愛と美の女神。海の泡から生まれ、トロイア戦争の引き金を引いた。

「万民の神話事典」 1874年 / パブリックドメイン 出典
アフロディーテとは何の神様か
アフロディーテはひとことで言えば争いを生む美の神です。ローマ名はウェヌス(ヴィーナス、金星)。
生まれ方が特異です。クロノスが切り落としたウラノスの体が海に落ち、その泡から生まれました。名は「泡から生まれた者」と解されます。ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」はこの場面です。
夫は鍛冶の神ヘファイストス。しかし愛人アレスとの仲を夫に暴かれ、神々の前で晒されました。
そして、トロイア戦争?を起こした女神でもあります。
パリスの審判?で「最も美しい女性を与える」と約束し、選ばれた。その女性はすでに他国の王妃だった。
持ち物は帯ケストス。締めれば誰もが恋に落ちます。ヘラですら、夫を誘惑するために借りました。
美しさが、そのまま災いになる。 この女神の物語は一貫してそうです。
アフロディーテのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἀφροδίτη。日本語では「アフロディーテ」で定着しています。
「泡(アフロス)から生まれた」という語源はヘシオドスが示したものですが、言語学的には後付けの解釈とされます。実際には、東方の愛と戦の女神アスタルテ/イシュタルが伝わったものとする説が有力です。
そう考えると、この女神が戦いにも関わる理由が説明できます。スパルタでは武装したアフロディーテが祀られていました。
ローマ名ウェヌスは金星の名です。明けの明星・宵の明星として、もっとも明るく輝く星に当てられました。
Ἀφροδίτη(アフロディーテ)
古代ギリシャ語の表記。「アフロス(泡)から生まれた者」と解されるが、これは後付けの語源解釈で、東方の女神アスタルテに由来するとする説が有力。
Venus(ウェヌス)
ローマ名。英語では Venus(ヴィーナス)。金星の名でもある。
Κύπρις(キュプリス)
「キプロスの女」の意。生まれて最初に上陸した島による。
Ἀφροδίτη Οὐρανία(ウラニア)
「天のアフロディーテ」。精神的な愛を司る面を指す。対して「パンデモス(万人の)」は肉体的な愛を指した。
アフロディーテの物語
海の泡から生まれる ─ 父を持たない女神
網にかかる ─ 夫に暴かれた不倫
アフロディーテの夫は、足の不自由な鍛冶の神ヘファイストスでした。オリュンポスで最も美しい女神と、最も醜いとされた神の組み合わせです。
妻は軍神アレスと通じていました。それを見ていたのが、太陽神ヘリオスです。すべてを見下ろす神は、夫に告げました。
ヘファイストスは工房にこもり、目に見えないほど細く、決して切れない金属の網を作ります。それを寝台の上に仕掛け、旅に出るふりをしました。
二人が寝台に入った瞬間、網が落ちます。身動きが取れません。
ヘファイストスは神々を呼び集めました。
神々は集まり、その様子を見て笑いが止まらなかった。
『オデュッセイア』は、この場面を明るい笑い話として語ります。神々の世界の緩さがよく出た場面です。
解放されたアフロディーテはキプロスへ、アレスはトラキアへ逃げ帰りました。
パリスの審判 ─ 戦争を約束する
ペレウスとテティスの婚礼に、争いの女神エリスだけが招かれませんでした。腹を立てた女神は、宴席に黄金の林檎を投げ入れます。刻まれていたのは「最も美しい女神へ」。
ヘラ、アテナ、アフロディーテが争いました。ゼウスは判定を避け、トロイアの王子パリスに委ねます。
三女神は買収に出ました。
ヘラはアジア全土の支配権を。アテナはあらゆる戦での勝利を。アフロディーテは最も美しい女性を。
パリスはアフロディーテを選びます。
約束された女性はヘレネ。すでにスパルタ王メネラオスの妃でした。
アフロディーテはヘレネの心を操り、パリスと共にトロイアへ渡らせます。
ギリシャ全土の王が誓約?に従って集まり、十年の戦争が始まりました。
この女神は戦場でも息子アイネイアスを守り、ディオメデスに手首を傷つけられて泣きながら母のもとへ帰ります。 戦いは得意ではありません。
アドニスを失う ─ 花になった恋人
ピュグマリオンの像 ─ 愛が形を得る
この女神が願いを叶えた数少ない話です。
キプロスの彫刻家ピュグマリオンは、現実の女性に失望し、独身を通していました。そして象牙で理想の女性像を彫ります。
あまりに見事で、生きているとしか思えなかった。 彼はその像に恋をした。
衣を着せ、宝石を贈り、言葉をかけました。
アフロディーテの祭の日、ピュグマリオンは祭壇で祈ります。「像のような女性を妻に」としか言えませんでした。本当の願いは口にできなかったのです。
女神は察しました。
家に帰り、像に口づけると──
唇は温かかった。 象牙は蜜蝋のように柔らかくなり、指を押し返した。
二人は結ばれ、女神は婚礼に立ち会いました。
ピュグマリオン効果(期待が相手を変える)という心理学の用語は、この話に由来します。
アフロディーテの家系図と家族
アフロディーテの性格と人物像
アフロディーテは、加減を知らない神です。
愛の女神でありながら、その力は祝福としても災いとしても働きます。ヘレネの心を操ってトロイア戦争を起こし、パイドラに義理の息子への恋を吹き込んで一家を破滅させ、自分を敬わない者には近親相姦の欲望すら植え付けました。
注目すべきは、罰の方法です。他の神が雷や矢で罰するのに対し、この女神は恋をさせて罰します。
一方で、ピュグマリオンのように、真剣な願いには応えます。アドニスの死には自ら泣きました。
『イリアス』でゼウスが娘にこう言う場面があります。
戦のことはおまえの領分ではない。 おまえは婚姻の甘い務めに励みなさい。
戦場では弱く、傷つけられて泣きながら逃げ帰る。しかしその女神が、十年の戦争を起こしました。
力ではなく、人の心を通して世界を動かす神です。
書物によってアフロディーテの記述が異なるところ
ギリシャ神話は一冊にまとまっていません。アフロディーテについても、 書物によって記述が分かれる箇所が1件あります。 どちらか一方に決めず、両方を出典つきで載せています。
記述が分かれるところ
神統記紀元前700年頃
第116〜122行
- カオス ─ ともに世界の始まりに生じる ─ エロス
ヘシオドス『神統記』では、エロスはカオス・ガイア・タルタロスと並んで世界の始まりに生じた原初の神であり、親を持たない。
ギリシャ神話(アポロドーロス)1〜2世紀頃
諸伝
- アフロディーテ ─ 後代ではアフロディーテの子とされる ─ エロス
後代の詩と美術では、エロスはアフロディーテの子として描かれる。父はアレス、ヘルメス、ゼウスなど諸説あって定まらない。原初の神が女神の子に置き換わった例。
アフロディーテを祀った神殿と遺跡
アフロディーテの聖地はキプロス島とその周辺に集中します。生誕地とされたパフォスが中心で、東方から地中海へ女神信仰が伝わった経路をなぞる分布です。
神像を置かない聖域(パフォスの円錐石)と、裸像を置いた神殿(クニドス)が並存するのも特徴です。信仰の形が時代とともに変わったことが、遺跡から読み取れます。
パフォスの聖域(Palaipafos, Cyprus)
この女神の生誕地とされた最大の聖地
アフロディーテが海から上陸した地とされ、古代地中海世界で最大級の巡礼地でした。
特異なのは、神像がなかったことです。祀られていたのは円錐形の黒い石でした。東方の女神信仰の形を残しているとされます。
近くの海岸には「アフロディーテの岩(ペトラ・トゥ・ロミウ)」があり、ここが上陸地点と伝えられます。
世界遺産(パフォス)に登録されています。
併設の博物館に円錐石が展示されている。
クニドスのアフロディーテ神殿(Knidos)
史上初の等身大女性裸像が置かれた神殿
紀元前4世紀、彫刻家プラクシテレスがここに史上初の等身大の女性裸像を納めました。
それまでギリシャ彫刻で裸なのは男性像だけでした。この一体が、西洋美術における裸婦像の出発点になります。
像を見るためだけに人々が船で訪れたと記録されています。原作は失われ、ローマ時代の模刻が各地に残ります。
神殿は円形で、どの角度からも像が見えるように設計されていました。
半島の先端にあり、陸路でのアクセスに時間がかかる。
アクロコリントス(Acrocorinth)
山頂に神殿があった要塞
古代コリントスの背後にそびえる岩山の頂に、この女神の神殿がありました。
地理学者ストラボンは、ここに千人を超える神殿娼婦がいたと記しています。ただしこの記述の信頼性には強い疑問が呈されており、現在は誇張または誤解とする見方が優勢です。
現在は古代・ビザンツ・十字軍・オスマンと重なった巨大な城塞が残ります。山頂からの眺望が非常に良い場所です。
古代コリントス遺跡から車で山頂近くまで上がれる。
アフロディーテが現代に残した痕跡
アフロディーテの名は、惑星・美術・言葉に残りました。
金星 Venus: ローマ名ウェヌスによる。もっとも明るく見える惑星に美の女神の名が与えられた。
ミロのヴィーナス: 1820年にミロス島で発見された像。ルーヴル美術館所蔵。ただしこの像がアフロディーテを表すかについては議論がある。
「ヴィーナスの誕生」: ボッティチェリの絵画(ウフィツィ美術館)。海の泡から生まれて貝殻に乗って上陸する場面を描く。
ピュグマリオン効果: 期待をかけられた者が実際に伸びるという心理学の用語。彫像に恋した男の願いが叶えられた物語による。
アフロディジアック: 媚薬・催淫剤を指す語。この女神の名に由来する。
アフロディーテが司るもの
恋愛・縁結び
愛を司る。帯ケストスを締めれば誰もが恋に落ちるとされた。
美
美そのものを司る。西洋美術における美の基準はこの女神像に由来する。
航海
海から生まれたため、船乗りにも祈られた。「凪をもたらす者」という呼び名を持つ。
戦い
スパルタでは武装した姿で祀られた。東方の女神アスタルテに由来するためとされる。
アフロディーテが登場するゲーム・アニメ
創作より、美術での存在感が圧倒的な神です。ルネサンス以降の西洋絵画で、裸婦を描く口実として繰り返し用いられました。
一方で「トロイア戦争を起こした女神」という側面は、美術ではあまり描かれません。
アフロディーテが登場するゲーム
アフロディーテが登場するアニメ・漫画・映像
西洋絵画全般
ボッティチェリ、ティツィアーノ、ルーベンス、ベラスケスなど、無数の画家がこの女神を描きました。西洋美術でもっとも描かれた神です。
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アフロディーテについてよくある質問
アフロディーテは何の神様ですか。
愛と美を司る女神です。ただしその力は祝福としても災いとしても働き、トロイア戦争を引き起こしています。
アフロディーテのローマ名は何ですか。
ウェヌス(Venus)です。英語ではヴィーナス。金星の名もこれによります。
アフロディーテはどうやって生まれたのですか。
書物で異なります。ヘシオドス『神統記』では、クロノスが切り落としたウラノスの体が海に落ち、その泡から生まれたとされます。ホメロス『イリアス』ではゼウスとディオネの娘です。
アフロディーテの夫は誰ですか。
鍛冶の神ヘファイストスです。ただし軍神アレスと通じており、夫が仕掛けた見えない網にかかって神々の前に晒されました。
アフロディーテはなぜトロイア戦争を起こしたのですか。
パリスの審判で「最も美しい女性を与える」と約束して選ばれたためです。その女性ヘレネはすでにスパルタ王の妃であり、略奪が戦争の引き金になりました。
ミロのヴィーナスはアフロディーテですか。
一般にそう呼ばれますが、確定していません。両腕が失われているため持ち物が分からず、別の女神とする説もあります。
アフロディーテと併せて覚えたい言葉・用語
トロイア戦争(トロイアせんそう)
ギリシャ軍とトロイアの十年に及ぶ戦争。パリスがスパルタ王妃ヘレネを連れ去ったことから始まった。ホメロス『イリアス』はその十年目を描く。
パリスの審判(パリスのしんぱん)
エリスが投げ入れた黄金の林檎を巡り、ヘラ・アテナ・アフロディーテのうち誰が最も美しいかをトロイアの王子パリスが判定した出来事。トロイア戦争の発端。
誓約(うけい)
神意を問うための占い。あらかじめ結果の意味を決めておき、どちらが起きるかで是非を判断する。