若返りの林檎を管理する女神。

「イズンの帰還を求めるヘイムダル」 / パブリックドメイン 出典
イズンとは何の神様か
イズンの名前の表記と読み方
古ノルド語では Iðunn。ð は英語の th に近い音のため、日本語では「イズン」「イドゥン」の両方が使われます。
名の意味は「再び若返らせるもの」とする解釈が有力です。
Iðunn(イズン)
古ノルド語の表記。「再び若返らせるもの」を意味するとされる。
Idun(イドゥン)
ラテン文字での一般的な綴り。日本語では「イドゥン」とも書かれる。
Iduna(イズナ)
ドイツ語圏での表記。ワーグナーなどで用いられる形。
イズンの物語
林檎を預かる ─ 神々が不死でない理由
北欧神話について、まず押さえておくべきことがあります。
神々は不死ではありません。
ギリシャの神々は生まれつき不死ですが、北欧の神々は違います。放っておけば老います。
新エッダ?はこう記します。
イズンは箱のなかに林檎を持っている。アース神族は、老いが近づくとそれを食べる。そうして皆、ラグナロクまで若さを保つ。
寿命を延長し続けているわけです。
ここには重大な含みがあります。ラグナロクまで、と書かれている。 つまり林檎で保てるのは、終末の日までです。それ以上は延ばせません。
そして、この仕組みはひとりの女神に依存しています。
箱を持っているのはイズンだけ。この女神がいなくなれば、神々は終わります。
ロキに騙される ─ 林檎を持って森へ
事の起こりは、オーディン・ロキ・ヘーニルの三神が旅に出たときでした。
牛を焼こうとしても、いつまでも生のままです。見上げると、樫の木の上に大きな鷲がいました。
私に分け前をくれるなら、肉は焼けるだろう。
承知すると肉は焼けました。しかし鷲は良い部分を独り占めします。腹を立てたロキが棒で殴りかかると──
棒は鷲に貼りついて離れず、ロキの手も棒から離れなくなった。
鷲は飛び立ち、ロキは引きずられます。石にぶつかり、木に叩きつけられ、腕が抜けそうになりました。
悲鳴を上げて許しを乞うと、鷲は条件を出します。この鷲は巨人スィアチでした。
イズンを、林檎とともに、アースガルズ?の外へ連れ出せ。
ロキは誓います。そして解放されました。
さらわれる ─ 神々が一斉に老いる
アースガルズに戻ったロキは、イズンにこう言いました。
森で、おまえの林檎よりも見事な林檎を見つけた。 自分の林檎を持ってきて、見比べてみるといい。
イズンは疑いませんでした。箱を抱えて森へ出ます。
そこへ鷲の姿のスィアチが降下し、イズンをさらって巨人の国へ飛び去りました。
直後の描写が、この物語の要です。
アース神族は集会を開いた。互いに問い、互いに尋ねた。「イズンを最後に見たのは誰か。」
答えは「ロキと一緒に森へ出て行くのを見た」でした。
そして、
神々は白髪となり、老いさらばえた。
林檎がないだけで、こうなります。
神々はロキを捕らえ、殺すと脅しました。ロキは震えながら承知します。取り返しに行くと。
木の実になって帰る ─ 燃える鷲
ロキはフレイヤから鷹の羽衣を借り、巨人の国へ飛びました。
運よくスィアチは漁に出ており、イズンは一人でした。
ロキはイズンを木の実の姿に変え、爪で掴んで全速力で飛んだ。
帰ってきたスィアチは気づき、鷲の姿で追います。 鷲の羽ばたきは速く、距離が縮まります。
アースガルズの神々は城壁の上から見ていました。ロキが飛び込んでくる。その後ろに鷲が迫っている。
神々は削り屑を城壁の内側に山と積み上げました。
ロキが壁を越えて落ちた瞬間、火が放たれます。
鷲は速度を落とせなかった。羽が燃えた。 落ちたところを、アース神族が殺した。
イズンは戻り、神々は若さを取り戻しました。
そしてこの事件が、スカジがアースガルズへ乗り込むきっかけになります。スィアチは、彼女の父でした。
宴で責められる ─ 一度きりの台詞
イズンが自分の言葉で語る場面も、古エッダ?に一度だけあります。「ロキの口論」です。
ロキが夫のブラギを罵ったとき、イズンが割って入りました。
ブラギよ、お願いです。 血のつながりを思ってください。育ての子らのことを思って。 ロキに荒い言葉を返さないでください。
夫を止めようとしています。
ロキは容赦しませんでした。
黙れ、イズンよ。 おまえこそ、兄を殺した男を腕に抱いた女ではないか。
この一言で、イズンも黙ります。
注目すべきは、この場面でシヴも同じことをして同じように黙らされていることです。
争いを収めようとした女神が、二人とも暴かれて終わる。 「ロキの口論」という詩の構造そのものです。
イズンの家系図と家族
イズンの妻・夫: ブラギ
イズンの性格と人物像
イズンは、疑わない女神です。
ロキに「もっと良い林檎がある」と言われて、そのまま箱を持って出て行きました。
宴では夫を止めようとして、逆に暴かれます。
自分から何かを企てた場面は、ひとつもありません。
それでいて、この女神がいなければ神々は存在できません。
北欧神話には、こういう構造がよく出てきます。もっとも重要なものが、もっとも無防備な形で置かれている。
バルドルは万物の誓いで守られていたのに宿り木一本で死に、神々の若さは箱ひとつに入っていて、その箱を持つ女神は簡単に騙される。
堅固に見えて、一点を突かれれば崩れる。 イズンの物語は、そのことをもっとも短く示しています。
そして実際、一度は本当に崩れかけました。 神々が白髪になったあの数日が、ラグナロクの予行演習でした。
イズンゆかりの地と遺跡
イズンを祀った場所は伝わっていません。
ただし、リンゴを死と再生に結びつける感覚が実際にあったことは、墓から出てきた物が示しています。
オスロ大学文化史博物館(Kulturhistorisk museum)
オーセベリ船の出土品を所蔵
オスロ大学文化史博物館の住所: ノルウェー オスロ
オスロ大学文化史博物館に残るもの: 船葬墓の副葬品
834年に埋められたオーセベリ船の副葬品を所蔵します。女性二人が葬られた、ヴァイキング時代でもっとも豪華な墓のひとつです。
この墓から、野生のリンゴが入った桶が見つかっています。
死者と一緒に、リンゴが埋められていた。
イズンの林檎の話がこの習慣から来たのか、逆なのかは分かりません。断定できる証拠はありません。 ただ、リンゴを死のそばに置く感覚が実在したことは確かです。
船体と大型出土品は別施設で公開。展示構成は改修により変わる。
アルニ・マグヌッソン写本研究所(Stofnun Árna Magnússonar)
イズンの話を伝える写本の所蔵先
アルニ・マグヌッソン写本研究所の住所: アイスランド レイキャビク
アルニ・マグヌッソン写本研究所に残るもの: 写本
イズンがロキの手引きで巨人にさらわれ、神々が老いはじめる話は、スノッリのエッダに載っています。その写本群を所蔵する施設です。
神々が不死ではないという一点が、北欧神話を他と分けています。ギリシャの神は老いませんが、北欧の神はリンゴを食べ続けなければ老います。
一柱の女神が連れ去られただけで、神々全体が終わりに近づく。
写本の実物展示は企画によって入れ替わる。
イズンが現代に残した痕跡
イズンの名は北欧に残りませんでしたが、その林檎は各地の神話とつながる形で語り継がれました。
「若返りの林檎」という型: ギリシャ神話のヘスペリデスの黄金の林檎、ケルトの常若の国の果実など、同じ発想が各地にある。北欧のイズンはその北方版にあたる。
小惑星イドゥナ(176 Iduna): 1877年に発見された小惑星に、この女神の名が付けられている。
スウェーデンの文芸結社イドゥーナ: 19世紀初頭に結成された文学結社の名。北欧の古い文化を復興する運動の中心となった。
「林檎」という訳語の問題: 原語の epli は、当時の北欧では木の実全般を指した可能性がある。現在の林檎に限らないという指摘がある。
イズンが司るもの
若さ・不老
林檎によって神々の若さを保つ。北欧神話で不老を担う唯一の存在である。
再生
名そのものが「再び若返らせるもの」を意味するとされる。
春
若返りと実りの結びつきから、春の女神と解釈されることがある。
イズンが登場するゲーム・アニメ
フレイヤに役割を吸収されがちな女神です。ワーグナーがその代表で、林檎を管理するのはフライア(フレイヤ)になっています。
原典では明確に別の女神であり、神々の若さを預かるのはイズンだけです。
イズンが登場するゲーム
イズンが登場するアニメ・漫画・映像
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イズンについてよくある質問
イズンは何の神様ですか。
神々の若さを保つ林檎を管理する女神です。北欧の神々は不死ではなく、老いが近づくとこの林檎を食べて若さを取り戻します。
北欧の神々は不死ではないのですか。
不死ではありません。イズンの林檎によって若さを保っているだけで、その効果もラグナロクまでと記されています。
イズンがさらわれたときどうなりましたか。
神々は一斉に白髪となり老いさらばえました。ロキがフレイヤの鷹の羽衣を借りて取り返し、若さは回復しています。
イズンをさらったのは誰ですか。
巨人スィアチです。ロキを脅してイズンを城壁の外へ連れ出させ、鷲の姿でさらいました。取り返す際に燃えて墜落し、神々に殺されます。その娘がスカジです。
イズンの夫は誰ですか。
詩の神ブラギです。古エッダの宴の場面では、ロキと言い争う夫を止めようとしています。
イズンと併せて覚えたい言葉・用語
ラグナロク(Ragnarök)
北欧神話の終末。神々と巨人が戦い、双方がほぼ全滅して世界が焼け落ち、海に沈む。そののち新しい大地が浮かび上がる。
アース神族(あーすしんぞく)
オーディンを主神とする神々の一族。戦いと支配を担う。アースガルズに住む。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
アースガルズ(Ásgarðr)
アース神族が住む神々の国。虹の橋ビフレストで地上とつながる。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。