三度焼かれて三度よみがえった女。神族の戦争は、ここから始まった。
グルヴェイグとは何の神様か
グルヴェイグはひとことで言えば殺せなかった女です。名は「黄金の力」を意味し、おそらくヴァン神族?の一員だと考えられています。
登場するのは、古エッダ?『巫女の予言』のわずか数節だけです。それでも、この数節が北欧神話の流れを決めています。
語られるのはこうです。この女はハールと名乗る館の広間で、アース神族?に槍で貫かれ、三度焼かれました。しかし焼かれるたびによみがえり、何度繰り返しても殺すことができませんでした。
さらにヘイスと名乗って家々を回り、太鼓で精霊を呼び出す魔法を使ったと歌われます。
この一件から、アース神族とヴァン神族の戦争が始まります。北欧神話で唯一の、神々どうしの戦いです。
正体を女神フレイヤとする見方が一般的ですが、確かめられてはいません。
グルヴェイグの名前の表記と読み方
古ノルド語では Gullveig(グルヴェイグ)。グッルヴェイグとも書かれます。
名は「黄金」を意味する語と、「力」あるいは「強い酒」を意味する語の合成です。合わせて「黄金の力」と解されます。金属の名が、そのまま人の名として立てられている点が重要です。
別名のヘイスは「輝く者」ほどの意味とされます。この名は、北欧の物語に出てくる女呪術師の名として何度も使われるもので、特定の個人というより巫術を使う女の呼び名に近い扱いです。
二つの名が示すものは同じ方向を向いています。黄金と、輝き。焼かれても消えなかったという筋も、金属の性質と重なります。
Gullveig(グルヴェイグ)
古ノルド語の表記。gull(黄金)と veig(力・強い酒)の合成で「黄金の力」を意味する。
Heiðr(ヘイス)
家々を回って魔法を使ったときに名乗った名。「輝く者」「明るい者」ほどの意味とされる。
Freyja(フレイヤ)
この女の正体をこの女神とする見方が一般的。どちらも魔術セイズを使う。
グルヴェイグの物語
三度焼かれて、三度立ち上がる
『巫女の予言』の記述は短く、そして異様です。
この女は、ハールと名乗る館の広間で槍に貫かれました。ハールはオーディンの別名のひとつです。そして焼かれます。
一度ではありません。三度焼かれ、三度よみがえりました。
何度繰り返しても、彼らはグルヴェイグを殺すことができなかった。
神々が総がかりで殺そうとして、殺せなかった存在は、この神話でほかにいません。
なぜ殺そうとしたのかは書かれていません。魔法を使ったからだとも、黄金への欲をかき立てたからだとも読まれます。
槍と炎は、北欧で呪術を絶つ作法でもありました。効かなかったということは、この女の力がその作法の外にあったことを意味します。
ヘイスと名乗って ─ 太鼓で呼ぶ
焼かれた後、この女は名を変えて人の世を回ります。ヘイスと名乗り、家々を訪ねて魔法を使いました。
使った術についても、詩は具体的に書きます。太鼓でガンドを呼び出したという表現です。ガンドとは、巫術セイズ?で呼び出される精霊を指します。
セイズは、北欧でもっとも重く見られた魔術です。運命に手を加える術であり、主に女性が担いました。太鼓を使うのは、北の民の巫術に共通する作法です。
『巫女の予言』は、この魔法が「悪い女性たち」に喜びをもたらしたとも歌います。この一節の読み方は難しく、訳者によって解釈が分かれます。
はっきりしているのは、この女が神々の側の秩序の外で術を広めた、ということです。
神族の戦争 ─ ここから始まった
正体はフレイヤか ─ 三つの読み
この女が誰なのかについて、大きく三つの読みがあります。
第一に、フレイヤとする読み。これが一般的です。フレイヤも魔術セイズを使い、それをオーディンに教えたとされます。人質の名簿にフレイヤが挙がらないのは、グルヴェイグという名ですでにアースガルズにいたからだと考える研究者もいます。
第二に、黄金そのものとする読み。シーグルズル・ノルダルの説です。この女が現れる前の節に、神々が黄金に何不自由なかったという記述があります。そこへ黄金が人の形をとって現れ、神々の欲をかき立て、それが戦争の一因になったという筋です。
第三に、別の存在とする読み。フレイヤと結びつける明確な記述は原典に無いため、断定を避ける立場です。
どれも決め手を欠いています。本書はフレイヤと同一視する説を関係図に残したうえで、独立した項目として立てています。
学説 ─ 何が起きたと読むか
この場面の読み直しは、いまも続いています。
水野知昭は、この女を貫いた槍をアース神族の男性器の隠喩と読みました。つまり集団での暴行があり、花嫁として送りこんだヴァン神族を怒らせたのだ、という解釈です。戦争の原因を、性的な侮辱に求める読みにあたります。
ジョルジュ・デュメジルは、まったく別の方向から見ます。アース神族とヴァン神族の戦争は印欧語族の古い層にさかのぼるもので、ローマ人とサビーニ人の抗争と同じ起源だとしました。
この見立てでは、グルヴェイグは、黄金で買収されてローマを裏切った女性タルペーイアに相当します。 どちらの名にも黄金が関わる点が根拠です。
短い数節が、これだけの読みを生んでいます。記述が少ないことは、必ずしも重要でないことを意味しません。
グルヴェイグの家系図と家族
グルヴェイグの性格と人物像
グルヴェイグは、耐えた存在です。
言葉がひとつも伝わっていません。槍で貫かれたときも、三度焼かれたときも、この女が何を言ったかは書かれていません。
伝わっているのは行いだけです。立ち上がった。名を変えた。術を広めた。
報復した、とは書かれていないことに注意が要ります。 戦争を始めたのは神々のほうであり、この女自身が誰かを攻めた記述はありません。
名が「黄金の力」であることは、性格の説明としても読めます。黄金は焼いても減りません。形を変えても、そこにあり続けます。
人を狂わせるのは黄金そのものではなく、それを欲しがる側です。この女が何もしないまま神々の秩序を崩したことは、そう読むと筋が通ります。
神々が自分たちで始めて、自分たちで壁を壊された。 北欧神話の唯一の内戦は、そういう戦争でした。
グルヴェイグゆかりの地と遺跡
この存在を祀った場所は見つかっていません。 社も祭りも、地名も伝わっていません。
そもそも登場するのは古エッダ『巫女の予言』のわずか数節だけで、他の原典にほとんど現れません。信仰の跡をたどる手がかり自体が乏しいのが実情です。
正体をフレイヤとする読みに従うなら、フレイヤに関わる場所が間接的なゆかりの地ということになります。ただしこれは推測にもとづくため、欄には挙げていません。
グルヴェイグが現代に残した痕跡
この存在の名は、原典の外にはほとんど出ませんでした。かわりに、研究のなかで繰り返し取り上げられています。
神族戦争の起点: アース神族とヴァン神族の戦争のきっかけとして語られる。北欧神話で唯一の神々どうしの戦いであり、和解のための人質交換につながった。
デュメジルの比較: ローマ伝説で黄金に買収されて砦を明け渡した女性タルペーイアに相当するとした説。二つの神話の抗争が同じ起源だという見立ての一部。
巫術セイズの記録: 太鼓で精霊を呼び出すという記述は、北欧の巫術がどのように行われたかを示す数少ない手がかりのひとつとされる。
グルヴェイグが司るもの
魔術
太鼓で精霊を呼び出す巫術セイズを使ったと歌われる。
再起
三度焼かれて三度よみがえったと語られる。
富
名は「黄金の力」を意味し、黄金そのものの人格化とする読みがある。
グルヴェイグについてよくある質問
グルヴェイグとは誰ですか。
古エッダ『巫女の予言』に登場する女で、名は「黄金の力」を意味します。アース神族に槍で貫かれ三度焼かれましたが、そのたびによみがえったと歌われます。
グルヴェイグの正体はフレイヤですか。
そう見る立場が一般的です。どちらも魔術セイズを使い、ヴァン神族の人質の名簿にフレイヤが挙がらない点も根拠とされます。ただし原典が同一だと書いているわけではありません。
なぜ神族の戦争が起きたのですか。
この女がアース神族に傷つけられたこと、あるいはこの女の魔法がアース神族を侮辱したことが原因だと歌われます。詩はどちらとも取れる書き方をしています。
なぜ三度も焼かれたのですか。
槍で貫き、火にかけるのは、北欧で呪術を絶つ作法でもありました。それが効かなかったことが、この女の力が作法の外にあったことを示していると読まれます。
グルヴェイグと併せて覚えたい言葉・用語
ヴァン神族(ヴぁんしんぞく)
豊穣と富を担う神々の一族。アース神族と戦って和睦し、ニョルズ・フレイ・フレイヤが人質としてアースガルズへ渡った。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。
アース神族(あーすしんぞく)
オーディンを主神とする神々の一族。戦いと支配を担う。アースガルズに住む。
セイズ(Seiðr)
運命を操り未来を見る魔術。ヴァン神族の術で、フレイヤがアース神族に伝えた。当時、男が使うと恥とされた。
アースガルズ(Ásgarðr)
アース神族が住む神々の国。虹の橋ビフレストで地上とつながる。