世界を取り巻く大蛇。トールと相討ちになる。

「トールとヨルムンガンド(アイスランド写本 SÁM 66)」 / パブリックドメイン 出典
ヨルムンガンドとは何の神様か
ヨルムンガンドの名前の表記と読み方
古ノルド語では Jörmungandr または Miðgarðsormr。日本語では「ヨルムンガンド」が定着しています。
原典ではミズガルズオルム(ミッドガルド?の蛇)という呼び方のほうが多く使われます。ミッドガルドとは人間の住む世界のことです。
つまり本来の呼び名は固有名詞ではなく、「人間界を取り巻く蛇」という説明そのものです。
Jörmungandr(ヨルムンガンド)
古ノルド語の表記。「巨大な杖」「途方もない魔物」などと解釈される。
Miðgarðsormr(ミズガルズオルム)
「ミッドガルドの蛇」の意。人間の住む世界を取り巻くことによる。原典ではこちらの呼び名が多い。
ミッドガルドの大蛇(みっどがるどのだいじゃ)
日本語での一般的な訳語。世界蛇と訳されることもある。
ヨルムンガンドの物語
海に捨てられる ─ そこで育ってしまう
猫を持ち上げられない ─ 一度目の対面
トールとロキが巨人の王ウートガルザ・ロキの城を訪れたときのことです。
一行は次々に勝負を挑まれ、ことごとく負けました。トールは飲み比べで角杯を飲み干せず、老婆との相撲にも敗れます。
そのなかに、こんな課題がありました。
この猫を持ち上げてみよ。 ここの若者たちがよくやる遊びだ。
灰色の猫が現れます。トールは腹の下に手を入れて持ち上げようとしました。
猫は背を丸めた。トールが力を込めるほど、背は高く曲がった。ついに彼は、足を一本だけ床から離させた。
それが限界でした。
翌朝、城を出るときにウートガルザ・ロキが正体を明かします。
あれは猫ではなかった。ミッドガルドの蛇である。おまえは蛇の足を一本、地から離させた。 見ていた我らは、恐怖した。
トールは、世界を取り巻く蛇を少しだけ持ち上げていました。
釣り上げかける ─ 二度目の対面
トールはこの一件を根に持ちます。もう一度、蛇に会いに行きました。
巨人ヒュミルの舟に乗り込み、餌に牛の頭を丸ごと使います。ヒュミルが止めるのも聞かず、沖へ沖へと漕ぎ出しました。
蛇が食いついた。
トールは全力で引きます。
両足が舟底を突き抜け、海底に達した。 そして蛇を舷側まで引き上げた。
蛇とトールは、至近距離で睨み合います。 蛇は毒を吐きました。
トールは槌ミョルニル?を振り上げます。そのとき──
ヒュミルが釣り糸を切った。
蛇は海へ沈んでいきました。トールは激怒し、巨人を海へ叩き込みます。
あと一撃で終わっていた。 しかし新エッダはこう付け加えます。
だが蛇は今も生きている。 大地を取り巻いたままで。
終わらせられなかったからこそ、ラグナロクが来ます。
世界の輪郭として ─ 動かない怪物
この蛇には、能動的に何かをした場面がほとんどありません。
フェンリルは鎖を破りました。ヘルは死者を治めています。ロキは動き回ります。
ヨルムンガンドは、ただ海の底で世界を締めているだけです。
しかしその存在は、世界の構造そのものになっています。
大地があり、それを海が取り巻き、その海を蛇が取り巻いている。 地図がそういう形をしていました。
自らの尾を咥えて輪になった蛇の姿は、ウロボロスとして世界各地の神話に現れる形でもあります。
始まりと終わりがつながった形。 それが世界の縁にいる。
北欧の人々にとって、海の向こうに何があるかという問いへの答えが、この蛇でした。
ラグナロク ─ 九歩の距離
終末の日、海が荒れます。
蛇が身をよじり、陸へ向かった。 そのために海が大地へ押し寄せた。
世界を締めていた輪が解けたのです。海面が上がり、大地が沈みます。
蛇は毒を吐きながら地上へ上がってきました。空も海も毒に染まります。
迎え撃つのはトール。三度目の対面です。
トールはミッドガルドの蛇を殺した。
決着はつきました。トールが勝ちました。
そして──
彼はそこから九歩あゆみ、蛇が吐いた毒のために地に倒れた。
九歩。
北欧神話でもっとも有名な数字です。勝ったのに、九歩しか歩けなかった。
猫を持ち上げようとして足一本しか浮かせられず、釣り上げかけて糸を切られ、三度目にようやく倒して、九歩で死ぬ。
二人とも、この因縁からは出られませんでした。
ヨルムンガンドの家系図と家族
ヨルムンガンドの性格と人物像
ヨルムンガンドは、意思を示さない存在です。
喋りません。企みません。恨み言も残していません。海の底で、世界を締めているだけです。
それでいて、北欧神話でもっとも長く続く因縁の一方を担っています。
興味深いのは、トールの側だけが執着していることです。
猫を持ち上げられなかったことを根に持ち、わざわざ舟を出して釣りに行き、最後に決着をつける。動いているのはいつもトールです。
蛇のほうは、餌に食いついただけ、身をよじっただけ、毒を吐いただけ。
相手の存在そのものが挑戦になっている。 神話でこういう形の宿敵は珍しく、この蛇は倒すべき敵というより、越えられない大きさとして置かれています。
世界を一周する長さのものを、槌ひとつで殺そうとする。トールの戦いは、最初から世界の縁に挑む行為でした。
ヨルムンガンドゆかりの地と遺跡
この蛇を祀った場所はありません。 しかし図像はもっとも多く残っています。
スウェーデン、イギリス、デンマーク。三か国に、同じ「釣りの場面」の石が残っている。
神々を刻んだ石は数多くありますが、同じ一場面がこれほど繰り返し彫られた例はほかにありません。 ヴァイキングの人々が、この対決をよほど好んでいたことが分かります。
アルトゥナの石碑(Altuna runsten)
釣りの場面を刻んだルーン石碑
アルトゥナの石碑の住所: スウェーデン ウップランド地方アルトゥナ
アルトゥナの石碑に残るもの: ルーン石碑(11世紀)
トールが蛇を釣り上げる場面が刻まれたルーン石碑です。舟の底を足が突き抜けている様子まで彫られています。
両足が舟底を突き抜け、海底に達した。
という新エッダの記述が、そのまま石に彫られているわけです。文献と図像が一致する貴重な例とされています。
現地に立っており、屋外で見学できる。
ゴスフォースの釣り石(Gosforth Fishing Stone)
イングランドに残る同じ場面
ゴスフォースの釣り石の住所: イギリス カンブリア州ゴスフォース
ゴスフォースの釣り石に残るもの: 石板(10世紀)
同じくトールの釣りの場面を刻んだ石です。牛の頭を餌にしている点まで描かれています。
スウェーデンとイングランドという離れた土地で、同じ場面が選ばれて彫られた。 この逸話がヴァイキング世界で広く共有されていたことを示します。
ゴスフォース十字架と同じ教会にある。
ヨルムンガンドが現代に残した痕跡
ヨルムンガンドの姿は、言葉と図像の両方で受け継がれました。
ウロボロスとの共通性: 自らの尾を咥えて輪になる蛇は、エジプトやギリシャにも現れる形。循環や永遠を表す図像として世界的に共通する。
「九歩」という表現: トールが毒を浴びて九歩あゆんで倒れる場面から、辛勝や引き分けを指す比喩として引用される。
海が陸を呑むという終末観: 蛇が身をよじって海面が上がるという記述は、北欧の高潮や津波の経験を反映したものとする説がある。
創作での定番の名: 巨大な蛇や竜の名として、ゲームや漫画で繰り返し使われている。
ヨルムンガンドが司るもの
世界を保つこと
大地を取り巻いて締めている。この蛇が身をよじれば海が陸を呑む。
毒
吐く毒は空と海を染め、トールを九歩で倒すほどのもの。
循環
自らの尾を咥える姿は、始まりと終わりがつながる形として各地の神話に共通する。
ヨルムンガンドが登場するゲーム・アニメ
「世界を取り巻く蛇」という設定の強さで受け継がれている存在です。姿の壮大さが分かりやすく、多くの作品で最大級の敵として扱われます。
原典との違いは、創作では蛇の側にも意思が与えられがちな点です。原典のヨルムンガンドは何も語らず、ただそこにいるだけでした。
ヨルムンガンドが登場するゲーム
ヨルムンガンドが登場するアニメ・漫画・映像
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ヨルムンガンドについてよくある質問
ヨルムンガンドとは何ですか。
ロキの子である大蛇です。オーディンに海へ投げ込まれ、そこで育って世界をぐるりと取り巻き、自らの尾を咥えるほどの大きさになりました。
ヨルムンガンドとトールの関係は何ですか。
宿敵です。三度出会っています。巨人の国で猫に化けた姿を持ち上げようとして足一本しか浮かせられず、次に釣りで釣り上げかけて糸を切られ、ラグナロクで倒しますが相討ちになります。
トールはなぜ九歩で倒れたのですか。
蛇を倒した際に浴びた毒のためです。勝利した直後に九歩あゆんで地に倒れたと記されます。
ミッドガルドの蛇とヨルムンガンドは同じですか。
同じです。ミズガルズオルム(ミッドガルドの蛇)が原典で多く使われる呼び名で、人間の住む世界を取り巻くことに由来します。
ヨルムンガンドの兄弟は誰ですか。
狼フェンリルと、死者の国の女王ヘルです。いずれもロキと巨人の女アングルボザの子です。
ヨルムンガンドと併せて覚えたい言葉・用語
ラグナロク(Ragnarök)
北欧神話の終末。神々と巨人が戦い、双方がほぼ全滅して世界が焼け落ち、海に沈む。そののち新しい大地が浮かび上がる。
ミッドガルド(Miðgarðr)
人間が住む世界。ユミルの睫毛で作った城壁に囲まれているとされる。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
ミョルニル(Mjölnir)
トールの槌。投げれば必ず手に戻る。小人が作ったが、ロキの妨害で柄が短くなった。