戦場で死者を選ぶ乙女たち。

W. Heine 「三人のヴァルキュリャ」 / パブリックドメイン 出典
ヴァルキュリャとは何の神様か
ヴァルキュリャはひとことで言えば死を選ぶ者たちです。
名の意味がそのまま役割です。「戦死者を選ぶ者」。
重要なのは、戦って死んだ者を運ぶのではないという点です。
彼女たちは誰が死ぬかを決め、勝敗を左右する。
先に決めています。
選ばれた勇士はヴァルハラ?へ運ばれ、そこで毎日戦い、毎晩よみがえって宴を開きます。ラグナロク?に備えた軍勢です。
ヴァルキュリャたちはヴァルハラで蜜酒を注いで給仕します。
個々に名を持つ者もおり、なかでもブリュンヒルドが有名です。オーディンの意に背いて、勝たせるべきでない王を勝たせたため、炎に囲まれた城で眠らされました。
この物語が、のちに『ニーベルンゲンの歌』やワーグナーの楽劇へ受け継がれます。
ヴァルキュリャの名前の表記と読み方
古ノルド語では Valkyrja(複数形 Valkyrjur)。日本語ではヴァルキリー(英語形)、ワルキューレ(ドイツ語形)、ヴァルキュリャ(原語形)が併用されます。
語の作りは明快です。valr(戦場に横たわる死者)+ kjósa(選ぶ)。戦死者を選ぶ者という、役割そのものの名です。
ヴァルハラ(Valhöll)も同じ valr を含み、「戦死者の館」を意味します。
Valkyrja(ヴァルキュリャ)
古ノルド語の表記。valr(戦死者)+ kjósa(選ぶ)で「戦死者を選ぶ者」の意。
Valkyrie(ヴァルキリー)
英語での綴り。日本語ではこの形がもっとも広く使われる。
Walküre(ワルキューレ)
ドイツ語での表記。ワーグナーの楽劇の題名として知られる。
skjaldmær(シルドメイ)
「盾の乙女」の意。人間の女戦士を指す別の語で、ヴァルキュリャとは本来別のもの。
ヴァルキュリャの物語
- 誰が死ぬかを決める ─ 運ぶ者ではない
- ヴァルハラへ運ぶ ─ 毎日死んで毎晩よみがえる
- ブリュンヒルド ─ 命令に背いた一人
- シグルズと出会う ─ 悲劇の始まり
- ラグナロク ─ 集めた軍勢はどうなったか
誰が死ぬかを決める ─ 運ぶ者ではない
もっとも誤解されているのが、この点です。
ヴァルキュリャは、死んだ勇士を天国へ運ぶ天使ではありません。
新エッダ?はこう記します。
オーディンは彼女たちをあらゆる戦いへ送る。 彼女たちは誰が殺されるかを選び、勝利を裁定する。
選ぶのが先です。
古エッダ?にはさらに生々しい場面があります。「ダルーズの歌」では、ヴァルキュリャたちが機を織っています。
縦糸は人の腸。錘は人の頭。杼は剣。筬は矢。
血で織られた布が、その日の戦の結果です。
織りながら彼女たちは歌います。「我らが織る。我らが決める。」
愛らしい姿で描かれることが多いこの存在は、原典ではきわめて恐ろしいものです。
ヴァルハラへ運ぶ ─ 毎日死んで毎晩よみがえる
選ばれた戦死者はエインヘリャルと呼ばれ、ヴァルハラへ迎えられます。
この館の造りが異様です。
屋根は盾で葺かれ、垂木は槍でできている。扉は五百四十あり、ラグナロクの日には一つの扉から八百人が並んで出る。
計算すると、四十三万人以上です。
彼らの日課はこうです。
毎日、彼らは武装して戦い、互いを殺し合う。 それが彼らの遊びである。食事の時刻になると起き上がり、館へ戻って飲む。
食べるのは、毎晩よみがえる猪セーフリームニル。飲むのは、山羊ヘイズルーンの乳から作られる蜜酒。
そしてヴァルキュリャたちが酒を注ぎます。
戦い、死に、よみがえり、また飲む。 それが北欧の戦士にとっての理想の死後でした。
すべてはラグナロクの日に備えるためです。
ブリュンヒルド ─ 命令に背いた一人
ヴァルキュリャのなかで、もっとも名高いのがブリュンヒルドです。
この乙女は、ある戦いで判断を間違えました。いや、自分の判断を通しました。
オーディンは老王ヒャールムグンナルを勝たせるよう命じていました。
しかしブリュンヒルドは、若いアグナルのほうを勝たせました。
古エッダはその理由を、彼女自身の言葉で記します。老王より若者のほうがふさわしいと考えたのです。
オーディンの罰は重いものでした。
おまえは二度と戦を選んではならない。 そして結婚することになるだろう。
ヴァルキュリャにとって、これは役目の剥奪です。
ブリュンヒルドは答えます。
ならば恐れを知らぬ男でなければ、私は嫁がない。
オーディンは彼女を眠らせ、周囲を炎の壁で囲みました。
炎を越えられる者だけが、彼女を得られる。
シグルズと出会う ─ 悲劇の始まり
炎を越えたのは、竜ファーヴニルを殺した英雄シグルズでした。
眠りから覚めたブリュンヒルドは、シグルズにルーンの知識を授けます。勝利のルーン、癒しのルーン、言葉のルーン。この場面は古エッダの重要な一節です。
二人は誓いを交わしました。
しかしシグルズは、別の王家で記憶を失う酒を飲まされ、グズルーンと結婚してしまいます。
さらに、義兄グンナルのためにシグルズがグンナルの姿に変身して炎を越え、ブリュンヒルドを得ました。
真実を知ったブリュンヒルドは、シグルズを殺させます。
そして自らも命を絶ち、シグルズと同じ火葬の炎に身を投じました。
役目を離れた乙女が、恋のために英雄を殺し、自分も死ぬ。
この物語は『ヴォルスンガ・サガ』から『ニーベルンゲンの歌』へ、そしてワーグナーの『ニーベルングの指環』へと受け継がれ、ヨーロッパ最大の英雄譚になりました。
ラグナロク ─ 集めた軍勢はどうなったか
終末の日、ヴァルハラの扉が開きます。
一つの扉から八百人が並んで出る。狼と戦うために。
四十三万の戦士。何百年もかけて選び、集められた軍勢です。
オーディンが片目を捧げ、自らを木に吊るし、ヴァルキュリャを送り続けて集めた唯一の切り札でした。
結果はどうだったか。
神々は負けます。
オーディンは狼に呑まれ、トールは毒に倒れ、フレイは剣を持たずに討たれ、世界は炎に焼かれて海に沈みます。
エインヘリャル?たちが何をしたのか、具体的には書かれていません。
何百年もかけた準備は、結末を変えませんでした。
これが北欧神話のもっとも厳しい部分です。知っていて、備えて、それでも負ける。 備えたこと自体は否定されません。ただ、結末は変わらない。
ヴァルキュリャの家系図と家族
ヴァルキュリャの性格と人物像
ヴァルキュリャは、個人ではなく役目です。
多くは名前しか残っていません。「戦の乙女」「槍を投げる者」「盾を鳴らす者」といった、機能を表す名が並びます。
しかし例外がいます。ブリュンヒルドです。
この乙女だけが、命令に背きました。 そして罰を受け、恋をし、裏切られ、英雄を殺させ、自ら死にました。
役目でしかなかった存在が、一人だけ人間になった。
そしてそのブリュンヒルドの物語が、北欧神話のなかでもっとも広くヨーロッパに広まりました。 ニーベルンゲンの歌へ、ワーグナーへ、そして現代の創作へ。
興味深い事実です。神々の物語ではなく、命令に背いた一人の乙女の物語のほうが残った。
死を選ぶ側にいた者が、自分の死を自分で選ぶ。ヴァルキュリャという存在は、最後にそこへ行き着きます。
ヴァルキュリャゆかりの地と遺跡
ヴァルキュリャを祀った場所はありません。 神ではなく、オーディンに仕える存在だからです。
しかし図像はきわめて豊富に残っています。 剣を構えた小像、角杯を掲げた小像、そして死者を迎える石碑。
祀るためではなく、身につけるために作られました。 これらの小像の多くは護符や装身具です。戦いに出る者が、選ぶ側の姿を持ち歩いていたことになります。
ハールビュのヴァルキュリャ像(Hårby-valkyrien)
剣と盾を持つ女性像
ハールビュのヴァルキュリャ像の住所: デンマーク フュン島ハールビュ/デンマーク国立博物館蔵
ハールビュのヴァルキュリャ像に残るもの: 銀の小像(高さ約3.4cm)
2012年にデンマークで発見された小像です。剣と盾を構えた女性を、立体的に造形しています。
それまでヴァルキュリャは平面的な図像でしか知られておらず、立体像として初めて確認された例として大きく報じられました。
武装した女性像が実際に作られていたことを示す、決定的な証拠です。
デンマーク国立博物館で展示されている。
ティスセの角杯を持つ女性像(Tissø)
酒を差し出す姿の小像
ティスセの角杯を持つ女性像の住所: デンマーク シェラン島ティスセ湖畔
ティスセの角杯を持つ女性像に残るもの: 銀・青銅の小像
角杯を掲げた女性の小像が複数出土しています。ヴァルハラで戦士に蜜酒を注ぐヴァルキュリャの姿とする解釈が有力です。
同じ形の図像はスウェーデンのゴットランド島の絵画石碑にも見られ、馬に乗った戦士を角杯で迎える女性が繰り返し描かれています。
デンマーク国立博物館などに収蔵されている。
ゴットランドの絵画石碑(Gotlands bildstenar)
死後の世界を描いた石
ゴットランドの絵画石碑の住所: スウェーデン ゴットランド島/ゴットランド博物館
ゴットランドの絵画石碑に残るもの: 石碑(8〜11世紀)
ゴットランド島には絵画石碑が数百基残っています。
定番の構図があり、八本足の馬に乗った人物を、角杯を持つ女性が迎える場面が繰り返し彫られています。
八本足の馬はスレイプニル、迎える女性はヴァルキュリャ、そして描かれているのは死者がヴァルハラへ到着する場面と解釈されています。
文字が書かれる前の、もっとも古い死生観の記録です。
ゴットランド博物館(ヴィスビュー)で多数の石碑を見られる。
ヴァルキュリャが現代に残した痕跡
ヴァルキュリャの名は、音楽と創作を通じて世界中に広まりました。
ワーグナー「ワルキューレの騎行」: 楽劇『ニーベルングの指環』第2部の一場面。北欧神話に由来する音楽としてもっとも有名で、映画などで繰り返し引用される。
英語 valkyrie: 19世紀に英語へ入った語。戦う女性の象徴として、現在も文学や比喩に使われる。
ゴットランドの絵画石碑: 角杯を掲げて死者を迎える女性の図像が、数百基の石碑に繰り返し刻まれている。文字より古い死生観の記録である。
護符としての小像: 剣を構えた女性、角杯を掲げた女性の小像が北欧各地から出土している。多くは装身具であり、身につけるために作られた。
ヴァルキュリャが司るもの
勝敗を決めること
戦場で誰が死ぬかを選び、勝利を裁定する。運ぶのではなく決める側である。
死後の栄誉
選ばれた戦死者はヴァルハラへ迎えられ、ラグナロクまで戦い続ける。
ルーンの知識
ブリュンヒルドはシグルズに勝利・癒し・言葉のルーンを授けた。
ヴァルキュリャが登場するゲーム・アニメ
北欧神話でもっとも創作に使われた存在です。武装した女性という姿の強さが、無数の作品に受け継がれました。
ただし多くの場合、「死者を運ぶ者」として描かれます。原典では「誰が死ぬかを決める者」です。運ぶのではなく、決める。 この違いは大きく、原典のヴァルキュリャははるかに恐ろしい存在です。
ヴァルキュリャが登場するゲーム
ヴァルキュリャが登場するアニメ・漫画・映像
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ヴァルキュリャについてよくある質問
ヴァルキュリャとは何ですか。
戦場で誰が死ぬかを選び、選んだ勇士をヴァルハラへ運ぶ乙女たちです。名は「戦死者を選ぶ者」を意味します。
ヴァルキリーとワルキューレは同じですか。
同じです。ヴァルキリーは英語形、ワルキューレはドイツ語形、ヴァルキュリャが古ノルド語の原形です。
ヴァルキュリャは死者を運ぶだけですか。
違います。原典では誰が死ぬかを先に決め、勝敗を裁定します。運ぶのはそのあとです。人の腸を縦糸に、頭を錘にして布を織り、戦の結果を決める場面もあります。
ヴァルハラとはどんな場所ですか。
オーディンの館です。屋根は盾、垂木は槍でできており、扉は五百四十あります。選ばれた戦死者は毎日戦って死に、毎晩よみがえって宴を開きます。すべてラグナロクに備えるためです。
ブリュンヒルドとは誰ですか。
もっとも有名なヴァルキュリャです。オーディンの命令に背いて若い王を勝たせたため、炎に囲まれた城で眠らされました。英雄シグルズに救われますが、裏切られ、シグルズを殺させて自らも死にます。
ヴァルハラの戦士はラグナロクで勝ちましたか。
勝ちません。四十三万を超える軍勢が集められましたが、神々は敗れ、世界は焼かれて海に沈みます。備えても結末は変わらないというのが、この神話の結論です。
ヴァルキュリャと併せて覚えたい言葉・用語
ラグナロク(Ragnarök)
北欧神話の終末。神々と巨人が戦い、双方がほぼ全滅して世界が焼け落ち、海に沈む。そののち新しい大地が浮かび上がる。
ヴァルハラ(Valhöll)
オーディンの館。「戦死者の館」の意。選ばれた戦士が毎日戦い毎晩よみがえって、ラグナロクに備える。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。
エインヘリャル(Einherjar)
ヴァルキュリャに選ばれてヴァルハラへ迎えられた戦死者たち。ラグナロクでオーディンの軍勢となる。