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ギリシャ神話

ヘベとは何の神様か|家系図・物語

Ἥβη  / ヘベ

大地 原初の神

青春そのものである女神。神々に酒を注ぎ、のちヘラクレスの妻となった。

ヘベとは何の神様か

ヘベはひとことで言えば若さの盛りです。名がそのまま、体が大人になっていく時期を指す普通名詞でもあります。

ゼウスヘラの娘。『神統記』はエイレイテュイアアレスと並べて名を挙げます。

『イリアス』での役目ははっきりしています。神々にネクタルを注ぎ、ヘラの車に車輪をはめ、戦から帰ったアレスを湯浴みさせる。オリュンポスの手仕事は、この末娘が引き受けていました。

のちに酌の役は、さらわれてきたトロイアの少年ガニュメデスへ移ったと語られます。

そして最後に、この女神はヘラクレスの妻になります。火葬の炎から神になった英雄が、天に迎えられて娶ったのがこの女神でした。

生涯ヘラに憎まれ続けた男が、ヘラの娘と結ばれた。

和解の印として、これ以上の縁組みはありません。

ヘベのギリシャ名・ローマ名と読み方

古代ギリシャ語では Ἥβη。日本語では「ヘベ」または「ヘーベー」と書きます。

この名は、神の名であると同時に日常語でした。「ヘベ」は若さの盛りを指し、市民が成人と認められる年齢を語るときにも同じ語が使われます。 神の名から派生したのではなく、普通名詞がそのまま神になった形です。

医学の用語にも残りました。思春期にあたる時期を指す語根として使われ、そこから作られた病名もあります。

ローマではユウェンタースと重ねられました。この女神には有名な逸話があります。首都の丘に最高神の神殿を建てるとき、先にそこにいた神々は立ち退きを求められましたが、

ユウェンタースと境界の神テルミヌスだけは、動くことを拒んだ。

若さと境界だけは動かせない。 ローマ人はその占いを吉と受け取りました。

Ἥβη(ヘベ)

古代ギリシャ語の表記。「若さの盛り」を意味する普通名詞でもあり、体が大人になる時期を指す語として日常的に使われた。

ヘーベー(ヘーベー)

長音を残した学術的な表記。事典類ではこちらの形も多い。

ユウェンタース(ユウェンタース)

ローマで対応させられた若さの女神の名。首都の丘に社を持ち、少年が成人の衣に着替えるときに硬貨を納める習わしがあった。

ガニュメダ(ガニュメダ)

ペロポネソス半島のプレイウスで、この女神が呼ばれたという別名。パウサニアスが記す。

ヘベの物語

  1. オリュンポスの酌 ─ 末娘の仕事
  2. ヘラクレスの妻 ─ 憎しみの終わり方
  3. プレイウスの木立 ─ 鎖を解かれた者が来る社

オリュンポスの酌 ─ 末娘の仕事

『イリアス』の第4歌は、神々の宴の場面から始まります。

ヘベが黄金の杯にネクタルを注いで回り、 神々はたがいに杯を挙げてトロイアの町を見下ろしていた。

宴だけではありません。ヘラが戦場へ出るときには、この娘が車輪を軸にはめ、馬をつなぎます。戦いから戻ったアレスの体を洗い、衣を着せるのもこの女神です。

オリュンポスの実務は、この末娘が回していました。

注目したいのは、それが軽んじられていないことです。ギリシャの宴で酒を注ぐ役は、家のなかで最も若い者が務めました。若さそのものである女神が務めるのは、筋が通っています。

のちに酌はトロイアの少年ガニュメデスに移ります。理由を明かす原典はありません。

役目を降りた理由が書かれていないというのは、この女神の描かれ方をよく表しています。

ヘラクレスの妻 ─ 憎しみの終わり方

ヘラクレスの生涯は、ヘラの憎しみそのものです。赤子のときに蛇を送られ、狂気を吹き込まれて妻子を殺し、十二の難業を負わされました。

その英雄が、毒の衣に焼かれて薪の上で死にます。しかし『神統記』はこう続けます。

苦しみを終え、不死となってオリュンポスに住まい、 ゼウスとヘラの娘ヘベを妻とした。

『オデュッセイア』にも同じ記述があります。冥界でオデュッセウスが見るのはヘラクレスの影で、本人は神々のもとにいて、ヘベを妻としていると語られます。

アポロドーロスは、二人のあいだに二人の子が生まれたと記します。

この結婚には、はっきりした意味があります。ヘラクレスという名は「ヘラの栄光」と読める語です。憎み抜いた女神の娘を娶ることで、名前と生涯の食い違いがようやく解けます。

若さの女神と結ばれることは、老いない体を得ることでもあります。 苦役で消耗しきった英雄への報いとして、これ以上ふさわしい相手はいません。

プレイウスの木立 ─ 鎖を解かれた者が来る社

この女神の祀りで最も知られていたのは、ペロポネソス半島の小さな町プレイウスでした。パウサニアスが詳しく書いています。

町の高台に糸杉の木立があり、その奥に古くからきわめて尊ばれた聖域がありました。

神像は無かった。

これが第一の特徴です。ギリシャの聖域で像を置かないのは珍しく、それだけ古い形と考えられていました。

第二の特徴は、罪を犯した者がここへ逃げ込めば捕らえられなかったことです。そして、

縛めを解かれた者は、その足かせを木に掛けて礼とした。

糸杉の枝に、鎖と足かせが下がっていたことになります。

この土地では女神はガニュメダとも呼ばれた、とパウサニアスは記します。

若さの女神が「解放」を受け持つのは、意外に見えて筋が通っています。若さとは、まだ何にも縛られていない状態のことだからです。

ヘベの家系図と家族

ヘベの親: ゼウスゼウスとヘラの娘ヘラゼウスとヘラの娘

ヘベのきょうだい: エイレイテュイアともにゼウスとヘラの娘

ヘベの妻・夫: ヘラクレス神となった英雄の妻となる

ヘベの性格と人物像

ヘベには、怒った場面がありません。

神々に杯を配り、車輪をはめ、兄の体を洗う。原典に残るのは、そうした働きだけです。台詞もほとんど与えられていません。

それでいて、扱いが軽いわけではありません。 『イリアス』は宴の場面でこの女神から書き始め、ヘラクレスの物語は最後にこの女神で閉じられます。神話の始まりと終わりに、静かに置かれている神です。

性格として指摘できるのは、逆らわないことでしょう。母ヘラが憎み抜いた相手と結婚し、その相手を受け入れています。恨みも抵抗も書かれていません。

もう一つは、役目を降りたあとも消えないことです。酌をガニュメデスに譲ったのちも、この女神はオリュンポスに残り、妻としての物語を得ました。役職ではなく、若さそのものが本体だからです。

プレイウスの聖域に像が無かったことも示唆的です。姿を固定されない神として祀られていました。

ヘベを祀った神殿と遺跡

住所まで確かめられる社はありませんでした。

この女神の祀りとして知られるのは、ペロポネソス半島のプレイウスにあった聖域です。パウサニアスは、糸杉の木立の奥に像を置かない古い社があり、逃げ込んだ者は捕らえられず、解放された者が足かせを木に掛けていったと記しています。同じ地方のシキュオンにも祀りがあったと伝えられます。

しかし、その場所を一次の資料で住所まで特定できなかったため、ここには挙げていません。

祀られていなかったのではなく、確かめられなかったということです。オリュンポスの神殿群のなかにも像として置かれていましたが、この女神のために建てられた建物として確定できるものは見つかりませんでした。

ヘベが現代に残した痕跡

ヘベの名は、若さを指す語として学問の側に残りました。

思春期を表す語根: 医学では、思春期にあたる時期を指す語根としてこの名が使われる。そこから作られた病名もある。

小惑星ヘーベ: 1847年に発見された小惑星6番の名。発見の早い小惑星の一つで、比較的明るく観測しやすい。

ローマのユウェンタース: 若さの女神として重ねられた。最高神の神殿を建てるとき、境界の神とともに立ち退きを拒んだという逸話が残る。

杯を持つ女性像: 片手に水差し、片手に杯を持つ姿は近世の彫刻で好まれ、庭園の像や噴水の意匠として各地に置かれた。

ヘベが司るもの

若さ

名がそのまま若さの盛りを意味する。体が大人になっていく時期を司る。

不老

この女神を妻としたヘラクレスは、老いない体を得たと語られる。

拘束からの解放

プレイウスの聖域では、縛めを解かれた者が足かせを木に掛けて礼とした。

結婚

神となったヘラクレスとの婚礼は、憎しみの物語を閉じる印になっている。

成長の節目

ローマの対応神ユウェンタースには、少年が成人の衣に着替えるとき硬貨を納める習わしがあった。

ヘベについてよくある質問

ヘベはどんな神ですか。

若さの盛りを司る女神です。ゼウスとヘラの娘で、オリュンポスで神々に酒を注ぐ役目を務めました。のちに神となったヘラクレスの妻になります。

なぜヘラクレスと結婚したのですか。

英雄が火葬の炎から神となり、天に迎えられたときの縁組みです。ヘラクレスという名は「ヘラの栄光」と読める語で、生涯憎まれ続けた相手の娘を娶ることで、名前と生涯の食い違いが解けた形になります。

酌の役はどうなったのですか。

のちにトロイアの少年ガニュメデスに移ったと語られます。理由を明かす原典はありません。ただし役を降りたあともこの女神はオリュンポスに残っています。

ローマではどの神にあたりますか。

若さの女神ユウェンタースです。最高神の神殿を建てるとき、境界の神テルミヌスとともに立ち退きを拒んだという逸話が伝わり、ローマ人はこれを吉兆と受け取りました。

ヘベを祀った社はありますか。

ペロポネソス半島のプレイウスに聖域があったとパウサニアスが記しています。像を置かない古い形の社で、逃げ込んだ者は捕らえられず、解放された者が足かせを木に掛けて礼としたと伝えられます。住所まで確かめられる遺構は見つかりませんでした。