ヘルメスとアフロディーテの子。泉の妖精と一つの体になった。
ヘルマプロディトスとは何の神様か
ヘルマプロディトスはひとことで言えば両親の名を継いだ神です。名前そのものが、父ヘルメスと母アフロディーテを繋げた形になっています。ローマでも名は置き換えられませんでした。
物語は、ローマの詩人オウィディウス『変身物語』第4巻にあります。
小アジアのカリア地方を旅していた少年が、底まで透けて見える泉に行き当たりました。そこに住む妖精サルマキスが一目で恋をし、迫ります。少年は拒みました。
ところが水に入った少年に妖精は組みつき、神々に祈ります。
どうか、この者と私とを、永久に引き離さないでください。
願いは聞き入れられた。二つの体は溶け合い、一つになった。
拒んだ側の願いは、聞き入れられませんでした。
水から上がったのは、男とも女とも決められない一つの体でした。少年は両親に願い、以後その泉に入った男は同じように変わるとされます。
両性具有を意味する語は、この神の名から生まれました。生物学では、雌雄同体を指す用語として使われています。
ヘルマプロディトスのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἑρμαφρόδιτος。日本語では「ヘルマプロディトス」「ヘルマフロディトス」が使われます。
ローマ名もヘルマプロディトゥスのままで、名の置き換えは起きませんでした。
名前の作り方が、そのまま出自の説明になっています。 父ヘルメスと母アフロディーテ、二つの名を繋げただけの名前です。ギリシャの神の名で、ここまで直接的に両親を示すものは珍しいものです。
この名から、両性具有を意味する語が各国語に生まれました。生物学では、一個体が雄と雌の両方の生殖器官を持つことを指す用語として使われています。ミミズやカタツムリがその例です。
神の名が、そのまま学術用語になった例のひとつです。
Ἑρμαφρόδιτος(ヘルマプロディトス)
古代ギリシャ語の表記。父ヘルメスと母アフロディーテの名を繋げた形になっている。
Hermaphroditus(ヘルマプロディトゥス)
ローマでの綴りと読み。名は置き換えられず、そのまま使われた。
ヘルマフロディトス(ヘルマフロディトス)
日本語での別表記。翻訳によって使い分けられる。
アフロディトス(アフロディトス)
キプロス島に伝わったとされる、髭のある男性の姿のアフロディーテを指す名。別の神格だが、両性を併せ持つという点で関連が指摘されている。
ヘルマプロディトスの物語
- 二つの名を継ぐ ─ 父と母から半分ずつ
- サルマキスの泉 ─ 拒んだ側の願いは聞かれない
- 泉は実在した ─ 建築家が書いた反論
- 眠る像 ─ 美術がこの神をどう扱ったか
- 神か、凶兆か ─ 古代の評価は割れていた
二つの名を継ぐ ─ 父と母から半分ずつ
この神の名は、両親の名を繋げただけのものです。
ヘルメス + アフロディーテ = ヘルマプロディトス。
ギリシャの神の名で、これほど直接的に出自を示すものは多くありません。ゼウスの子は誰もゼウスの名を継いでいません。
育てたのは、小アジアのイダ山に住む妖精たちだったと伝えられます。両親のもとではなく、山で育ちました。
両親の組み合わせにも意味があります。
ヘルメスは境界を越える神。道と旅、境目に立つ石柱の神。 アフロディーテは結び付ける神。愛と美の女神。
境界と結合。この二つを親に持つ神が、二つの体が一つになる物語を持つ のは、偶然ではないと考えられます。
なお、この二柱のあいだの子については、別の伝えもあります。エロスをアフロディーテとヘルメスの子とする説がそれです。系譜は書物によって揺れており、一つに定まっていません。
ヘルマプロディトス自身が文献に現れるのは、紀元前4世紀以降です。オリュンポスの神々よりずっと後になります。
サルマキスの泉 ─ 拒んだ側の願いは聞かれない
十五歳になった少年は、育った山を離れて旅に出ました。小アジアのカリア地方を歩き、澄んだ泉に行き当たります。
そこにいたのは、サルマキスという妖精でした。
この妖精は、ほかの妖精たちと違っていました。狩りをせず、走らず、
泉のほとりで髪をとかし、水鏡に自分を映していた。
少年を見た妖精は、その場で求めます。少年は赤くなり、断りました。
妖精はいったん去るふりをして木陰に隠れます。誰もいなくなったと思った少年は、服を脱いで泉に入りました。
妖精は水に飛び込み、少年に組みついた。 少年は抗ったが、離れなかった。
そして祈ります。
神々よ、この者と私とを、永久に引き離さないでください。
願いは、そのとおりに聞き入れられました。二つの体は溶け合い、男とも女とも決められない一つの体になります。
少年の意思は、はじめから終わりまで一度も通っていません。
水から上がった者は両親に願いました。この泉に入った男は、同じように変わるように。 両親はその願いを聞き入れ、泉に力を与えたとされます。
泉は実在した ─ 建築家が書いた反論
サルマキスの泉は、物語の中だけのものではありません。実在の泉でした。
場所は、小アジアのハリカルナッソス(今のトルコ・ボドルム)。世界七不思議のひとつ、マウソロス霊廟があった町です。
この泉には、入った男は男らしさを失うという評判が立っていました。
ローマの建築家ウィトルウィウスは、その評判を否定しています。彼の建築書にある説明はこうです。
泉の水は澄んでいて、味もよい。 変わったところは何もない。
では、なぜそんな噂が立ったのか。ウィトルウィウスの説明は現実的でした。
もとは荒々しい暮らしをしていた土地の人々が、 この泉のまわりに市場ができ、ギリシャ人と交わるうちに、 穏やかな暮らし方に変わっていった。
変わったのは体ではなく、生活様式だった。 それが誇張されて伝わった、という説明です。
古代にも、伝説を現実的に説明しようとする人がいたことを示す記録です。
1995年、ボドルムでこの泉に関わる碑文が見つかりました。町の由来を刻んだもので、泉の名も出てきます。物語の舞台が実在の場所だったことは、確かめられています。
眠る像 ─ 美術がこの神をどう扱ったか
ヘレニズム時代以降、この神は彫刻の主題として広く作られました。
もっとも知られている型が、眠る姿の像です。
うつ伏せに横たわり、顔を伏せて眠っている。 背中側から見れば、女性の姿にしか見えない。 回り込んで反対側から見ると、体の作りが違う。
見る位置によって、見えるものが変わる。 それがこの主題の狙いでした。
見る人は、彫刻のまわりを歩かされます。背後から近づいて驚き、確かめるためにもう一度回る。鑑賞者の動きまで作品の一部になっています。
ギリシャ・ローマの彫刻の多くは、正面から見ることを前提に作られました。この主題はその前提を壊しています。
ローマ時代の複製が複数残っており、パリのルーヴル美術館とローマの国立博物館が代表的な作例を所蔵しています。ルーヴルのものには、十七世紀に彫刻家ベルニーニが大理石で作った敷布が添えられています。
古代の像に、千数百年後の作家が寝具を彫って足した。この像がどれだけ長く関心を集め続けたかを示す出来事です。
神か、凶兆か ─ 古代の評価は割れていた
古代ギリシャ・ローマで、この存在の扱いは一つに定まっていません。
一方には、神として祀った記録があります。テオプラストスという著述家が、当時の人物像を並べた本のなかで、迷信深い男の行動としてこう書いています。
月の四日と七日に、家の者に葡萄酒を温めさせ、 外へ出て、ヘルマプロディトスの像に花冠を捧げる。
家庭で像に花冠を供える習わしがあった ことがわかります。神殿ではなく、家の中の信仰です。
もう一方には、凶兆と見なす扱いがあります。歴史家ディオドロスは、この存在について「神とする者もいれば、まれにしか現れない不吉なしるしとする者もいる」と書きました。ローマでは、両性を持って生まれた子が生まれたという報告があると、国家として祓いの儀式が行われた記録が残っています。
同じものが、祀られもし、恐れられもした。
古代の見方は、この二つのあいだで揺れ続けています。
神殿が残らなかった理由も、ここにあると考えられます。 家庭の像や庭の彫刻としては大量に作られましたが、公の神殿を建てて祀る対象にはなりませんでした。
記録が偏っているため、この神への信仰がどれくらいの広がりを持っていたかは、はっきり分かっていません。
ヘルマプロディトスの家系図と家族
ヘルマプロディトスの性格と人物像
ヘルマプロディトスには、意志を通した場面が一つもありません。
物語のなかでこの人物がしたことは、断ること、抗うこと、そして最後に願うことだけです。断りは通らず、抗いも通らず、通ったのは「同じ目に遭う者を増やしてほしい」という願いだけでした。
変えられた側が、その変化を他人にも及ぼすよう願う。 後味の複雑な結末です。
この神に台詞らしい台詞はほとんどありません。性格を語る材料は、姿の描写と、周囲がどう扱ったかしか残っていません。
そして周囲の扱いは、はっきり二つに割れていました。家の中で花冠を供えて祀る人がいる一方で、不吉なしるしとして祓う人もいました。同じ存在が、信仰の対象にも、恐れの対象にもなっています。
もうひとつ確かなのは、美術がこの主題を手放さなかったことです。眠る像は繰り返し作られ、複製が各地に残り、千数百年後の彫刻家が敷布を彫り足しました。
物語は短く、台詞はなく、それでも像だけが残り続けた。
見る位置によって見えるものが変わるという主題そのものに、時代を超えた関心が向けられ続けています。
ヘルマプロディトスを祀った神殿と遺跡
ヘルマプロディトスを祀った神殿は、確かめられませんでした。
祀られた記録そのものはあります。テオプラストスは、迷信深い男が月の四日に家の像へ花冠を捧げる様子を書いています。ただしこれは家庭内の信仰で、公の神殿ではありません。
物語の舞台となったサルマキスの泉は、小アジアのハリカルナッソス(今のトルコ・ボドルム)に実在しました。ローマの建築家ウィトルウィウスがこの泉について書き、1995年には泉に関わる碑文も見つかっています。ただしこの泉が、この神を祀る施設だったわけではありません。
また、この泉の現在の正確な位置についても、一次の資料で確かめられませんでした。 ここは欄に書かないでおきます。
神殿が建てられなかった理由も考えられます。古代の評価が割れていたためです。家庭で祀る人がいる一方、まれな異変として恐れる見方もありました。公の建物を建てて祀る対象にはならなかったと見るのが自然です。
ヘルマプロディトスが現代に残した痕跡
ヘルマプロディトスの名は、生物学の用語・彫刻・言葉として現代に残りました。
生物学の用語: 一個体が雄と雌の両方の生殖器官を持つことを指す語。ミミズやカタツムリなど、多くの生き物がこれに当たる。神の名がそのまま学術用語になった例のひとつ。
眠るヘルマプロディトスの像: うつ伏せに眠る姿の彫刻。背後から見るのと回り込んで見るのとで印象が変わる作りで、ローマ時代の複製がパリのルーヴル美術館やローマの国立博物館に残る。
ベルニーニの敷布: ルーヴル美術館の像に、十七世紀の彫刻家ベルニーニが大理石で作った寝具が添えられている。古代の像に千数百年後の作家が手を加えた例。
植物学の用語: 一つの花に雄しべと雌しべの両方がある状態を指す語としても使われる。園芸や農学の文献に日常的に現れる。
サルマキスという名: 泉の妖精の名。ハリカルナッソス(今のトルコ・ボドルム)に実在した泉の名でもあり、1995年に関わる碑文が見つかっている。
ヘルマプロディトスが司るもの
婚姻
男女が一つの体になったことから、婚姻に関わる神とされた。アテナイでは月の四日に像へ花冠を捧げる習わしがあったと伝えられる。
和合
二つのものが分かれずに一つになる姿として語られた。
完全性
欠けたところのない一つの体という捉え方があった。ただし同時に、まれな異変として恐れる見方もあった。
美
母アフロディーテから受け継いだとされる美しさが、彫刻の主題として繰り返し扱われた。
ヘルマプロディトスが登場するゲーム・アニメ
創作でこの神が主役になることは多くありません。 物語が短く、本人の行動がほとんど書かれていないためです。
取り上げられる場合も、彫刻としての側面が中心になります。見る位置で見えるものが変わるという主題は、美術の文脈で繰り返し語られてきました。
一方で、拒んだ側の願いが聞き入れられなかったという原典の筋は、あまり触れられません。ギリシャ・ローマ神話には同じ構図の話がいくつもあり、この物語もそのひとつです。
ヘルマプロディトスが登場するゲーム
各種ロールプレイングゲームの変身要素
泉に入ると姿が変わるという仕掛けは、この物語が源流のひとつになっています。
ヘルマプロディトスが登場するアニメ・漫画・映像
西洋美術の解説番組
ルーヴル美術館の眠る像を取り上げる際に、必ずこの神話が説明されます。
神話を扱う解説書
オウィディウス『変身物語』の代表的な話のひとつとして取り上げられます。
姿が入れ替わる筋を持つ作品
体が変わる、二人が一つになるという主題を扱う際に、この神話が引き合いに出されます。
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ヘルマプロディトスについてよくある質問
ヘルマプロディトスは何の神様ですか。
ヘルメスとアフロディーテの子で、男女両方の性質を併せ持つ神です。名前そのものが両親の名を繋げた形になっています。文献に現れるのは紀元前4世紀以降で、オリュンポスの神々よりずっと後になります。
ヘルマプロディトスのローマ名は何ですか。
ローマでも同じくヘルマプロディトゥス(Hermaphroditus)です。名の置き換えは起きませんでした。
ヘルマプロディトスの話はどこに書かれていますか。
ローマの詩人オウィディウス『変身物語』第4巻です。小アジアのカリア地方で泉の妖精サルマキスに迫られ、拒んだにもかかわらず一つの体にされたと語られます。
サルマキスの泉は実在しますか。
実在しました。小アジアのハリカルナッソス(今のトルコ・ボドルム)にあった泉です。ローマの建築家ウィトルウィウスが、この泉に不思議な力はなく、噂は土地の暮らしが変わったことの誇張だと書いています。
両性具有を意味する語はこの神が由来ですか。
そのとおりです。生物学では一個体が雄と雌の両方の生殖器官を持つことを指す用語として使われ、ミミズやカタツムリがその例です。植物学では、一つの花に雄しべと雌しべの両方がある状態を指します。
古代でこの神はどう扱われていましたか。
評価が割れていました。家庭で像に花冠を供えて祀る習わしがあったとテオプラストスが書いている一方で、まれに現れる不吉なしるしと見なす扱いもありました。歴史家ディオドロスは、その両方の見方があると記しています。
ヘルマプロディトスを祀った神殿はありますか。
確かめられませんでした。家庭で像に花冠を供えた記録は残っていますが、公の神殿は見つかっていません。古代の評価が割れていたことが理由と考えられます。