豊穣の神。恋のために自らの剣を手放した。

エミール・デプラー 「オーディンとフェンリル、フレイとスルト」 1905年 / パブリックドメイン 出典
フレイとは何の神様か
フレイの名前の表記と読み方
古ノルド語では Freyr。日本語では「フレイ」が一般的です。「フレイル」と表記されることもあります。
重要なのは、この名が普通名詞の「主」と同じ語だという点です。妹フレイヤ(Freyja)は同じ語の女性形で、こちらは「女主人」の意味になります。
つまり兄妹の名は「主」と「女主人」であり、どちらも本名ではありません。フレイの本来の名はイングヴィとされ、スウェーデンの王家はこの名を祖と称しました。
Freyr(フレイ)
古ノルド語の表記。語そのものが「主」を意味し、本来は称号だったとされる。
Yngvi(イングヴィ)
本来の名とされる。スウェーデン王家イングリング家は、この名を祖とする。
Fricco(フリッコ)
ドイツの記録者アダム・フォン・ブレーメンがウプサラ神殿の神として記した名。
フレイの物語
- 人質として渡る ─ 二つの神族の和睦
- 玉座から見てしまう ─ ゲルズへの恋
- 剣を手放す ─ 求婚の代償
- 宝を持つ ─ 猪と、たためる船
- ウプサラで祀られる ─ もっとも篤い信仰
- ラグナロク ─ 剣のない神
人質として渡る ─ 二つの神族の和睦
玉座から見てしまう ─ ゲルズへの恋
ある日、フレイはやってはいけないことをします。
オーディンの玉座フリズスキャルヴに、勝手に座ったのです。ここからは全世界が見渡せます。
そして北の巨人の国に、ひとりの娘を見つけました。
彼女が腕を上げると、空と海のすべてが輝いた。
巨人の娘ゲルズでした。
この瞬間から、フレイは食べることも飲むこともできなくなります。誰とも口をききません。
見かねた父ニョルズが、従者スキールニルに事情を聞かせました。フレイはようやく打ち明けます。
私は彼女を得られない。神も妖精も、これを許さないだろう。
敵である巨人の娘に恋をした。 これが、この神のすべてを決めました。
剣を手放す ─ 求婚の代償
スキールニルは求婚の使者を引き受けます。ただし条件を出しました。
あなたの剣を私にください。 独りでに戦う、あの剣を。
フレイは渡しました。恋のために、自分の武器を手放したのです。
スキールニルは巨人の国へ向かい、ゲルズに黄金の林檎と腕輪を差し出します。断られました。
次に剣を抜いて脅します。それでも断られました。
最後にスキールニルは、呪いを並べ立てます。
おまえは怪物に嫁ぎ、山羊の小便を飲み、誰からも顧みられず朽ちるだろう。 ルーンを刻んでこの呪いを確定させる。
ゲルズは折れました。九夜のちに会うと約束します。
フレイは待たされ、こう嘆きました。
一夜は長い。二夜はさらに長い。 三夜をどう耐えればよいのか。
二人は結ばれます。しかし剣は戻りませんでした。
宝を持つ ─ 猪と、たためる船
ウプサラで祀られる ─ もっとも篤い信仰
フレイは、実際にもっとも篤く祀られた神のひとりです。
11世紀のドイツ人聖職者アダム・フォン・ブレーメンが、スウェーデンのウプサラ神殿についてこう記しています。
神殿には三体の像がある。中央にトール、その両脇にオーディンとフリッコ。フリッコは平和と快楽を与え、その像は巨大な男根を備えている。
フリッコとはフレイのことです。
婚礼のときにはこの神に犠牲が捧げられたとも記されています。
スウェーデンのレェから出土した小さな青銅像は、あぐらをかき、髭をたくわえ、男根を屹立させた姿をしており、この記述に一致する現物として有名です。
豊穣とは、作物だけでなく子を生すことでもある。 この神の信仰は、そこまで具体的でした。
ラグナロク ─ 剣のない神
終末の日、南から炎の巨人スルトが現れます。
手にするのは太陽より輝く剣。通ったあとには何も残りません。
フレイが立ち向かいました。
しかしこの神には剣がありません。 ゲルズを得るために手放したまま、戻ってこなかったからです。
フレイはスルトと戦い、倒れた。
新エッダ?は、この結末をはっきり原因と結びつけています。
彼があの剣を惜しまなかったことを、人は嘆くだろう。
恋のために武器を捨てた神が、武器を持たずに死ぬ。
そして世界はスルトの炎で焼き尽くされます。フレイを倒したその火が、世界を終わらせました。
フレイの家系図と家族
フレイの性格と人物像
フレイは、戦わない神です。
北欧神話の神々は、たいてい戦います。オーディンは戦死者を集め、トールは巨人を殺し続け、テュールは軍神です。そのなかでフレイだけが、平和と実りの神として立っています。
この神の行動原理は一貫しています。欲しいものは、代償を払って手に入れる。
ゲルズを得るために剣を渡しました。その判断は、終末で自分の命を奪います。それでもこの神は後悔した様子を見せません。
新エッダの評は簡潔です。「フレイはもっとも名高い神である。彼はすべての神々に愛される。」
愛されるが、強くはない。 実りをもたらし、平和を保ち、恋のために武器を捨て、剣を持たずに死ぬ。
戦士の神話のなかで、農民の神として立ち続けた存在です。もっとも広く祀られたのがこの神だったという事実が、当時の人々が本当は何を望んでいたのかを示しています。
フレイゆかりの地と遺跡
フレイは、信仰の痕跡がもっとも豊富に残る神です。
ウプサラの神殿の記録、レェの青銅像、そしてスウェーデン各地に散らばるフレイの名を含む地名。いずれも、この神が実際に広く祀られていたことを示しています。
物語の中心にいるのはオーディンやトールですが、人々が日々祈っていたのはこの神でした。
ウプサラ神殿跡(Gamla Uppsala)
北欧最大の神殿があった地
ウプサラ神殿跡の住所: スウェーデン ウプサラ市ガムラ・ウプサラ
ウプサラ神殿跡に残るもの: 墳丘と教会
11世紀の記録に残る、北欧最大の神殿があった場所です。トール・オーディン・フレイの三体の像が並び、九年ごとに九日間の大祭が行われ、人を含む生贄が木に吊るされたと記されています。
現在は巨大な王墳が三基残り、そのそばに中世の教会が建っています。神殿そのものは失われましたが、発掘で大規模な木造建築の跡が確認されています。
博物館が併設され、出土品を見学できる。
レェの青銅像(Rällinge-statyetten)
記録と一致する現物
レェの青銅像の住所: スウェーデン セーデルマンランド地方レェ/ストックホルム歴史博物館蔵
レェの青銅像に残るもの: 青銅像(高さ約7cm)
あぐらをかき、髭をたくわえ、男根を屹立させた小さな青銅像です。11世紀のものとされます。
アダム・フォン・ブレーメンが記したウプサラのフレイ像の描写と一致するため、この神を表したものとされています。
文献の記述を裏づける出土品として、北欧考古学でもっとも有名な小像のひとつです。
ストックホルムの歴史博物館で常設展示されている。
フレイが現代に残した痕跡
フレイの名は曜日には残りませんでしたが、王家の系譜と地名に残りました。
スウェーデン王家イングリング家: フレイの本来の名イングヴィを祖と称した王家。スウェーデンとノルウェーの王統がこの神の子孫を名乗った。
イングランドという地名との関係: イングヴィの名を持つ部族「インガエウォネス」がタキトゥスに記録されている。イングランドの語源とする説があるが、確定はしていない。
フレースヴェッリルなどの地名: スウェーデン中部を中心に、フレイの名を含む地名が数十例確認されている。トールに次ぐ多さで、信仰の広がりを示す。
ユールの猪(クリスマスハム): 北欧のクリスマスに豚肉料理を食べる習慣は、この神に猪を捧げた冬至の祭に由来するとされる。
フレイが司るもの
豊作
雨と日射しを支配し、作物を実らせる。北欧では収穫のたびに犠牲が捧げられた。
平和
アダム・フォン・ブレーメンは「平和と快楽を与える神」と記している。
子宝・婚姻
婚礼の際に犠牲が捧げられた。豊穣は作物だけでなく子を生すことも含む。
富・交易
折りたためる船スキーズブラズニルに象徴される。航海と交易の守り手でもあった。
フレイが登場するゲーム・アニメ
知名度のわりに扱いが小さい神です。オーディン・トール・ロキに比べ、創作での出番は多くありません。
理由ははっきりしています。戦わないからです。 剣を手放し、恋に悩み、平和を司る神は、物語の見せ場を作りにくい。
しかし当時もっとも祀られていたのはこの神でした。神話の人気と、実際の信仰は一致しません。
フレイが登場するゲーム
フレイが登場するアニメ・漫画・映像
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
フレイについてよくある質問
フレイは何の神様ですか。
豊穣と平和を司るヴァン神族の神です。雨と日射しを支配し、作物と家畜を実らせます。婚姻や子宝の神でもありました。
フレイはなぜ剣を持っていないのですか。
巨人の娘ゲルズへの求婚を成功させるため、従者スキールニルへ自分の剣を与えたからです。その剣は独りでに戦う剣でした。剣は戻らず、ラグナロクで炎の巨人スルトに討たれる原因になります。
フレイとフレイヤの関係は何ですか。
兄妹です。父はニョルズ。名はどちらも「主」「女主人」を意味する称号で、本名ではありません。
フレイはなぜアース神族と暮らしているのですか。
アース神族とヴァン神族の戦争が和睦したとき、人質として父ニョルズ、妹フレイヤとともにアースガルズへ渡ったためです。
フレイはどこで祀られていましたか。
スウェーデンのウプサラ神殿が最大の聖地でした。11世紀の記録に、トール・オーディンと並ぶ三体の像のひとつとして記されています。スウェーデン各地にこの神の名を含む地名が数十例残っています。
グリンブルスティとは何ですか。
フレイが持つ黄金の猪です。毛が金でできており、走ると夜も闇も明るく照らします。馬より速く、空も海も駆けました。
フレイと併せて覚えたい言葉・用語
アース神族(あーすしんぞく)
オーディンを主神とする神々の一族。戦いと支配を担う。アースガルズに住む。
ヴァン神族(ヴぁんしんぞく)
豊穣と富を担う神々の一族。アース神族と戦って和睦し、ニョルズ・フレイ・フレイヤが人質としてアースガルズへ渡った。
アースガルズ(Ásgarðr)
アース神族が住む神々の国。虹の橋ビフレストで地上とつながる。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。