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北欧神話

ゲリとフレキとは何の神様か|家系図・物語

Geri ok Freki  / ゲリとフレキ

神獣

オーディンに従う二匹の狼。名はどちらも「貪欲なもの」。

ゲリとフレキとは何の神様か

ゲリとフレキはひとことで言えば主神の食事を引き受ける狼です。名はどちらも「貪欲なもの」と解されます。

新エッダギュルヴィたぶらかし』第38章の記述が、この一対のすべてです。ヴァルハラで、オーディンは自分の前に出された食べ物を、そっくりこの二匹に与えます。

理由もそこに書かれています。主神には食事が要らないからです。オーディンは葡萄酒だけで生きているとされます。

二匹が平らげるのは、毎日煮られては翌朝よみがえる猪セーフリームニルの肉。尽きることのない食卓を、尽きることのない食欲が受け止めています。

フギンとムニンが世界の知らせを運んでくるのに対し、狼は主神のかたわらで食べる。飛ぶものと歩くものが、対になって置かれています。

ゲリとフレキの名前の表記と読み方

古ノルド語では Geri(ゲリ)と Freki(フレキ)。日本語ではゲレ、フレケとも書かれます。

注目すべきは、二匹の名がどちらも「貪欲なもの」と解されることです。 別の意味を持つ二語ではなく、ほぼ同じ意味の語が二つ並んでいます。

これは北欧の詩の作り方に関わります。似た意味の語を対にして並べ、勢いを出す手法が広く使われました。鴉のフギン(思考)とムニン(記憶)が意味で対をなすのに対し、狼のほうは意味を重ねて強めています。

なお、フレキという名は古エッダ『ヒュンドラの歌』第18節にも現れますが、そこでは人間の男オッタルの祖先を数え上げるなかの「フレキ兄弟」であり、この狼とは別のものです。

Geri(ゲリ)

古ノルド語の表記。「貪欲なもの」と解される。ゲレとも書かれる。

Freki(フレキ)

同じく「貪欲なもの」と解される。フレケとも書かれる。

Geri ok Freki(ゲリ・オク・フレキ)

二匹を並べて呼ぶ形。原典ではほぼ必ず一対で現れる。

ゲリとフレキの物語

  1. 主神は食べない ─ 葡萄酒だけの神
  2. 鴉と狼 ─ 主神の四つの目
  3. 詩の言い換え ─ 血と死体を指す語
  4. なぜ狼なのか ─ 敵と味方の両方に

主神は食べない ─ 葡萄酒だけの神

『ギュルヴィたぶらかし』第38章に、短くこう書かれています。

オーディンは自分の食物をこの狼たちに与える。なぜなら彼は食事を必要とせず、ただ葡萄酒だけで生きているからである。

この一節が伝えているのは、狼のことより主神のことです。

ヴァルハラでは、戦死者たちが毎晩宴を開きます。猪セーフリームニルの肉が振る舞われ、牝山羊ヘイズルーンの出す蜜酒が尽きることなく注がれます。

その席で、主神だけが何も食べていません。 出された分は、足元の二匹が平らげます。

食べない神と、食べ続ける狼。同じ食卓に、二つの極が並んでいます。 この記述のもとは、古エッダ『グリームニルの言葉』第19節とされます。

鴉と狼 ─ 主神の四つの目

オーディンには、常に付き従う二組の生きものがいます。

一組は鴉のフギンムニン。夜明けに放たれて世界中を飛び、戻ってきて見聞きしたことを耳にささやきます。情報を運ぶ役です。

もう一組が、この二匹の狼です。飛びません。運びません。主神のかたわらにいて、食べます。

役割の差がはっきりしています。鴉は外へ出て、狼は内に留まる。

それでも、どちらも主神の姿の一部として描かれます。北欧の絵画石碑や兜の飾り板には、人物の両脇に鳥や獣を配した図が繰り返し現れます。両脇に何かを従えた姿そのものが、主神を表す型だったと考えられています。

主神は「鴉神」とも呼ばれました。狼を冠した呼び名は伝わっていませんが、絵の上ではしばしば並んでいます。

詩の言い換え ─ 血と死体を指す語

この二匹の名は、詩の中で独特の使われ方をしました。

北欧の詩にはケニングという言い換えの技法があります。ものを直接言わず、別の語の組み合わせで表す作り方です。

ゲリとフレキの名は、そこで狼そのものを指す語として広く使われました。特定の二匹ではなく、狼一般を意味する語になったということです。

そして死体との結びつきが強く残ります。

「ゲリのビール」といえば血を、「フレキの小麦」といえば死体を指す。

狼にとっての飲み物が血、食べ物が死体という言い換えです。 戦場を歌う詩で、これほど直接的な表現が定型として使われていたことになります。

戦いの詩には、狼と鴉と鷲が繰り返し現れます。いずれも戦場の後に集まる生きものです。

なぜ狼なのか ─ 敵と味方の両方に

北欧神話の狼は、たいてい神々の敵です。

フェンリルは主神を呑み、スコルは太陽を呑み、ハティは月を捕らえます。番犬ガルムも軍神と刺し違えます。

そのなかで、この二匹だけが主神に従っています。

同じ神が、狼に従われ、狼に呑まれる。 オーディンの足元には二匹の狼がおり、その最期は狼の口の中です。

偶然の重なりとは考えにくいところです。狼は、当時の北欧でもっとも恐れられた獣でした。その獣を従えていることが力の証しであり、同時に、いつか制御を失うという予感でもある。

手なずけた獣に食われるという筋は、この神話の骨格そのものといえます。

ゲリとフレキの家系図と家族

ゲリとフレキの性格と人物像

ゲリとフレキは、要求しない存在です。

吠えません。命令に逆らいません。物語の中で何かを決めたことも、誰かに何かを言ったこともありません。ただ主神の足元にいて、出されたものを食べます。

名が「貪欲なもの」であるのに、自分から奪う場面は一度も描かれていません。 与えられたものを食べているだけです。

この静けさが、かえって不気味に働きます。同じ神話の狼たちが縛られたり追いかけたりしているのに対し、この二匹は最初から自由で、最初からおとなしい。

主神が食べないから、二匹が食べる。 支える側と支えられる側が、食事を通してつながっています。

戦場に現れる狼を歌った詩を思えば、この二匹の穏やかさは特別です。飼われている、ということの意味が、ここにはっきり出ています。

ゲリとフレキゆかりの地と遺跡

この二匹を祀った場所は見つかっていません。 社も祭りも、地名も伝わっていません。

ただし図像としては各地に残っています。人物の両脇に獣を配した図は、北欧の絵画石碑や兜の飾り板に繰り返し現れます。オーディンとこの二匹を描いたものと解される例がありますが、名前が書かれているわけではないため、断定はできません。

本書はゆかりの地の欄を空にしています。確かめられた場所が無いためです。

ゲリとフレキが現代に残した痕跡

この二匹の名は、詩の言い換えと、主神を描いた図像の型のなかに残りました。

ケニング「ゲリのビール」: 血を指す詩の言い換え。「フレキの小麦」といえば死体を指す。狼の飲食に置き換えて戦場を歌う定型として使われた。

両脇に獣を従える図: 人物の左右に鳥や獣を配した図。北欧の絵画石碑や兜の飾り板に繰り返し現れ、主神とこの二匹を描いたものと解されることがある。

狼全般を指す語: この二匹の名は、詩の中で特定の狼ではなく狼一般を指す語として広く使われた。名が普通名詞のように働いた例。

ゲリとフレキが司るもの

戦い

戦場に現れる獣として、詩でくり返し歌われた。

養う力

主神が自分の食事をすべて分け与えるという関係で語られる。

ゲリとフレキについてよくある質問

ゲリとフレキとは何ですか。

オーディンに付き従う一対の狼です。名はどちらも「貪欲なもの」と解されます。ヴァルハラで主神の食事をすべて食べるとされます。

なぜオーディンは食べないのですか。

『ギュルヴィたぶらかし』第38章に、主神は食事を必要とせず葡萄酒だけで生きていると記されるためです。出された食物はすべてこの二匹に与えられます。

ゲリとフレキはフギンとムニンとどう違いますか。

鴉のフギンとムニンは世界を飛んで知らせを運びます。狼のゲリとフレキは飛ばず、主神のかたわらで食べます。外へ出る一対と、内に留まる一対という対比になっています。

ゲリとフレキはラグナロクで戦いますか。

戦う場面は伝わっていません。主神を呑むのは別の狼フェンリルであり、この二匹の最期は原典に書かれていません。

ゲリとフレキと併せて覚えたい言葉・用語

ヴァルハラ(Valhöll)

オーディンの館。「戦死者の館」の意。選ばれた戦士が毎日戦い毎晩よみがえって、ラグナロクに備える。

新エッダ(しんエッダ)

1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。

古エッダ(こエッダ)

詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。