盲目の神。知らぬまま兄バルドルを殺した。

ジョージ・ライト 「バルドルの死」 / パブリックドメイン 出典
ヘズとは何の神様か
ヘズの名前の表記と読み方
古ノルド語では Höðr。日本語では「ヘズ」「ホズ」「ヘズル」と揺れます。
名は「戦い」を意味する語に由来するとされます。盲目で戦えない神の名が「戦い」であるという食い違いは、この神の由来が本来別のものだった可能性を示すとされています。
実際、デンマークの年代記では盲目でもなく、神ですらありません。
Höðr(ヘズ)
古ノルド語の表記。「戦い」を意味する語に由来するとされる。
Hödur(ホズ)
現代アイスランド語などでの表記。日本語では「ホズ」「ヘズル」とも書かれる。
Høtherus(ホテルス)
デンマークの年代記『デンマーク人の事績』での表記。まったく別の人物として描かれる。
ヘズの物語
- 輪の外にいる ─ 見えない神
- 手を添えられる ─ ロキの一言
- 誰も手を出せない ─ 聖域という掟
- 討たれる ─ 一日で成長した復讐者
- 別の伝承 ─ 神ですらない男
- ラグナロクのあと ─ 兄とともに戻る
輪の外にいる ─ 見えない神
母フリッグが世界のあらゆるものから誓いを取ったため、バルドルは何をされても傷つかない体になりました。
神々はこれを遊びにします。
集会の場で、バルドルは立った。ある者は射り、ある者は斬りつけ、ある者は石を投げた。 何をしても彼は傷つかない。皆はそれを大いに喜んだ。
輪の中心にバルドルが立ち、周りから武器が飛ぶ。神々は笑っています。
ヘズだけが、その輪の外にいました。
目が見えないので、投げようがありません。何が起きているのかも、音でしか分かりません。
楽しそうな声だけが聞こえている。 そういう場所に、この神は立っていました。
手を添えられる ─ ロキの一言
そこへ、ひとりの人物が近づいてきます。
老女に化けてフリッグから宿り木のことを聞き出したロキが、すでに枝を折って持っていました。
ロキはヘズに話しかけます。
なぜおまえはバルドルに何も投げないのか。
ヘズは答えました。
私には彼が見えない。 それに、投げるものも持っていない。
ロキは言います。
ならばほかの者のようにしなさい。 バルドルに敬意を示すのだ。私が方向を教えよう。 この枝を投げなさい。
ヘズは受け取りました。言われたとおりに投げました。
枝はバルドルを貫き、彼は死んで地に倒れた。
新エッダ?はこの一行のあとに、こう続けます。
これは、神々と人間のあいだで起きたもっとも大きな不幸であった。
誰も手を出せない ─ 聖域という掟
バルドルが倒れたあと、神々は言葉を失います。
新エッダの記述は、この場面を非常に冷静に描いています。
神々は言葉を失い、手を動かして彼を抱き起こすこともできなかった。 互いに顔を見合わせ、この所業をなした者に対して、皆が同じ思いであった。
しかし、誰も復讐しませんでした。
理由が書かれています。
その場は聖域であり、そこで報復することは許されなかった。
神々の集会場は、血を流してはならない場所でした。目の前に加害者がいて、全員が殺したいと思いながら、掟のせいで手が出せない。
そして神々は泣きました。
涙のために、誰も言葉を口にすることができなかった。
討たれる ─ 一日で成長した復讐者
聖域では復讐できません。しかし放置もされませんでした。
オーディンは、この一件のためだけに新しい子をもうけます。
古エッダ?はその子を予言の形で語ります。
オーディンは西の館で、バルドルの仇を討つ息子をもうけるだろう。 その子は生まれて一夜で手も洗わず髪も梳かず、バルドルの敵を火葬の薪に運ぶ。
生まれたのはヴァーリ。母は巨人の娘リンド。
この子は生まれた翌日には成人しており、身を清めることもせずまっすぐヘズのもとへ向かい、討ちました。
騙されて投げた盲目の神が、生まれて一日の子に殺される。
ヘズが自分で選んだことは、この物語のなかにひとつもありません。
別の伝承 ─ 神ですらない男
ここまではエッダの話です。デンマークにはまったく別の伝承が残っています。
12世紀末の年代記『デンマーク人の事績』では、ヘズ(ホテルス)は盲目ではありません。 神でもありません。
デンマークの人間の王子であり、竪琴の名手で、泳ぎも弓も剣も達者な優れた武人です。
そしてバルドル(バルデルス)とは、ひとりの女性ナンナを巡って争います。
二人は正面から戦い、ホテルスが勝ちました。
ホテルスは特別な剣を手に入れ、バルデルスを打ち倒した。
この伝承では、ヘズは騙された被害者ではなく、堂々と勝った側です。
同じ名の登場人物が、書物によって正反対の立場に置かれている。 北欧神話が一冊にまとまっていないことを、もっともよく示す例です。
ラグナロクのあと ─ 兄とともに戻る
世界が焼け、海に沈み、そして新しい大地が浮かび上がったあと。
古エッダは、静かな場面を記します。
バルドルとヘズが戻ってくるだろう。 二人はともに住み、戦いの神々の聖域に。
殺した者と殺された者が、並んで戻ってきます。
新エッダも同じことを記し、二人が新しい世界で語り合う様子を描いています。
赦されたのか、そもそも罪ではなかったのか。 そこは書かれていません。
ただ、二人は一緒にいます。
北欧神話の終わり方のなかで、ここだけが明確に救いのある場面です。
ヘズの家系図と家族
ヘズの性格と人物像
ヘズは、何ひとつ自分で選んでいない神です。
盲目であることも、輪の外にいたことも、枝を握らされたことも、方向を教えられたことも、そして殺されたことも。すべて他人が決めています。
新エッダはこの神を一行でこう紹介します。
彼は盲目である。そして十分に強い。 しかし神々は、この神の名が語られることのないよう望んだ。
強い。しかし名前を出したくない。
神々の側の、非常に正直な本音です。誰のせいでもないと分かっていながら、この神を見るたびにバルドルの死を思い出す。だから語りたくない。
そして最後に、バルドルとともに戻ってきます。
加害者にされた神が、被害者と並んで新しい世界に立つ。 ヘズの物語は、そこで初めて終わります。
書物によってヘズの記述が異なるところ
北欧神話は一冊にまとまっていません。ヘズについても、 書物によって記述が分かれる箇所が1件あります。 どちらか一方に決めず、両方を出典つきで載せています。
ヘズは騙されて兄バルドルを殺したのか、恋を争って討ったのか
新エッダ1220年頃
ギュルヴィたぶらかし 第49章
- ヘズ ─ 宿り木で射る ─ バルドル
ヘズは盲目の神であり、ロキに枝を握らされ、方向を教えられて投げた。殺意はなく、何を投げたかも知らなかったとされる。
デンマーク人の事績12世紀末
第3巻
- バルドル ─ 恋を争って討つ ─ ヘズ
デンマークの年代記『デンマーク人の事績』では、ヘズは盲目ではなく人間の英雄であり、バルドルとナンナという女性を巡って正面から戦い、勝って殺したとされる。エッダとはまったく別の話になっている。
ヘズゆかりの地と遺跡
ヘズを祀った場所は伝わっていません。
盲目のまま兄弟を射殺し、その報復で殺される神です。願いを託す相手にはなりませんでした。
残っているのは、この話を書き留めた写本と、ヘズを王として描いた土地です。
アルニ・マグヌッソン写本研究所(Stofnun Árna Magnússonar)
『王の写本』を所蔵
アルニ・マグヌッソン写本研究所の住所: アイスランド レイキャビク
アルニ・マグヌッソン写本研究所に残るもの: 写本
バルドルの死を伝える『王の写本』(コデックス・レギウス)を所蔵します。詩のエッダのほぼ唯一の写本で、ヘズが弟を射る場面はこの一冊にしか残っていません。
17世紀にアイスランドで見つかり、デンマーク王に献上されたためコペンハーゲンにありましたが、1971年にアイスランドへ返還されました。到着した日は国民の祝日のような騒ぎになり、港に群衆が集まったと伝えられます。
一冊の本が、国の宝として海を渡って帰ってきた。
常設展示は限定的。写本の展示は企画により入れ替わる。
レイレ(Lejre)
ヘズを王として描いた伝説の都
レイレの住所: デンマーク レイレ
レイレに残るもの: 首長館の遺構
サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』では、ヘズは神ではなくデンマークの王ホテルスとして描かれます。バルドルとの争いも、女をめぐる人間同士の戦いになっています。
同じ話が、片方では神話、片方では歴史として語られている。
レイレはその物語の舞台とされた土地です。実際に6〜10世紀の巨大な首長館の跡が出土しており、伝説の王都が実在の権力の中心だったことが分かっています。
屋外博物館サグンランド・レイレでは、鉄器時代の家屋が復元されています。
遺構そのものは地表に標示されている。屋外博物館は夏季中心の開館。
ヘズが現代に残した痕跡
ヘズを祀った形跡は見つかっていません。名が残ったのは、別の伝承のなかです。
デンマーク人の事績のホテルス: 12世紀末の年代記では、盲目でも神でもなく、デンマークの人間の王子として描かれる。バルドルと女性を巡って正面から戦い、勝利する。
地名・人名の不在: トールやフレイと違い、この神の名を持つ地名や人名はほとんど確認されていない。祀られなかった神である。
「盲目の加害者」という筋書き: 悪意のない者が仕組まれて罪を犯すという構図は、後世の文学に繰り返し現れる。北欧神話がもたらした型のひとつとされる。
ヘズが司るもの
闇
盲目の神として、闇や見えないものと結び付けられる。
赦し
新しい世界でバルドルとともに戻るという結末から、和解の象徴とされることがある。
ヘズが登場するゲーム・アニメ
単独で描かれることはまずありません。 つねにバルドルの死の場面にだけ現れます。
ただしその場面は北欧神話でもっとも有名なくだりなので、名前を知らないまま姿だけは知られている、という珍しい神です。
ヘズが登場するアニメ・漫画・映像
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ヘズについてよくある質問
ヘズは何の神様ですか。
特定の領域を司る神ではありません。オーディンの子でバルドルの弟にあたり、盲目であることと、兄を殺したことだけが語られます。
ヘズはなぜバルドルを殺したのですか。
殺意はありませんでした。目が見えず遊びに加われずにいたところへロキが近づき、宿り木の枝を握らせて投げる方向を教えました。何を持たされたかも知らないまま投げています。
ヘズはどうなりましたか。
オーディンが復讐のためにもうけた子ヴァーリに討たれました。ヴァーリは生まれて一日で成長し、身を清めることもせずヘズを殺したとされます。
なぜ神々はその場でヘズを殺さなかったのですか。
集会の場が聖域であり、そこで報復することが掟で禁じられていたためです。全員が同じ思いでありながら、手を出せませんでした。
デンマークの伝承ではどう描かれますか。
『デンマーク人の事績』では盲目でも神でもなく、デンマークの人間の王子として描かれます。バルドルとナンナという女性を巡って正面から戦い、勝利しています。
ヘズは復活しますか。
します。ラグナロクのあと、バルドルとともに新しい世界へ戻り、二人でともに住むと記されています。
ヘズと併せて覚えたい言葉・用語
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。