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ギリシャ神話

エウリュディケとは何の神様か|家系図・物語・ゆかりの地

Εὐρυδίκη  / エウリュディケ

冥界 英雄

オルペウスの妻。振り返った夫の目の前で冥界へ引き戻された。

エウリュディケとは何の神様か

エウリュディケはひとことで言えば取り戻す寸前で失われた妻です。ローマでも名は置き換えられず、そのままエウリュディケです。

夫は竪琴の名手オルペウス。歌えば獣も木も岩も動くとされた人物でした。

新妻は草地を歩いていて蛇に噛まれ、そのまま亡くなります。

オルペウスは竪琴を抱えて、生きたまま冥界へ下りました。

歌を聞いて、回り続ける車輪が止まった。 水を汲む娘たちは手を休め、 復讐の女神たちの頬を、はじめて涙が濡らした。

ハデスペルセポネは妻を返すことを認めます。ただし条件が付きました。

地上に出るまで、決して振り返ってはならない。

出口の光が見えたところで、オルペウスは振り返ります。妻は二度目の死を迎え、引き戻されました。

この結末は、書物によって違います。 プラトンは、神々が本人ではなくしか見せなかったと書きます。振り返って失う筋が定着するのは、ローマの詩人たちを経てからです。

エウリュディケのギリシャ名・ローマ名と読み方

古代ギリシャ語では Εὐρυδίκη。日本語では「エウリュディケ」「エウリディケ」が使われます。

ローマでもエウリュディケのままで、名の置き換えは起きませんでした。神ではなく個別の人物なので、対応する神を探す必要がなかったためです。

この名は、古代ギリシャでは珍しくない女性の名でした。 マケドニア王家にも同じ名の女性が複数いて、歴史書に出てきます。神話上の人物の名が、そのまま実在の人名として使われていた例です。

もうひとつ知っておくとよいのは、名が定まるまでに時間がかかったことです。ある古い詩人はオルペウスの妻をアグリオペという別の名で呼んだと伝えられます。

イタリア語ではユリディーチェ。オペラの題名としては、この読みで知られています。

Εὐρυδίκη(エウリュディケ)

古代ギリシャ語の表記。「広く裁く者」「広い正義」と解される語で、ギリシャでは実在の女性の名としても使われた。

Eurydice(エウリュディケ)

ローマでの綴り。名は置き換えられず、そのまま使われた。英語では「ユーリディシー」に近い読みになる。

ユリディーチェ(ユリディーチェ)

イタリア語での読み。オペラの題名や配役表ではこの形が使われる。

エウリディケ(エウリディケ)

日本語での別表記。翻訳や上演によって使い分けられる。

アグリオペ(アグリオペ)

ある古い詩人は、オルペウスの妻をこの名で呼んだと伝えられる。名が一つに定まる前の段階を示す。

エウリュディケの物語

  1. 蛇に噛まれる ─ 死因が版で変わる
  2. 歌で冥界を止める ─ 生きたまま下る
  3. 振り返る ─ なぜ条件が付いたのか
  4. 結末は一つではない ─ 幻を見せられた話
  5. 語られない人 ─ 台詞が一言しかない

蛇に噛まれる ─ 死因が版で変わる

エウリュディケの死は、あっけないものです。

オウィディウス『変身物語』では、婚礼のあと、水の妖精たちと草地を歩いていて蛇に噛まれたとだけ書かれます。理由も、恨みも、企みもありません。

ところがウェルギリウスは、別の事情を書き加えました。

養蜂の術を持つアリスタイオスが、この女に懸想して追った。 逃げる途中、草のなかの蛇を踏んだ。

追われて逃げた末の死になります。同じ場面が、事故から事件に変わりました。

さらにウェルギリウス版では、この死に対する報いも書かれます。妖精たちが怒り、アリスタイオスの蜜蜂はすべて死にました。

どちらが古い形かは決められません。ただ、婚礼の直後に死ぬという設定は共通しています。

結ばれた翌日に失う。

この筋の作りは意図的です。手に入れた直後に失うからこそ、取り戻しに行く動機が成り立ちます。

歌で冥界を止める ─ 生きたまま下る

オルペウスの冥界下りは、武器を使わない唯一の冥界行きです。

ヘラクレスは力でケルベロスを捕らえ、テセウスは椅子に縛られて動けなくなりました。オルペウスが持っていったのは竪琴一つです。

渡し守カロンは、生きた者を舟に乗せません。番犬ケルベロスは、出る者を通しません。それでも歌は通りました。

オウィディウスは、冥界が止まる様子を並べて書いています。

タンタロスは水を追うのをやめ、 イクシオンの車輪は止まり、 シシュポスは岩に腰かけて聞き入った。 復讐の女神たちの頬を、はじめて涙が濡らした。

罰を受けている者たちが、罰を忘れました。冥界の秩序そのものが、歌のあいだだけ停止しています。

オルペウスの願いは筋の通ったものでした。

返してくれと言っているのではない。貸してほしいのだ。 いずれこの者は、必ずここへ戻る。 それまでのあいだ、預からせてほしい。

王と王妃は認めました。ハデスは一度出した条件を必ず守る神です。だから条件も一つだけ、明確に告げられます。

地上に出るまで、振り返ってはならない。

振り返る ─ なぜ条件が付いたのか

二人は暗い道を上ります。妻は後ろを、無言でついてきました。

地上の光が見えたところで、オルペウスは振り返りました。

オウィディウスは、その理由を短く書きます。

彼女を見たいという思いに負け、 そして、彼女がついて来ているか不安になって。
妻はたちまち引き戻された。 手を伸ばしたが、掴んだのは空気だけだった。

最後の言葉も残されています。

さようなら。

聞こえるか聞こえないかの声だった、と書かれています。

なぜ「振り返るな」という条件だったのか。原典は理由を説明しません。ただ、この形の禁令は世界各地の物語に共通して現れます。与えられた条件を一つだけ破って失うという筋です。

重要なのは、この条件が試験として機能していることです。妻がついて来ているかどうかは、振り返らなければ確かめられません。

確かめれば失い、確かめなければ不安のまま歩き続けるしかない。

信じ続けることそのものが条件でした。 オルペウスは、あと数歩というところで耐えられなくなりました。

結末は一つではない ─ 幻を見せられた話

「振り返って失う」という結末は、もっとも古い形ではない可能性があります。

プラトンの対話篇には、まったく違う説明が出てきます。

神々は、オルペウスに妻本人を渡さなかった。 見せたのは幻だけだった。

理由も書かれています。竪琴弾きとして生きたまま冥界に入ろうとした臆病さが、神々の評価に値しなかったから。愛のために死ぬことを選ばなかった、という筋です。

この版には、振り返る場面がありません。最初から連れ戻せていなかった ことになります。

さらに、成功したとする伝えがあった可能性も指摘されています。ある悲劇の合唱歌は、オルペウスの歌が死者を連れ戻す力を持っていたことを、条件付きではない言い方で歌っています。

振り返って失う筋が定着するのは、ウェルギリウスとオウィディウスの手を経てからです。ローマの詩人たちが完成させた形が、以後二千年のあいだ標準になりました。

どちらが本当ということはありません。

ただし、いま世界で語られているエウリュディケ像は、ほぼローマ版です。 数歩手前で振り返る場面がなければ、この物語はこれほど語り継がれなかったでしょう。

語られない人 ─ 台詞が一言しかない

この物語で、エウリュディケが口をきく場面はほとんどありません。

オウィディウスの版で残っている言葉は、引き戻される瞬間の「さようなら」だけです。ウェルギリウスの版ではもう少し長く語りますが、それでも数行です。

何が私たちを滅ぼしたのか。何という狂気が。 見よ、ふたたび残酷な運命が私を呼び戻し、 眠りが私の目を覆う。

それで終わりです。

物語の題名になっている人物が、ほとんど何も語りません。

書かれていないことは多くあります。連れ戻されることを望んでいたのか。後ろを歩きながら何を考えていたのか。夫が振り返ったとき、責めたのか、許したのか。原典は一つも答えていません。

この空白が、後の時代に書き込まれることになります。

二十世紀の詩人リルケは、この空白に正面から手を入れました。彼の詩のエウリュディケは、もう戻りたいと思っていません。

彼女はすでに、自分の死のなかに満たされていた。 誰かの妻であることを、とうに忘れていた。

夫が振り返ったとき、彼女は「誰のこと」と問い返します。

書かれなかった側から書き直すという読み方は、この作品から始まりました。近年、この人物を主役に据えた小説や舞台が続いているのも、同じ空白があるからです。

エウリュディケの家系図と家族

エウリュディケの親: ドリュアス木のニンフの一人とする伝えがある

エウリュディケの性格と人物像

エウリュディケの人物像は、原典からはほとんど組み立てられません。

台詞は数行、行動はほぼ無く、死ぬ場面と引き戻される場面しか書かれていません。名前すら、古い時代には別の名で呼ばれていた可能性があります。

書かれているのは、この人物が「失われるもの」であること、それだけです。

この物語の主語は、一貫してオルペウスです。歌うのも、下るのも、交渉するのも、振り返るのも夫の側で、妻は運ばれ、引き戻されます。

ただし、この構図が二十世紀に反転しました。

リルケの詩は、彼女がすでに死に満たされていて、戻りたいとは思っていない姿を描きます。夫が振り返ったとき、彼女は「誰のこと」と問い返します。連れ戻されることは、必ずしも救いではないという読み方です。

近年の小説や舞台も、この線を引き継いでいます。書かれていない部分が大きい人物ほど、後の時代が書き込む余地は増えます。

エウリュディケの人物像は、原典ではなく後世が作ったと言ったほうが正確です。それは、この人物が長く読み直され続けているということでもあります。

エウリュディケゆかりの地と遺跡

エウリュディケを祀った神殿はありません。 神ではなく、物語の登場人物だからです。

冥界へ下った場所についても、古代から複数の説がありました。

テスプロティア(今のイピロス地方)とする伝え。 ペロポネソス半島南端のタイナロン岬とする伝え。

上に挙げたネクロマンテイオンは、テスプロティア説に当たる地域にあります。アケロン川のほとりで、古くから冥界への入口と考えられてきました。ただしこの遺跡がオルペウスの物語と直接結び付けられた記録はありません。

夫オルペウスのほうには、墓とされる場所が伝えられています。北ギリシャのピエリア地方です。ただしその位置を一次の資料で確かめられませんでした。 ここは書かないでおきます。

二人の物語が実際に残っているのは、土地ではなく美術と音楽のほうです。

ネクロマンテイオン(アケロン川岸)(Nekromanteion)

死者に問うための神託所。冥界の入口とされた地

地図で開く

ネクロマンテイオン(アケロン川岸)の住所: ギリシャ イピロス地方 アケロン川岸(古代エフィラ近郊)

ネクロマンテイオン(アケロン川岸)の祀られた神: (祀られた神はいない。死者に問う場所)

ネクロマンテイオン(アケロン川岸)に残るもの: 石積みの建物跡と地下室

アケロン川のほとりにある、死者に問うための神託所の跡です。ここへ来た人は、暗い通路を進み、地下の部屋で死者の言葉を聞いたとされます。

この一帯は古くから冥界への入口と考えられていました。パウサニアスは、オルペウスが冥界へ下ったのはテスプロティア地方だった と記しています。テスプロティアは、この遺跡のある地域です。

エウリュディケを祀った場所ではありません。 冥界下りの舞台とされた土地として挙げています。

オルペウスが下った場所については、ペロポネソス半島のタイナロン岬とする伝えもあり、一つに定まっていません。

所在は古代地名事典プレイアデス(Nekromanteion)で確認した。

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エウリュディケが現代に残した痕跡

エウリュディケの名は、オペラ・詩・言い回しとして現代に残りました。

グルック「オルフェオとエウリディーチェ」: 1762年に初演されたオペラ。オペラ改革の出発点とされる作品で、現在も世界中で上演されている。

モンテヴェルディ「オルフェオ」: 1607年の作品。現在も定期的に上演される最初期のオペラのひとつで、この物語を題材にしている。

リルケ「オルフォイス、エウリュディケ、ヘルメス」: 1904年の詩。連れ戻されることを望んでいない妻を描き、この人物の読まれ方を大きく変えた。

「振り返ってはならない」という主題: 与えられた条件を一つだけ破って失うという筋の代表例として、文学と映画で繰り返し使われている。

オルペウスとエウリュディケの浮彫: 別れの場面を三人の人物で表した浮彫が、ローマ時代の複製として複数残っている。ナポリ国立考古学博物館などが所蔵する。

エウリュディケが司るもの

祈願の対象ではありません

神ではなく物語の登場人物であり、古代に信仰された記録は残っていない。願をかけた形跡も、供物を捧げた記録も見つかっていない。

エウリュディケが登場するゲーム・アニメ

この物語は、上演される回数でギリシャ神話の最上位に入ります。 オペラの歴史は、ほぼこの題材から始まりました。現存する最初期のオペラがこの物語を扱っており、以後四百年にわたって作られ続けています。

理由ははっきりしています。歌の力で冥界を動かす話だからです。音楽で語るのにこれ以上ふさわしい題材はありません。

一方で、エウリュディケ自身の内面は、長いあいだ描かれませんでした。二十世紀に入ってから、彼女の側から語り直す作品が続いています。原典の空白が大きいことが、逆に書き直しを呼び込んでいます。

エウリュディケが登場するゲーム

Hades(ハデス)

冥界に住む歌い手として登場し、オルペウスとの関係が物語の一本の筋になっています。

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Fate シリーズ

オルペウスに関わる人物として言及されます。

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各種ロールプレイングゲームの「振り返るな」演出

同行者を連れて出口へ向かう際に後ろを見てはいけない、という仕掛けは、この物語が元になっています。

エウリュディケが登場するアニメ・漫画・映像

舞台作品「ハデスタウン」

この物語を現代の労働と貧困に置き換えた音楽劇。2019年にトニー賞を受賞し、各国で上演されています。

映画「黒いオルフェ」

1959年の作品。舞台をリオデジャネイロの祭に移してこの物語を語り直し、カンヌ国際映画祭で最高賞を受けました。

神話を扱う解説書

冥界下りの代表例として必ず取り上げられ、結末が書物によって違うことも併せて説明されます。

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エウリュディケについてよくある質問

エウリュディケとは誰ですか。

竪琴の名手オルペウスの妻です。神ではなく、物語の登場人物にあたります。婚礼の直後に蛇に噛まれて亡くなり、夫が冥界へ連れ戻しに行く物語で知られます。

エウリュディケのローマ名は何ですか。

ローマでも同じくエウリュディケ(Eurydice)です。名の置き換えは起きませんでした。神ではなく個別の人物なので、対応する神を探す必要がなかったためです。

なぜオルペウスは振り返ってしまったのですか。

オウィディウス『変身物語』は、妻を見たいという思いと、ついて来ているか確かめたいという不安の両方を挙げています。妻がついて来ているかどうかは振り返らなければ確かめられないため、この条件は信じ続けられるかどうかの試験として働いています。

エウリュディケは結局どうなりましたか。

書物によって違います。オウィディウスとウェルギリウスでは、夫が振り返ったために二度目の死を迎え、冥界へ引き戻されます。プラトンは、神々が本人ではなく幻しか見せなかったと書いており、そもそも連れ戻せていなかったことになります。

エウリュディケの死因は何ですか。

蛇に噛まれたことです。ただし事情は版によって違います。オウィディウスは草地を歩いていての事故として書き、ウェルギリウスは養蜂の術を持つアリスタイオスに追われて逃げる途中の出来事としています。

エウリュディケを祀った場所はありますか。

ありません。神ではなく物語の登場人物であり、信仰された記録も残っていません。冥界へ下った場所についても、テスプロティア地方とする説とタイナロン岬とする説があり、一つに定まっていません。

エウリュディケを主役にした作品はありますか。

あります。二十世紀の詩人リルケが、連れ戻されることを望んでいない妻の姿を描いて以降、彼女の側から語り直す小説や舞台が続いています。原典で彼女の台詞が数行しかないことが、書き直しの余地になっています。

エウリュディケと併せて覚えたい言葉・用語

二度目の死(にどめのし)

心臓を食われて存在そのものが消えること。エジプト人が最も恐れた事態で、墓に名を刻み続けた理由でもある。

ケルベロス(Κέρβερος)

冥界の門を守る三つ首の犬。入る者は通すが、出る者は通さない。テュポーンとエキドナの子。