竜ファフニールを討った英雄。ドイツではジークフリートと呼ばれる。
シグルズとは何の神様か
シグルズはひとことで言えば北欧神話最大の英雄です。ドイツ語圏ではジークフリートと呼ばれます。
この英雄の物語は三段に分かれます。竜を討つ、眠れる乙女を目覚めさせる、欺いて殺される。
注目すべきは、輝かしい前半と、まったく救いのない後半が、同じ一人の話として語られることです。竜殺しの誉れを得た男が、記憶を奪う酒を飲まされ、恋人を別の男に娶らせ、そのために殺されます。
手にした黄金には、小人アンドヴァリの呪いがかかっていました。持ち主を必ず滅ぼす、という呪いです。竜を討った時点で、この英雄の最期は決まっていました。
ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』は、この筋をほぼそのまま骨組みに使っています。
シグルズの名前の表記と読み方
古ノルド語では Sigurðr(シグルズ)。sigr(勝利)と vǫrðr(守り手)の合成で「勝利の守り手」と解されます。
ドイツ語の Siegfried(ジークフリート)は Sieg(勝利)と Fried(平和)の合成で、後半の要素が違います。同じ英雄の名が、地域によって別の語で組み立てられています。
日本ではワーグナーの楽劇を通じてジークフリートの名が先に広まったため、そちらのほうがよく知られています。
Sigurðr(シグルズ)
古ノルド語の表記。「勝利の守り手」を意味する。
Siegfried(ジークフリート)
ドイツ語の表記。日本語版ウィキペディアの項目名もこちら。
Fáfnisbani(ファーヴニルバニ)
「ファフニール殺し」を意味する二つ名。
シグルズの物語
折れた剣 ─ 父シグムンドから
ファフニール殺し ─ 穴に潜んで下から刺す
鳥の言葉 ─ 指をなめる
レギンは兄の心臓を焼くようシグルズに命じました。焼け具合をみようと触れた指を、シグルズは思わず口へ入れます。
竜の血が舌に触れた瞬間、シジュウカラのさえずりが言葉として聞こえました。
あの男は、おまえの首を狙っているぞ。
シグルズは剣グラムでレギンを討ちます。育ての親を、育ての親が仕組んだ罠のために殺したことになります。
この「指をなめる」場面は、北欧の石彫でもっとも多く刻まれた主題のひとつです。スウェーデンのラムスンドの岩絵にも、口に指を入れる人物と、木にとまる鳥がはっきり彫られています。
炎の中の乙女 ─ そして忘れる
炎の壁に囲まれて眠るワルキューレブリュンヒルドを、シグルズは目覚めさせます。ブリュンヒルドはルーン文字の知恵を授け、二人は契りを交わしました。
ところがギューキ王の館で、王妃グリームヒルドが差し出した記憶を奪う酒を飲んでしまいます。
シグルズはブリュンヒルドを忘れ、王女グズルーンと結婚しました。さらに義兄グンナルのために、姿を入れ替えて炎を越え、ブリュンヒルドをグンナルの妻として連れ帰ります。
真相は、グズルーンとブリュンヒルドの口論で露見しました。欺かれたと知ったブリュンヒルドは、グンナルにシグルズを殺させます。
殺し方は書物によって違います。北欧の伝えでは寝床で刺され、大陸の伝えでは泉で水を飲む背中を槍で突かれます。
シグルズの家系図と家族
シグルズの性格と人物像
シグルズは、自分で決めた場面がほとんど無い英雄です。
剣を打ち直させたのはレギン。竜を討てと言ったのもレギン。穴を掘れと教えたのはオーディン。馬を選ばせたのもオーディン。忘れさせたのはグリームヒルドの酒。姿を変えさせたのはグンナル。
本人が言い切った台詞は、竜に「それでも富は望むものだ」と答えた一言くらいです。
外から与えられた道を歩き続け、最後に外から殺される。 ギリシャの英雄が自分の意志で試練へ向かうのとは、ずいぶん違う形をしています。
それでもこの英雄が千年語り継がれたのは、竜を討った男でさえ運命からは逃げられないという筋が、北欧の人々の世界の見方そのものだったからでしょう。
シグルズゆかりの地と遺跡
シグルズを祀った場所はありません。 神ではなく英雄だからです。
かわりに、物語を刻んだ石と木彫りが北ヨーロッパ各地に残りました。スウェーデンのルーン石碑、ノルウェーの教会の扉の彫刻、イギリスのマン島の石十字。キリスト教が広まったあとの遺物にまで、この場面が彫られ続けています。
ラムスンドの岩絵(Ramsundsristningen)
十一世紀。シグルズ伝説を刻んだ最古級の遺物
ラムスンドの岩絵の住所: スウェーデン セーデルマンランド県エスキルストゥーナ市イェーデル教区ラムスンデット
ラムスンドの岩絵に残るもの: 岩に彫られたルーン銘と線刻画
シグルズの岩絵とも呼ばれます。竜の胴をルーン銘の帯として彫り、それを下から剣で刺す人物、指を口に入れる人物、木にとまる鳥、馬、鍛冶の道具が並びます。
物語の順序がそのまま一枚の岩に彫られています。 エッダの写本より二百年ほど古く、この伝説が文字より先に広まっていたことを示します。
スウェーデン国立文化財庁の遺跡台帳に登録されている。屋外の岩で、いまも見学できる。
ゲークの石(Gökstenen)
ラムスンドの岩絵を写した石碑
ゲークの石の住所: スウェーデン セーデルマンランド県ストレングネス市ヘーラド教区
ゲークの石に残るもの: ルーン石碑(十一世紀)
ラムスンドの岩絵とよく似た図が刻まれたルーン石碑です。下手な写しとされることが多く、彫り手が元の絵を見て真似たものと考えられています。
同じ場面が繰り返し彫られたこと自体が、この物語がどれだけ広く知られていたかを示しています。
スウェーデン国立文化財庁の遺跡台帳に登録されている。
シグルズが現代に残した痕跡
この英雄の名と物語は、音楽と文学を通じて、いまも生き続けています。
ワーグナー『ニーベルングの指環』: 四夜にわたる楽劇。第三夜が『ジークフリート』で、竜殺しと炎の中の乙女がそのまま舞台になっている。
ヒュレスタッドの扉の彫刻: ノルウェーの木造教会の扉に、竜殺しから指をなめる場面までが連続して彫られている。オスロの文化史博物館が所蔵する。
ジークフリート線: 第二次世界大戦前にドイツが築いた防衛線の呼び名。この英雄の名が国の象徴として使われた例。
シグルズが司るもの
勝利
竜殺しの英雄として、勝利を象徴する存在とされた。
勇気
竜に立ち向かった若者として語り継がれた。
富
ニーベルングの黄金を得たが、その黄金には呪いがかかっていた。
シグルズについてよくある質問
シグルズとジークフリートは同じ人物ですか。
同じ英雄です。古ノルド語の呼び名がシグルズ、ドイツ語の呼び名がジークフリートです。物語の細部は北欧と大陸ゲルマンで食い違います。
シグルズはどうやって竜を倒しましたか。
竜が水を飲みに通る道に穴を掘って潜み、上を通る腹を下から剣グラムで刺しました。穴を掘れと教えたのはオーディンとされます。
なぜ鳥の言葉がわかるようになったのですか。
竜ファフニールの心臓を焼くとき、焼け具合をみようと触れた指を口に入れ、竜の血が舌に触れたためです。
シグルズは誰に殺されましたか。
ブリュンヒルドに欺かれたと知られ、義兄グンナルの一族の手で殺されました。殺され方は書物によって異なり、寝床とも、泉のほとりとも伝えられます。