洞窟に隠れて暮らしたプレイアデスの長女。ヘルメスの母。
マイアとは何の神様か
マイアはひとことで言えば表に出ない母です。
天を担ぐアトラスの娘で、七姉妹プレイアデスの長女。アルカディア地方のキュレネ山にある、奥深い洞窟に住みました。
『ホメロス風讃歌』は、この女神が神々の集まりを避けていたと書きます。ゼウスが通ったのは、他の神々が寝静まった夜でした。
生まれたヘルメスは、その日のうちに揺りかごを抜け出し、アポロンの牛五十頭を盗みます。 亀の甲羅から竪琴を作ったのも同じ日です。
戻ってきた子に、母は言います。
いったい何をたくらんでいるのか。 その父は、神々と人間にとって厄介な子を作ったものだ。
名は「母」「乳母」を意味する呼びかけの語で、年上の女性への敬称でもありました。
自分の物語をほとんど持たず、名前そのものが役目になっている女神です。
マイアのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Μαῖα。日本語では「マイア」と書きます。
この名は、神の名である前に呼びかけの言葉でした。年上の女性や乳母に「マイア」と呼びかけるのは、ごく普通の言い方です。産婆を意味する語も、この語から作られています。
混同しやすいのが、ローマのマイアです。ローマにも同じ名の女神がいましたが、こちらは土着の豊穣の女神で、火の神の祭祀と結びついていました。名が同じだったために、後の時代に二柱は重ねられます。
五月の名をこの女神に結びつける説は古代からあります。オウィディウスは『祭暦』の第5巻で、
年長者を意味する語から来たとする説、 マイアの名から来たとする説。
と、いくつもの説明を並べたうえで、どれとも決めていません。 古代の人にも、すでに分からなくなっていたことになります。
Μαῖα(マイア)
古代ギリシャ語の表記。「母」「乳母」を意味する呼びかけの語で、年上の女性への敬称としても使われた。産婆を指す語もここから作られた。
マイアー(マイアー)
長音を残した学術的な表記。
マイエスタ(マイエスタ)
ローマの同名の女神に添えられた呼び名。ギリシャのマイアとは別の土着の女神だったが、名が同じため重ねられた。
キュレネのマイア(キュレネのマイア)
住まいの山の名を添えた呼び方。アルカディア地方のキュレネ山の洞窟が、ヘルメスの生まれた場所とされる。
マイアの物語
キュレネ山の洞窟 ─ 集まりを避けた女神
『ホメロス風讃歌』のヘルメス讃歌は、この母をこう紹介します。
髪の美しいニンフ?は、幸いなる神々の集まりを避け、 影の深い洞窟に住んでいた。
避けていたという一語が重要です。ギリシャの女神は、宴に出て、争って、口をきくのが普通です。この女神は、そもそもその場に行きません。
住まいはアルカディア地方のキュレネ山。この地方は山が深く、都市が育たず、神々が洞窟に住む土地として語られました。 パーンの本場でもあります。
ゼウスが通ったのは、
不死の神々も、人間も眠っている真夜中
でした。他の恋の相手のように、ヘラに見つかって迫害される場面がありません。隠れていたことが、そのまま身を守っています。
この女神には、怒った話も、嘆いた話も、罰を受けた話もありません。ゼウスの相手としては、ほとんど唯一と言っていいほど無事に済んだ例です。
生まれた日の泥棒 ─ 母の叱責
生まれた子の行状は、母と正反対でした。
讃歌によれば、ヘルメスは朝に生まれ、昼に竪琴を作り、夕方にはアポロンの牛を盗んでいます。しかも足跡を消すため、
牛を後ろ向きに歩かせ、自分は木の枝で作った履物を履いた。
夜明け前、赤子は何食わぬ顔で揺りかごに戻りました。母は気づいて咎めます。
いったい何をたくらんでいるのか。 恥知らずな心を持っているね。
息子はこう答えます。母さん、いつまでも洞窟でひもじく暮らしていられない、神々のあいだで自分の分け前を取るのだ、と。
隠れて暮らす母と、表へ出ていく子。 讃歌はこの対比を意識して書いています。
アポロンが乗り込んできたとき、母は「そんなはずはない」と赤子をかばいました。この母の記録は、そのほとんどが息子への台詞です。
のちにゼウスは、熊にされたカリストの子アルカスをこの女神に預けて育てさせた、とアポロドーロスは記します。預けられる相手として選ばれる神でもありました。
プレイアデス ─ 空に上がった七姉妹
マイアは、七姉妹プレイアデスの長女です。父はアトラス、母はオケアノスの娘プレイオネとされます。
七姉妹は狩人オリオンに追われ続け、逃げ切れずにゼウスへ願って星に上げられた、という伝えが広く知られています。いまも空では、オリオンが姉妹を追う位置関係が保たれています。
この星の群れは、ギリシャで農事の暦でした。ヘシオドスは『仕事と日』で、
プレイアデスが昇るとき刈り入れよ。 沈むとき耕せ。
と書いています。神話である前に、実用の目印でした。
日本ではすばると呼ばれます。肉眼では六つほどしか見えないことから、「一つはどこへ行ったのか」という話が各地で語られました。
この群れのなかの一つの星に、マイアの名が付いています。長女にあたる星です。姉妹の名がそれぞれ星に割り当てられており、神話の系譜が、そのまま星の名として残った例です。
マイアの家系図と家族
マイアの性格と人物像
マイアには、性格を語れる材料がほとんどありません。
残っている台詞は、息子を叱る一言と、アポロンに向かって息子をかばう言葉だけです。それ以外の場面には登場しません。
それでも、この女神にははっきりした一貫性があります。人前に出ないことです。
神々の集まりを避け、洞窟に住み、真夜中にだけ訪ねてこられ、息子が神々の列に加わっても自分は上がっていきません。ゼウスの相手のなかで、ほとんど唯一、何の災いも受けずに済んでいます。 ヘラの目に留まらなかったからです。
この静けさは、弱さとして書かれていません。 讃歌は、この女神を「髪の美しい、慎み深いニンフ」と呼び、恥じるべき存在としては描いていません。
もう一つ、預けられる神である点も見落とせません。熊にされたカリストの子を育てたのはこの女神でした。名前が「乳母」を意味することと、役割がそのまま重なっています。
名前どおりに振る舞い、それ以上のことをしない神です。
マイアゆかりの地と遺跡
マイアを祀った神殿は確かめられませんでした。
この女神の場所として語られるのは、アルカディア地方のキュレネ山の洞窟です。ヘルメスが生まれた場所とされ、山上には息子の聖域があったと伝えられます。ただし、その洞窟の住所を一次の資料で確かめられなかったため、ここには挙げていません。
ローマには同じ名の女神の祀りがありましたが、そちらは土着の豊穣の女神で、ギリシャのこの女神とは出自が異なります。
この女神は、息子ヘルメスの信仰のなかで名を呼ばれる形で残りました。 単独の社を持たなかったことは、集まりを避けて洞窟に住んだという伝えと、よく釣り合っています。
マイアが現代に残した痕跡
マイアの名は、星の名と月の名として現代に残りました。
すばるの中の星マイア: プレイアデス星団を構成する明るい星の一つにこの名が付く。周りに広がるガスが照らされて見える部分は、この星の名で呼ばれる。
五月の名: この女神の名から来たとする説が古代からある。ただしオウィディウスは複数の説を並べており、確定していない。
産婆を意味する語: ギリシャ語で産婆を指す語は、この名と同じ語根から作られている。哲学で「産婆術」と訳される語もここから来ている。
プレイアデスという星団の名: 七姉妹の総称がそのまま星団の名になった。日本ではすばると呼ばれ、肉眼で見える数の少なさが各地の伝承を生んだ。
マイアが司るもの
母であること
名がそのまま「母」「乳母」を意味する呼びかけの語である。
養育
熊にされたカリストの子アルカスを預かって育てたと伝えられる。
母子の守護
洞窟で子を産み育てた女神として、母と子をまとめて守る働きが結びつけられた。
星
プレイアデスの長女にあたり、星団のなかの一つの星がこの名を負う。
マイアについてよくある質問
マイアはどんな神ですか。
アトラスの娘で、七姉妹プレイアデスの長女です。アルカディア地方キュレネ山の洞窟に住み、ゼウスとのあいだにヘルメスを産みました。神々の集まりを避けていたと讃歌は書いています。
なぜヘラに罰されなかったのですか。
原典は理由を書きませんが、人目を避けて洞窟に住み、ゼウスが訪ねたのも真夜中でした。ゼウスの相手のなかで、災いを受けずに済んだ数少ない例です。
名前の意味は何ですか。
「母」「乳母」を意味する呼びかけの語です。年上の女性への敬称としても使われました。産婆を指すギリシャ語も同じ語根から作られています。
五月の語源というのは本当ですか。
そう伝える説が古代からありますが、確定していません。オウィディウスは『祭暦』でいくつもの説明を並べ、どれとも決めていません。
祀られた場所はありますか。
確かめられませんでした。キュレネ山の洞窟がヘルメスの生誕地として伝えられますが、住所までは特定できませんでした。この女神は息子の信仰のなかで名を呼ばれる形で残っています。
マイアと併せて覚えたい言葉・用語
ニンフ(Νύμφη)
山・森・泉・木に宿る若い女神たち。神ではあるが不死ではなく、宿る木や泉が滅べば死ぬとされた。ギリシャ神話で最も数の多い存在。