ギリシャ最大の英雄。十二の難業を果たし、死後に神となった。

「万民の神話事典」 1874年 / パブリックドメイン 出典
ヘラクレスとは何の神様か
ヘラクレスのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἡρακλῆς。日本語では「ヘラクレス」で定着しています。
名前がそのまま物語の皮肉になっています。「ヘラの栄光」を意味する名を持ちながら、その女神に生涯苦しめられました。
改名の理由には二つの説があります。
一つ。 女神の怒りを鎮めるため、名を捧げた。
二つ。 彼の苦難がヘラの名を高める、という予言による。
本名はアルケイデスでした。デルフォイの神託が新しい名を与えたとされます。
ローマ名ヘルクレスは、英語ハーキュリーズの元です。
Ἡρακλῆς(ヘラクレス)
古代ギリシャ語の表記。「ヘラ」+「クレオス(栄光)」で「ヘラの栄光」を意味する。
Hercules(ヘルクレス)
ローマ名。英語では Hercules(ハーキュリーズ)。
Ἀλκείδης(アルケイデス)
生まれたときの本名。祖父アルカイオスにちなむ。改名の理由は諸説ある。
ヘラクレスの物語
揺りかごで蛇を絞め殺す ─ 生後八か月
ゼウスは人間の女アルクメネのもとへ、夫アンフィトリオンの姿で通いました。その夜を三倍に引き延ばしたと伝えられます。
生まれたのは双子です。ゼウスの子ヘラクレスと、人間の夫の子イピクレス。
ヘラは出産の妨害から始めました。ゼウスが「今日生まれる者がミュケナイの王となる」と誓ったのを聞き、
出産を遅らせ、代わりに別の子を先に生ませた。
そのため王位は従兄弟エウリュステウスのものになります。この男が、後に十二の難業を命じることになりました。
生後八か月、ヘラは二匹の蛇を揺りかごへ送り込みます。
兄弟のイピクレスは泣き叫んだ。ヘラクレスは両手で蛇を掴み、絞め殺した。
駆けつけた両親が見たのは、蛇を玩具のように振り回す赤子でした。
この場面は古代の壺絵に繰り返し描かれています。
妻子を殺す ─ 難業の理由
ここが物語の核心であり、しばしば省略される部分でもあります。
成長したヘラクレスはテーバイの王女メガラと結婚し、子をもうけました。
そこへヘラが狂気を送り込みます。
我を失ったヘラクレスは、自分の子らを敵と見誤り、殺した。 妻も殺したと伝えられる。
正気に戻った彼が見たのは、自分が殺した家族でした。
自殺しようとします。 友テセウスが止めました。
罪を贖う方法を求めてデルフォイへ向かうと、神託はこう告げます。
エウリュステウス王に仕え、命じられた仕事を果たせ。
よりによって、ヘラの妨害で王になった男です。しかも臆病な男でした。
十二の難業は、栄光を求めた冒険ではありません。 家族を殺した罪を贖うための、十二年にわたる奉仕でした。
十二の難業 ─ 不可能な十二年
命じられた仕事を順に挙げます。
一、ネメアの獅子。 刃の通らぬ皮を持つ。素手で絞め殺し、その爪で皮を剥いで身につけた。以後これが彼の姿になる。
二、ヒュドラ。 首を斬ると二本生える水蛇。甥イオラオスに切り口を焼かせて再生を止めた。助けを借りたため、この一件は数に入れないと王は言い張った。
三、ケリュネイアの牝鹿。 アルテミスの聖獣。傷つけずに一年追い続けて捕らえた。
四、エリュマントスの猪。 生け捕り。持ち帰ると王は壺に隠れた。
五、アウゲイアスの家畜小屋。 三千頭の家畜が三十年ためた汚物を一日で。川の流れを変えて洗い流した。
六、ステュムパロスの鳥。 青銅の羽を持つ鳥の群れ。アテナから借りた鳴子で驚かせ、射落とした。
七、クレタの牡牛。 八、ディオメデスの人食い馬。 九、アマゾンの女王の帯。 十、ゲリュオンの牛。
十一、黄金の林檎。 世界の果て。アトラスに取りに行かせ、天を代わりに支えた。
十二、ケルベロス。 冥界の番犬。ハデス本人に許しを得て、武器を使わず素手で捕らえた。
王は最後もまた、壺に隠れました。
アトラスを騙す ─ 力ではなく機転
十一番目の難業が、この英雄の別の面を見せます。
世界の果てにある黄金の林檎は、ヘスペリデスの姉妹と竜が守っていました。場所さえ分かりません。
ヘラクレスは、天を支えるアトラスに頼みます。
代わりに天を支えているから、林檎を取ってきてくれ。
アトラスは喜んで行きました。永遠の重荷から解放される好機です。
林檎を持って戻ったアトラスは、こう言います。
このまま私が届けてやろう。 おまえは天を持っていればいい。
騙されました。
ヘラクレスは平然と答えます。
分かった。ただ、肩当てを直したい。少しのあいだ代わってくれ。
アトラスは天を受け取りました。
ヘラクレスは林檎を拾い、そのまま去った。
力の英雄が、頭で勝った数少ない場面です。
自ら火に入る ─ 人間をやめる
最期は、遠い過去の一件が招きました。
川を渡るとき、ケンタウロスのネッソスが妻デイアネイラを襲おうとしました。ヘラクレスは矢で射殺します。ヒュドラの毒が塗られた矢でした。
死にぎわ、ネッソスは妻にこう言い残します。
私の血を取っておきなさい。 夫の心が離れたとき、衣に塗れば愛が戻る。
嘘でした。
年月が過ぎ、夫が別の女性を連れ帰ったと知ったデイアネイラは、その血を塗った衣を送ります。
衣を着た瞬間、
毒が肉に食い込み、剥がそうとすれば肉ごと剥がれた。
苦痛は耐えがたく、神でも人でも治せません。
ヘラクレスはオイテ山に登り、自ら薪を積み、火をつけさせました。
人間の部分は焼け、母から受け継いだものは灰になり、父から受け継いだ神の部分だけが残った。
雷とともに天へ昇ります。そして──
ヘラと和解し、その娘ヘベを妻として与えられた。
生涯苦しめた女神が、最後に義母になりました。
ヘラクレスの家系図と家族
ヘラクレスの性格と人物像
ヘラクレスは、選んでいない英雄です。
冒険を望んだわけではありません。ヘラに狂わされて家族を殺し、その罪を贖うために十二年働きました。
力は圧倒的です。しかしこの英雄の物語は、力で解決しない場面にこそ特徴があります。
ヒュドラには甥の助けを借り、家畜小屋は川の流れを変え、アトラスは騙し、ケルベロスはハデスに許可を求めました。
正面から殴って終わる話が、ほとんどない。
性格は激しく、しばしば行き過ぎます。竪琴の教師を撲殺し、使者の耳を切り落とし、酔って暴れました。完璧な人物ではありません。
それでも古代ギリシャで最も愛された英雄でした。理由は明確です。
罪を犯し、贖い、それでも進み続けた。
神の子でありながら苦しみ続け、最後に自ら火に入って人間をやめる。神になるために、人間であることを焼き捨てた唯一の存在です。
ヘラクレスを祀った神殿と遺跡
ヘラクレスは神殿より、競技場と結びついた英雄です。ネメア、オリンピアともに競技祭の地であり、いずれも創始者とされました。
もうひとつの特徴が、家の入口です。「悪を退ける者」として、扉の脇に像や碑が置かれました。
大神殿ではなく、競技場と玄関にいた。
人々にとって身近な守り手だったことが分かります。
ネメアの聖域(Nemea)
最初の難業の地、四大競技祭のひとつ
一番目の難業「ネメアの獅子」の舞台です。
ここではネメア競技祭が二年ごとに開かれました。オリンピア、デルフォイ、イストミアと並ぶ四大競技祭のひとつです。創始者はヘラクレスだと伝えられます。
遺跡には、選手が通った地下トンネルつきの競技場が良好な状態で残っています。壁には古代の選手が刻んだ落書きも見つかっています。
ゼウス神殿の柱が数本立ち、復元作業が続いています。
近年、古代競技祭を再現する催しが数年ごとに開かれている。誰でも参加できる。
オリンピア遺跡(Olympia)
オリンピック競技祭の創始者とされる地
ヘラクレスがオリンピック競技祭を創始したという伝えがあります。五番目の難業(アウゲイアスの家畜小屋)のあと、報酬を踏み倒された恨みを晴らしてから開いたとされます。
競技場の長さの単位「スタディオン」は、ヘラクレスが息を止めずに歩いた距離だという伝承もあります(約192メートル)。
ゼウス神殿の破風には、十二の難業を描いた彫刻がありました。実物は併設の博物館で見られます。
博物館の難業のレリーフは、十二すべてが揃った貴重な作例。
ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules)
古代人にとっての世界の果て
ヘラクレスの柱の住所: ジブラルタル海峡(ジブラルタルの岩とモロッコ側の山)
ヘラクレスの柱に残るもの: 海峡の両岸の岩山
十番目の難業でゲリュオンの牛を取りに行った際、ヘラクレスが山を割って海峡を作ったとされます。その両岸が「ヘラクレスの柱」です。
古代地中海世界にとって、ここが世界の果てでした。この先へ出てはならないという意味で、
「これより先はなし(Non plus ultra)」
と刻まれていたと伝えられます。
スペインの国章には、この二本の柱が今も描かれています。ドル記号の起源をこの柱に求める説もあります。
ジブラルタルの岩は現在も同じ位置にあり、展望台から対岸のモロッコが見える。
ヘラクレスが現代に残した痕跡
ヘラクレスの名は、星座・地名・言葉に広く残りました。
ヘルクレス座: 北天の大きな星座。ひざまずいた姿とされ、古くは「ひざまずく者」と呼ばれていた。
ヘラクレスの柱/ジブラルタル海峡: 古代地中海世界の西の果て。スペインの国章に二本の柱として描かれている。
ヘラクレスの選択: 快楽の道と徳の道のどちらを選ぶかという寓話。ルネサンス以降、絵画と道徳教育の題材として繰り返し用いられた。
ヘラクレスオオカブト: 世界最大級の甲虫。その力強さからこの英雄の名が与えられた。
「ヘラクレス的な仕事」: 英語 herculean task で「途方もない難事業」を意味する。
ヘラクレスが司るもの
力・勝利
古代ギリシャ最大の英雄。競技者や兵士が祀った。
厄除け
「悪を退ける者(アレクシカコス)」と呼ばれ、家の入口に像や碑が置かれた。
贖罪と再起
罪を犯したのち贖い、最後に神となった。立ち直りの象徴とされる。
ヘラクレスが登場するゲーム・アニメ
創作では「強い英雄」として描かれ、罪の部分は省かれます。
原典の十二の難業は、狂気に陥って妻子を殺した罪を贖うためのものでした。この動機を落とすと、単なる冒険譚になります。
なぜ十二年も働いたのかを説明できるのは、原典の筋だけです。
ヘラクレスが登場するゲーム
ヘラクレスが登場するアニメ・漫画・映像
各種の映画
実写映画が繰り返し作られており、ギリシャの英雄のなかで最も映像化されています。
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ヘラクレスについてよくある質問
ヘラクレスは何者ですか。
ゼウスと人間の女アルクメネの子で、ギリシャ神話最大の英雄です。十二の難業を果たし、死後に神となってオリュンポスに迎えられました。
なぜ十二の難業を行ったのですか。
ヘラに狂気を送り込まれ、自分の妻と子を殺してしまったためです。その罪を贖う方法をデルフォイの神託に問い、エウリュステウス王に仕えて命じられた仕事を果たせと告げられました。
ヘラクレスの名前の意味は何ですか。
「ヘラの栄光」です。生涯にわたって自分を苦しめた女神の名を持つという皮肉な名前で、本名はアルケイデスでした。
ヘラクレスはどうやって死んだのですか。
ヒュドラの毒を塗られた衣を着てしまい、耐えがたい苦痛から自ら薪を積んで火をつけさせました。人間の部分が焼け、神の部分だけが天へ昇っています。
ヘラクレスは神になったのですか。
なりました。オリュンポスに迎えられ、ヘラとも和解して、その娘ヘベを妻として与えられています。神になった唯一の英雄です。
ヘラクレスのローマ名は何ですか。
ヘルクレス(Hercules)です。英語ではハーキュリーズ。
ヘラクレスと併せて覚えたい言葉・用語
ケルベロス(Κέρβερος)
冥界の門を守る三つ首の犬。入る者は通すが、出る者は通さない。テュポーンとエキドナの子。