冥界の川のニンフ。ハデスに愛され、踏みにじられてハッカになった。
メンテとは何の神様か
メンテはひとことで言えば香りだけになった娘です。
冥界を流れる嘆きの川コキュトスの娘とされる水の精。ハデスに愛されました。
それを知った妃ペルセポネが、この娘を足で踏みにじります。地に伏した体は、
香りだけを残して、一株の草に変わった。
ハッカです。ハッカの仲間をまとめて呼ぶ学名は、この娘の名からできています。
この話は断片的にしか伝わりません。オウィディウスは『変身物語』で一行だけ触れ、地理書はペロポネソス半島にこの名を負う山があり、そのふもとにハデスの聖域とデメテルの木立があったと記します。
踏まれて草になった娘の名が、山の名として残っていたことになります。
ハッカは地味な草ですが、冥界とのつながりは深いものでした。エレウシスの秘儀?で飲まれた大麦の飲み物にも、この仲間の草が混ぜられています。
メンテのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Μίνθη。日本語では「メンテ」または「ミンテ」と書きます。
この名で重要なのは、ギリシャ語では語源をたどれないという点です。ギリシャ人がこの土地に来る前から使われていた、古い植物の名だと考えられています。 同じ性質を持つ語は他にもあり、いずれも土地に根ざした動植物の名前です。
つまり順序が逆になります。娘の名前が草に付いたのではなく、草の名前から娘の話が作られた可能性が高いのです。
この名はラテン語に入り、そのまま植物の分類名になりました。ハッカ、セイヨウハッカ、その仲間をまとめて指す学名は、いまもこの綴りです。
清涼感を与える成分の名も、この語から作られています。歯磨きや飴の袋に印刷されている語は、たどれば冥界の娘に行き着きます。
Μίνθη(メンテ)
古代ギリシャ語の表記。ギリシャ語のなかで語源がたどれず、ギリシャ人が来る前からこの土地にあった草の名とみられている。
ミンテ(ミンテ)
日本語での別表記。植物名の「ミント」に寄せた読み方で、こちらを使う事典もある。
メンタ(メンタ)
ハッカの仲間をまとめて指す学名。この娘の名がラテン語に入った形で、現代の植物学でそのまま使われている。
コキュトスの娘(コキュトスのむすめ)
冥界を流れる嘆きの川の娘とする呼び方。水の精としての出自を示す。
メンテの物語
冥界の川の娘 ─ 王に愛される
メンテの出自は、冥界そのものです。父を嘆きの川コキュトスとする伝えがあり、水の精として生まれました。
冥界の王ハデスが、この娘を愛します。
ギリシャ神話で、ハデスの恋の相手はきわめて少数です。ペルセポネをさらった話が圧倒的に有名で、そのほかにはこのメンテと、白いポプラに変えられたレウケの名が挙がる程度です。
冥界の王には、愛の話がほとんどない。
理由ははっきりしています。ハデスは動かない神として描かれるからです。オリュンポスの宴に出ず、地上に上がらず、自分の国から出ません。そのため、この王の恋はどれも冥界の内側で完結します。
メンテの話も同じです。娘は冥界の川の子で、冥界で愛され、冥界で罰を受けます。
地上に上がる場面がありません。それなのに、この娘だけが地上の草として残りました。 そこがこの話の妙なところです。
踏みにじられて草になる ─ 罰の形
罰を下したのは、ペルセポネです。伝えによっては、その母デメテルが下したとも語られます。
妃はこの娘を足で踏みにじった。
変身譚として見ると、この罰は異例に暴力的です。ギリシャの変身譚では、追われた娘が自ら願って木や泉になる形が多く、月桂樹になったダフネも、葦になったシュリンクスもそうでした。
ここでは違います。罰として、踏まれて草にされています。
もう一つ違うのは、踏まれることが草の性質と結びついている点です。ハッカは踏まれても枯れず、踏まれるほど香りを強く出します。
踏みつけられた場所から、香りが立った。
草の性質を説明するために、この罰の形が選ばれたと読むことができます。
オウィディウスは、この話に一行だけ触れています。アドニスの死を嘆くアフロディテが、ペルセポネには女を香草に変えることが許されたのにと、恨み言として持ち出す場面です。
神話の本筋ではなく、他の話の引き合いとして残ったことになります。
なぜ記録が少ないのか ─ 草の名が先にあった
メンテの物語は、まとまった形では伝わっていません。
断片を集めると次のようになります。オウィディウスが一行、地理書が山の名の由来として数行、漁について書かれた詩がもう少し詳しく。それだけです。
理由は、この存在の成り立ちにあると考えられています。
名がギリシャ語ではないことは先に述べました。草の名が先にあり、その由来を説明するために娘の話が作られたとすれば、物語が薄いのは当然です。説明が付けばよいので、筋を膨らませる必要がありません。
それでも、この草は冥界と結びつけられ続けました。地理書が伝えるところでは、ペロポネソス半島西部にこの名を負う山があり、そのふもとにハデスの聖域とデメテルの木立があったといいます。
草の名が山の名になり、その山に冥界の王が祀られていた。
エレウシスの秘儀で飲まれた大麦の飲み物にも、ハッカの仲間の草が混ぜられました。『ホメロス風讃歌』のデメテル讃歌に、その処方が書かれています。
物語は短いのに、祀りとの接点は多い。 この落差が、メンテという存在の性格をよく表しています。
メンテの家系図と家族
メンテの妻・夫: ハデス冥界の王に愛された
メンテの性格と人物像
メンテには、台詞が一つも残っていません。
愛され、踏まれ、草になる。それだけです。抵抗した記録も、嘆いた記録もありません。
それでも、この存在が忘れられなかったのには理由があります。草そのものが、毎日どこかで踏まれているからです。
ハッカは、道端にも生えるありふれた草です。踏まれても枯れず、踏まれるほど強く香ります。 この性質を知っている者にとって、罰の形はそのまま草の説明になっています。
もう一つ、この存在は冥界の側にいながら、地上でいちばん身近な草になりました。 ハデスの恋の相手のなかで、レウケは白いポプラという限られた木になり、ペルセポネは女王になりました。メンテだけが、台所と薬箱のなかにいます。
性格を語る材料はありませんが、位置は際立っています。 冥界の川の娘が、菓子と歯磨きの香りになっている。神話の名前が現代に残った例のなかでも、これほど日常に近いものは多くありません。
メンテゆかりの地と遺跡
メンテを祀った神殿は確かめられませんでした。 罰を受けて草に変えられた存在であり、信仰の対象ではないためです。
かわりに残ったのは地名です。地理書は、ペロポネソス半島の西部にこの名を負う山があり、そのふもとにハデスの聖域とデメテルの木立があったと記します。草の名が山の名になり、その山に冥界の王が祀られていたことになります。
ただし、この山と聖域の位置を一次の資料で確かめられなかったため、住所はここに書きません。
もう一つの接点が、エレウシスの秘儀です。デメテルが口にしたとされる大麦の飲み物には、ハッカの仲間の草が混ぜられていました。祀られなかったかわりに、祀りの道具として使われ続けた存在です。
メンテが現代に残した痕跡
メンテの名は、植物の名として、いまも毎日どこかで読まれています。
ハッカ属の学名: ハッカ、セイヨウハッカとその仲間をまとめて指す分類名は、この娘の名がラテン語に入った形である。
清涼感を表す成分の名: ハッカから採れる成分の名も、この語から作られている。歯磨きや飴の表示で日常的に目にする語である。
ミンテという山の名: ペロポネソス半島西部に、この名を負う山があったと地理書は記す。ふもとにハデスの聖域があったとされる。
エレウシスの飲み物: 大麦と水にハッカの仲間の草を混ぜた飲み物が、秘儀の場で用いられた。処方は『ホメロス風讃歌』に書かれている。
メンテが司るもの
香り
踏まれるほど香りを立てる草に変えられた娘として語られる。
香料
ハッカの仲間をまとめて指す学名は、この名がラテン語に入った形である。
変化
人の姿を失って草になるという、ギリシャの変身譚の典型にあたる。
心身の清め
ハッカの仲間は古代から祭りの飲み物や香りづけに用いられた。
メンテについてよくある質問
メンテはどんな存在ですか。
冥界を流れる川コキュトスの娘とされる水の精です。冥界の王ハデスに愛され、妃ペルセポネに踏みにじられてハッカに変えられたと伝えられます。
ミントの語源ですか。
そうです。ただし順序は逆かもしれません。この名はギリシャ語では語源をたどれず、ギリシャ人が来る前からあった草の名と考えられています。草の名を説明するために、娘の話が作られた可能性があります。
なぜ踏みにじるという罰なのですか。
原典は理由を書きませんが、ハッカは踏まれても枯れず、踏まれるほど強く香ります。草の性質を説明するために、この形が選ばれたと読むことができます。
物語はどの書物に載っていますか。
まとまった形では伝わっていません。オウィディウス『変身物語』が一行だけ触れ、地理書が山の名の由来として記し、漁を歌った詩がもう少し詳しく語る程度です。
祀られた場所はありますか。
ありません。罰を受けて草にされた存在で、信仰の対象ではないためです。ただしペロポネソス半島西部にこの名を負う山があり、そのふもとにハデスの聖域があったと地理書は記しています。
メンテと併せて覚えたい言葉・用語
エレウシスの秘儀(エレウシスのひぎ)
デメテルとペルセポネの物語を核とする儀式。約二千年続き、身分や国籍を問わず参加できた。口外は死罪で、内容は現在も分かっていない。