を実力で押さえ込んだことがあります。
『イリアス』が伝えるところでは、ヘラはポセイドン、アテナと共謀し、眠っているゼウスを縛り上げました。
百の結び目で縛られ、ゼウスは動けなかった。
救ったのは百腕の巨人ブリアレオスです。テティスに呼ばれてオリュンポスへ上がり、ゼウスの傍らに座っただけで、神々は手を出せなくなりました。
解放されたゼウスの罰は苛烈でした。
ヘラの両手を黄金の鎖で縛り、両足に金床を吊るして、天と地のあいだに吊るした。
助けようとした神々も投げ落とされます。
もうひとつ有名なのが、トロイア戦争中にゼウスを誘惑した場面です。アフロディーテの帯を借り、夫を眠らせているあいだにギリシャ側を有利にしました。
正面から勝てないと分かっている相手に、別の手で勝つ。 この女神は諦めません。
ヘラの家系図と家族
ヘラの性格と人物像
ヘラは、掟の側に立つ神です。
嫉妬深いという評価は表面的です。この女神が守っているのは婚姻という制度であり、それを破る者が罰せられます。
問題は、罰する相手を間違えているように見えることです。掟を破っているのは夫のゼウスなのに、罰を受けるのは相手の女性とその子でした。
ただし、これは当時の社会そのものでもあります。正妻の地位を脅かすのは夫ではなく、後から来る女性だった。 ヘラの怒りは、その現実の反映と読めます。
注目すべきは、筋が通ると認めることです。ヘラクレスを生涯苦しめながら、彼が神となった時点で娘を嫁がせました。憎しみで動いているのではなく、掟で動いている証拠です。
女王として、母として、そして裏切られ続ける妻として。ギリシャ神話でもっとも一貫した怒りを持ち続けた神です。
書物によってヘラの記述が異なるところ
ギリシャ神話は一冊にまとまっていません。ヘラについても、 書物によって記述が分かれる箇所が1件あります。 どちらか一方に決めず、両方を出典つきで載せています。
記述が分かれるところ
神統記紀元前700年頃
第927〜929行
- ヘラ ─ ひとりで生む ─ ヘファイストス
ヘシオドス『神統記』は、ゼウスがひとりでアテナを生んだことに対抗して、ヘラがひとりでヘファイストスを生んだと記す。父はいない。
イリアス・オデュッセイア紀元前8世紀頃
イリアス 第1歌
- ゼウス ─ ゼウスとヘラの子 ─ ヘファイストス
ホメロス『イリアス』では、ヘファイストスはゼウスとヘラの子として描かれる。母をかばって天から投げ落とされたのもゼウスによる、と本人が語る。
ヘラを祀った神殿と遺跡
ヘラの神殿はサモス島・オリンピア・アルゴスの三か所が主要です。いずれも規模が大きく、この女神が単なる「嫉妬深い妻」ではなかったことを示しています。
興味深いのは、オリンピアのヘラ神殿がゼウス神殿より古いことです。夫の神殿より先に、妻の神殿が建てられていました。
サモス島のヘライオン(Heraion of Samos)
ギリシャ最大級のヘラ神殿
サモス島はヘラの生誕地とされ、ここで育ちゼウスと結ばれたと伝えられます。
紀元前6世紀の神殿はギリシャ最大級で、100本を超える柱が並んでいました。現在立っているのは1本だけです。
世界遺産(ピタゴリオとサモスのヘライオン)に登録されています。
毎年ここで婚礼の再現祭が行われていたと記録に残る。
オリンピアのヘラ神殿(Temple of Hera, Olympia)
オリンピア最古の神殿
オリンピア遺跡で最も古い神殿です。ゼウス神殿より前に建てられました。
現在はオリンピックの聖火がここで採火されます。太陽光を凹面鏡で集める儀式が、4年ごとにこの神殿跡で行われています。
古代の女王の神殿から、現代の祭典の火が生まれる。 遺跡の使われ方としては珍しい例です。
ゼウス神殿と同じ遺跡内にあり、歩いて数分。
アルゴスのヘライオン(Heraion of Argos)
アルゴス地方の中心的な聖域
アルゴスはヘラが特に篤く祀られた土地です。『イリアス』でヘラ自身が「私が最も愛する町はアルゴス、スパルタ、ミュケナイ」と語ります。
トロイア戦争でギリシャ側に立ったのは、これらの都市を守るためでもありました。
段丘に沿って聖域が広がり、遠くにアルゴス平野を見渡せます。
ミュケナイ遺跡から車で近い。
ヘラが現代に残した痕跡
ヘラの名は、月の名と結婚の習慣として残りました。
六月 June: ローマ名ユノー(Iuno)に由来する。ローマでは六月が結婚に最も良い月とされた。
ジューン・ブライド: 六月に結婚すると幸せになるという言い伝え。婚姻の女神ユノーの月であることによる。
孔雀の羽の目: 百眼の巨人アルゴスが殺されたあと、ヘラがその目を孔雀の羽に移したとされる。
ボスポラス海峡: 「牛の渡し場」を意味する。牛に変えられたイオが虻に追われて渡ったことによる。イオニア海も同じ放浪に由来する。
ヘラが司るもの
結婚・夫婦円満
婚姻を司る。ローマでは六月がこの女神の月とされ、結婚に最も良い月と考えられた。
出産
出産の女神エイレイテュイアを従える。産の軽重はこの女神の意向によるとされた。
女性の守護
少女から妻、母へと移る女性の一生を通じて守る神とされた。
国家の守護
アルゴス、サモス島など特定の都市の守護神として篤く祀られた。
ヘラが登場するゲーム・アニメ
創作では扱いが二分します。 原典どおり執拗な敵として描くか、ディズニー版のように正反対の優しい母として描くかです。
どちらの場合も「婚姻の掟を守らせる神」という本来の役割は描かれません。
ヘラが登場するゲーム
ヘラが登場するアニメ・漫画・映像
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ヘラについてよくある質問
ヘラは何の神様ですか。
結婚・出産・家庭を司るオリュンポスの女王です。婚姻という制度そのものを守る神で、掟を破る者を罰します。
ヘラのローマ名は何ですか。
ユノー(Iuno)です。英語ではジュノー。六月 June の語源であり、ジューン・ブライドの習慣もこの女神に由来します。
ヘラはなぜ嫉妬深いのですか。
正確には、婚姻の掟を破られたことへの怒りです。ただし罰する相手は夫ゼウスではなく、相手の女性とその子に向かいました。
ヘラとヘラクレスの関係は何ですか。
夫ゼウスと人間の間に生まれた子であり、生涯にわたって苦しめました。名前の「ヘラクレス」は「ヘラの栄光」を意味します。ただし彼が神となったあとは和解し、自分の娘ヘベを妻として与えています。
孔雀がヘラの鳥なのはなぜですか。
百眼の巨人アルゴスがヘルメスに殺されたあと、ヘラがその目を孔雀の羽へ移したとされるためです。
ヘラはゼウスに勝ったことがありますか。
あります。ポセイドン、アテナと共謀して眠っているゼウスを縛り上げました。ただし百腕の巨人ブリアレオスに救出され、罰として天と地のあいだに吊るされています。
ヘラと併せて覚えたい言葉・用語
ティタノマキア(Titanomachia)
ゼウス率いるオリュンポスの神々と、クロノス率いるティタン神族の戦争。十年続き、解放されたキュクロプスとヘカトンケイルの加勢で決着した。
トロイア戦争(トロイアせんそう)
ギリシャ軍とトロイアの十年に及ぶ戦争。パリスがスパルタ王妃ヘレネを連れ去ったことから始まった。ホメロス『イリアス』はその十年目を描く。