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ローマ神話

ウィルトゥースとは何の神様か|家系図・物語・祀った神殿

Virtus  / ウィルトゥース

抽象概念の神

勇の女神。ホノースと対になった二重の神殿で祀られた。

ウィルトゥースとは何の神様か

ウィルトゥースはひとことで言えば勇を神にしたものです。名は「男」を意味する語から作られていて、もともとは男らしさ、そこから戦場での勇気を指しました。

名高いのはホノース(名誉)と対になった二重の神殿です。カペーナ門の外にあり、前234年ごろにファビウス・マクシムスが、のち前205年ごろにマルケッルスが建て直しました。

この建物には仕掛けがありました。

ホノースの部屋へ入るには、まずウィルトゥースの部屋を通らねばなりません。

勇を経てはじめて名誉に至るという教えとして、古代から繰り返し語られています。

マルケッルスがシュラクサイから運んだ美術品が、この神殿に飾られました。ギリシャの美術がローマの人々の目に触れる早い機会となります。

貨幣では兜をかぶり槍を持つ姿で表されます。女神でありながら、身なりは戦士です。

徳の名が女性名詞であるために、男らしさの神が女神の姿をとりました。

ウィルトゥースのローマ名・ギリシャ名と読み方

日本語では「ウィルトゥス」「ウィルトゥース」の両方が見られます。長音を書かない形のほうが多く使われます。

名の作られ方に注意が要ります。男を意味する語に、性質を表す語尾が付いた形です。直訳すれば「男であること」になります。

ところが、その語自体は女性名詞です。

そのため、男らしさを指す神が女神の姿をとるという形になりました。ローマの抽象概念の神が女性の姿で表されるのは、この文法上の理由によります。

意味は時代とともに広がりました。戦場での勇気から、やがて徳一般を指すようになります。近代の諸言語で徳や美点を意味する語は、この語から出ています。

なお、日本語の資料では「ホノースとウィルトゥース」として二柱まとめて扱われることが多くなっています。

Virtus(ウィルトゥース)

ラテン語の主格。属格はウィルトゥーティスとなる。男を意味する語から作られた抽象名詞で、男らしさ、そこから勇気と徳を指すようになった。

Honos et Virtus(ホノース・エト・ウィルトゥース)

名誉と勇という組み合わせ。カペーナ門の外の二重の神殿を指す言い方で、二柱を並べて呼ぶのが慣わしだった。

Virtus Augusti(ウィルトゥース・アウグスティ)

皇帝の勇という意味。帝政期の貨幣に刻まれた形で、兜をかぶり槍と短剣を持つ姿が添えられることが多い。

ウィルトゥースの物語

  1. 二重の神殿 ─ ファビウスとマルケッルス
  2. 勇を通らねば名誉に至らない ─ 部屋の並び
  3. シュラクサイから来た美術品 ─ 戦利品の展示
  4. 兜をかぶった女神 ─ 図像と広がり

二重の神殿 ─ ファビウスとマルケッルス

ウィルトゥースの神殿は、カペーナ門の外にありました。市の南、アッピア街道が始まるあたりです。

始まりは前234年ごろとされます。クィントゥス・ファビウス・マクシムスホノース(名誉)の神殿を建てました。

はじめは、名誉の神殿だけでした。

前205年ごろ、マルケッルスが建て直しにかかります。シュラクサイを攻め落とした将軍です。

ところが、ここで問題が起きました。一つの部屋に二柱を祀ってはならないと神官団が判断したのです。落雷などの前触れがあったとき、どちらの神への警告か区別できなくなる、というのが理由でした。

そこでマルケッルスは、部屋を二つ作りました。 ホノースの部屋とウィルトゥースの部屋です。

神殿が二重になったのは、思想からではなく、祭祀の規則から出た形でした。

奉献したのは、マルケッルスの死後、その子とされます。

勇を通らねば名誉に至らない ─ 部屋の並び

この神殿でもっとも知られているのは、部屋の並び方です。

ホノースの部屋へ入るには、まずウィルトゥースの部屋を通らねばなりませんでした。

勇を経てはじめて、名誉に至る。

古代から、この配置は教えとして語られてきました。名誉は先に手に入るものではなく、勇の先にあるという読み方です。

先に述べたとおり、部屋が二つになった直接の理由は祭祀の規則でした。しかし、どちらを手前に置くかは選べます。 ローマ人は勇を手前に置きました。

この配置は、ローマの価値の順序をそのまま形にしています。生まれや家柄ではなく、戦場でのはたらきが先という建前です。

もっとも、現実の共和政ローマでは家柄がものを言いました。だからこそ、建前を建物にしておく必要があったとも読めます。

神殿は帝政期にも残り、修復の記録があります。いまは地上に何も残っていません。

シュラクサイから来た美術品 ─ 戦利品の展示

マルケッルスは前212年にシュラクサイを攻め落としました。シチリア島のギリシャ人の都市です。

このとき、大量の美術品がローマへ運ばれました。彫刻、絵画、装飾品。それらの多くが、ホノースとウィルトゥースの神殿に飾られます。

ローマ人が、ギリシャの美術をまとめて目にした早い機会でした。

この出来事は、当時から議論を呼びました。古い気風を重んじる人々は、こうした美術品がローマ人を柔弱にすると批判しました。

一方で、これをきっかけにローマの美術への関心が高まったことも確かです。以後、将軍が戦利品として美術品を持ち帰り、神殿に飾ることが慣わしになります。

神殿は、祈りの場であると同時に、戦利品の展示場でもありました。

なお、シュラクサイの攻略のとき、数学者アルキメデスが殺されています。マルケッルスは彼を生け捕るよう命じていたと伝えられ、その死を惜しんだとされます。

兜をかぶった女神 ─ 図像と広がり

ウィルトゥースの姿は、貨幣を通じて広く知られていました。

兜をかぶり、槍を持ち、短い衣をまとった姿です。片方の肩や胸をあらわにした形で表されることもあります。

女神でありながら、身なりは戦士です。

この形は、ギリシャの女神アテナの図像を下敷きにしているとみられます。ただしローマでは、女神本人の物語ではなく兵士の徳を示す記号として使われました。

帝政期にはウィルトゥース・アウグスティの形で、皇帝の貨幣に繰り返し刻まれます。軍の遠征や勝利のときに選ばれる文言でした。

ホノースと並べて刻まれることも多く、二つの頭を向かい合わせに置いた図が知られています。

軍団の駐屯地の碑文にも、この名が見えます。属州の兵士たちが、自分たちの徳としてこの神を掲げていました。

いまも軍隊や学校の標語に、この語が使われることがあります。

ウィルトゥースの家系図と家族

ウィルトゥースのきょうだい: ウィクトーリア勝利と勇として並べられるベローナ戦と勇として並べられる

ウィルトゥースの性格と人物像

ウィルトゥースは、ローマ人が自分をどう見せたかったかを示す神です。

家柄でも財産でもなく、戦場でのはたらきによって人が測られるという建前。それを建物の形にしたのが、ホノースとの二重の神殿でした。

勇の部屋を通らねば、名誉の部屋には入れません。

研究の上では、この神は共和政の価値観がどう表明されたかを読む材料として扱われます。実際のローマは家柄の力が強い社会でしたが、だからこそ建前が明示されました。

図像の面でも独特です。男らしさを意味する語が女性名詞であるために、兜をかぶった女神という姿が生まれました。 文法が図像を決めた例です。

意味は時代とともに広がり、戦場の勇気から徳一般へと移りました。近代の諸言語で徳を指す語は、この神の名から出ています。

日本語版のウィキペディアでは、この項目は「ホノースとウィルトゥース」へ転送されます。

ウィルトゥースを祀った神殿と遺跡

ウィルトゥースを祀った場所として住所を確かめられたのは、ホノースとウィルトゥースの神殿と、それが置かれたカペーナ門の一帯です。

この二つは同じ場所を指しています。神殿は門の外にありました。

凱旋する軍が最初に通る道に、勇の神殿が置かれていました。

どちらも地上に遺構は残っていません。 神殿の正確な位置についても、いくつかの説があります。

なお、マリウスが建てたとされるホノースとウィルトゥースの神殿がもう一つ伝えられていますが、その位置は特定されていません。 住所を書ける場所ではないため、ここには挙げていません。

ホノースとウィルトゥースの神殿(Aedes Honoris et Virtutis)

名誉と勇を祀った二重の神殿

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ホノースとウィルトゥースの神殿の住所: イタリア ローマ カペーナ門の外(北緯41.8840 東経12.4910)

ホノースとウィルトゥースの神殿の祀られた神: ホノース・ウィルトゥース

ホノースとウィルトゥースの神殿に残るもの: 地上に残っていない

ホノースとウィルトゥースの神殿のご利益: 戦場での勇

前234年ごろにファビウス・マクシムスがホノースの神殿を建て、前205年ごろにマルケッルスが建て直しました。

一つの部屋に二柱を祀ってはならないという神官団の判断により、部屋が二つ作られました。 ホノースの部屋へ入るには、まずウィルトゥースの部屋を通らねばなりません。

マルケッルスがシュラクサイから運んだ美術品が飾られました。地上に遺構は残っていません。

カペーナ門の外、アッピア街道の起点にあたる一帯。遺構は見られない。

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カペーナ門(Porta Capena)

神殿が置かれた市門の一帯

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カペーナ門の住所: イタリア ローマ カペーナ門跡(北緯41.8840 東経12.4910)

カペーナ門の祀られた神: (門そのものに祭神は無い)

カペーナ門に残るもの: 門は残っていない。跡地が広場として整えられている

カペーナ門のご利益: (門としての通過点)

ローマの古い市壁の門で、アッピア街道の起点にあたります。ホノースとウィルトゥースの神殿は、この門を出たところにありました。

門の外という位置に意味があります。凱旋する軍は、この道からローマへ入りました。 戦場から戻る者が最初に通る一帯に、勇と名誉の神殿が置かれていたことになります。

門そのものは残っていません。いまは緑地と道路が交わる一帯になっています。

チルコ・マッシモの南東。カラカラ浴場へ向かう道の途中にあたる。

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ウィルトゥースが現代に残した痕跡

ウィルトゥースの名は、徳を意味する近代の語として残りました。

徳を意味する語: ヨーロッパの諸言語で徳や美点を指す語が、この女神と同じラテン語から出ている。

兜をかぶった女神の図像: 槍と短い衣をまとった姿。兵士の徳を示す記号として貨幣や碑文に繰り返し用いられた。

勇と名誉の順序: 勇の部屋を通らねば名誉の部屋に入れないという配置が、教えとして語り継がれている。

軍隊や学校の標語: この語を掲げる標語がいまも各国で使われ、勇気と徳を並べて示す形が続いている。

ウィルトゥースが司るもの

戦場での勇

危険を前にしてひるまないことを司るとされた女神。

名誉に至る道

ホノースと対をなし、勇を経てはじめて名誉に至ると説かれた。

兵士の守り

属州の軍団の碑文にも名が刻まれ、兵士たちの徳とされた。

ウィルトゥースが登場するゲーム・アニメ

作品でのウィルトゥースは、徳の寓意像として受け継がれました。

兜と槍を持つ女性像は、近世の記念建造物や公共建築の装飾に繰り返し置かれています。ホノースと対にした構図も残りました。

名は忘れられ、姿と順序が残りました。

古代ローマを扱う歴史の書物では、勇を通らねば名誉に至らないという部屋の配置が、ローマの価値観を語るときにほぼ必ず引かれます。

日本語の資料では「ホノースとウィルトゥース」として二柱まとめて扱われるのが通例です。

ウィルトゥースが登場する絵画・彫刻

徳の寓意像

兜と槍を持つ女性像として、近世の記念建造物に置かれます。

勇と名誉の対の像

二柱を並べた構図が、公共建築の装飾に受け継がれました。

ウィルトゥースが登場する図像・貨幣

皇帝の貨幣

軍の遠征や勝利のときに、皇帝の勇として刻まれます。

軍団の碑文

属州の駐屯地に、兵士たちが名を刻んだ碑が残っています。

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ウィルトゥースについてよくある質問

ウィルトゥースはどんな神ですか。

勇を神としたローマの女神です。名は男を意味する語から作られ、戦場での勇気を指しました。ホノースと対になった二重の神殿がカペーナ門の外にありました。

なぜ神殿が二重になっているのですか。

一つの部屋に二柱を祀ってはならないと神官団が判断したためです。落雷などの前触れがあったとき、どちらの神への警告か区別できなくなるという理由が伝えられています。

なぜ男らしさの神が女神なのですか。

この語がラテン語で女性名詞だからです。ローマの抽象概念の神が女性の姿で表されるのは文法上の理由によります。図像では兜をかぶり槍を持つ戦士の姿になっています。

神殿はいま見られますか。

カペーナ門の外にありましたが、地上に遺構は残っていません。現在は緑地と道路が交わる一帯で、正確な位置についてもいくつかの説があります。